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原注)図皿.一2.では,タテ軸に修養・鍛練主義の高低.ヨコ軸に質素倹約主義の高低をとり.
主に後者のイデオロギー的傾向から,金銭否定一入場料不可の精神をアマチュアリズムと に,そして金銭肯定一入場料可の精神をプロフェッショナリズムとに結びつけて捉えた。し かし.この捉え方は,あくまで明治から昭和初期におけるこれまでのスポーツヘの考え方か ら導出されるものであることに留意すべきである。各線の意味内容は.図中で言己述してある 運りであるが 般的には.対立(一). 親和(=).時系列的因果違鎖(一⇒)を示して・
いる。
蝸.164 また.図皿.一2、からわかる上うに,大正期にみられた野球制度内部における ブロ化推進の3つのイデオロギーのタイプは,日本運動協会チーム解散後も引き 継がれ,Aタイプのイデオロギーの限界とBタイプのイデオロギーの可能性が互
いに補完される歴史的推移の中で,Aタイプのイデオロギーの継承者たち一→一 えば,市岡忠男,浅沼誉夫,三宅大輔等一によって具体的なプロ野球イデオロ 306)
ギーとその連盟構想が練られ, 昭和11年目本職業野球違盟結成のための野球 制度内部における先駆として尽力していく結果となるのである。
尚,Cタイプのイデ才ロギーは.昭和2年東京目日と大阪毎日両新聞杜の共催 による全国都市対抗野球大会の開催をもって結実していくことになるわけだが.
その性格は,プロ・チームとの区別を一層明確にするために「実業団大会」と銘 307)
打たず,あくまで「地域杜会の代表という観念をもたせた」 ところにも如実に 示されている。
このように、野球が移入されてからプロ野球制度が成立するに至るまで勝利至 上主義,及び修養・鍛練主義を基調とする野球関係者の野球の発展に対する内的 一心理的利害状況は,前者と後者の意味内容が複雑に錯綜しながらも,「武士は喰 わねど高楊枝」式の金銭拒否の名誉観を凌駕し.超越して,わが国の野球のプロ 化を推進したと考えられる。つまり,野球制度内的イデオロギーが,その担い手 である野球関係者によって一方で武士道的修養・鍛練主義を基調とする精神の野 球をめざすイデ才ロギーを堅持しつつも,他方で次第に武士道的な金銭拒否にみ られる非合理的.非経済的イデオロギーから合理的.経済的イデオロギーへと変 質していくところに,プロ野球成立の精神的基盤(内的一心理的基盤)があり.
さらにそれを推進していくことによってプロ野球成立の規定要因になりえたと考 えるのである。
N◎.165
<引用・参考文猷>
1)S吐包㎎島孔W;Out door G舳es ,ZPM獅ya&CO.1883.p、皿
2)「べ一スボールの来歴」新聞「日本」明治29年7月20目付(マイクロフィルムより拡大複
写)
3)田原茂作;日本野球史厚生閣書店,1929.30頁
4)目下裕弘;「成立期におけるわが国のスポーツ制度に関する研究一その形態および特性を 申心に一」昭和58年度筑技夫学教育学博士論文,493−494頁
5)広瀬謙三;皐慶野球史,三省堂,1940.
6)太田春城;皐慶野球戦史塔英杜,1930
7)田島龍夫;野球便用.愛知県立第一中学校学友会,明治38年.20−23頁 8)「野球と其害毒」朝目新聞明治幽年8月29日〜9月19日(言十22回掲載)
9)明治払年9月16目於神田青年会館 10)日下裕弘;前掲論文,64頁
11)中野武二;一高式野球,運動双書刊行会.大正11年(1922),坐一50頁
12)木村毅(編);明治文化資料叢書第10巻スポーツ編.風闇書房.1972.14−15頁 及び同春;目本スポーツ文化史.洋々杜.1956,8−10頁
13)第一高等学校校友会(編・発行);技友会雑誌.明治28年(1895),53−64頁 14)中尋庚;前掲書,199−253頁
15)伊東卓夫(紀・発行);野球年親第一号(明治35年.1902)〜第十号(明治坐年,1911)
の巻末ルール
16)朝目新聞杜(編・発行);野球年監大正5年(1911).巻末
17)第一高等学技校友会(編・発行);校友会雑誌.明治28年(1895).8頁 18)玉沢敬三(編・発行);東京運動具製造販売業組合史1936,115−116頁 19)同上書.113−114頁
20)同上書.115−116頁
21)朝目新聞杜(編・発行);全国高等学校野球選手権大会史1936,255頁 22)玉沢敬三(編・発行);前掲書,116−120頁
23)同上書,214一・216頁 24)同上書.122−123頁 25)同上書.128頁
26)高橋雄二郎;新式ぺ一スボール術.四海堂,明治31年(1898),28−42頁 27)玉沢敬三(編・発行);前掲書.120−121頁
28)同上書,134−136頁
29)四州生;「運動具輸人税」運動界3−3:6−7.大正11年(1922)
㎞166 及び玉沢敬三(編・発行);前掲書,55頁,100頁
30)玉沢敬三(編・発行);同上書,279頁
31)坪井玄道、田中盛業(編);戸外遊戯法一名戸外運動法、金港堂,明治18年(1895),序一 丁〔頁数なし〕
32)森本哲飢池井優(他);「なんで野球みるの?二『甲子園』と『王の新記録』に熱狂する 目本人とは?」諸君9−10:2岨1977.
33)大和球士;真説日本野球史一明治編,べ一スボールマガジン杜.19π 4頁 34)大和球士;前掲書,16−19頁
35)庄野義信(編著);六大学野球全集・上巻。改造杜.1931,6−8頁 36)坪井玄道.田中盛業(編);前掲書.66丁〔頁数なし〕
37)中沢不二雄(監修);球界八十年の歩み.東京都新聞杜,1957,3頁 38)田原茂作;前掲書,10頁
39)横井春野;日本野球発達史水野利三1922.13頁 40)中沢不二雄(監修);前掲書。3頁
及び開国百年記念文化事業会(編);明治文化史・第10巻・r 趣味娯楽編」,洋々杜.1955,
587−588頁
41)第一高等学校校友会(編・発行);校友会雑誌号外,野球部史附規則←,明治28年(1895).
2頁
42)大和球士;野球五十隼.時事運信社.1955.11−12頁 43)庄野義信(編著);前掲書,10−11頁
44)目下裕弘;「明治期における『武士的五『武士道』的野球信条に関する文化杜会学的研究」
俸育・スポーツ社会学研究会(編).体育・スポーツ社会学研究4,道和書院.1985,26頁 45)庄野義信(編);前掲書.8頁
46)同上書,9頁
47)田原茂作;前掲書,坐一47頁
48)功力靖雄;明治野球史遣遥書院1969.56頁 49)田原茂作;前掲書.47頁
50)同上書,47頁 51)同上書。47頁
52)目下裕弘;前掲書.27頁 53)田原茂作;前掲書,24頁
54)五十公野清一;日本三球入世界文庫。1968,120−121頁 55)田原茂作;前掲書,30−31頁
、 56)同上書,24−25頁
No.167 57)同上書.24−25頁
58)同上書,25−30頁 59)同上書,56−57頁
60)横井春野;前掲書,5−16頁 61)田原茂作;前掲書,52頁
62)第一高等学技寄雷寮(編・発行);向陵誌,1930,750−783頁 63)高橋左門;旧制高等学校研究昭和出版.1978,116頁
64)同上書 106頁
65)同上書.228頁 、 及び,第一高等学技寄宮寮(編・発行);前掲書,3頁
66)同上書,132頁 67)同上書.136頁
68)第一高等学技技友会雑誌;第41号,明治27年11月28目,59頁,1894 69)日本帝国統計年鑑第40風大正11年(1922)
70)第一高等学校寄宿寮(編・発行);向陵誌、1930,796頁 1 71)同上書,803頁
72)同上書,806頁
73)高橋左門;前掲書.137頁
74)第 高等学技校友会;前掲書,14頁 75)同上書,14貫
76)同上書,15頁
77)高橋左門;前掲書,137頁
78)中馬庚;野球,前川文栄堂.明治30年(1897),61頁一63頁 79)飛田穂洲;野球生活の思ひ出.朝目新聞杜.1928,261−262頁 80)中野武二;一高式野球.運動双書刊行会.1922,31−32頁 81)目下部裕弘;前掲書,29頁
82)第一高等学校校友会(編);「野球部史」明治36年,木村毅(編λ 明治文化資料叢書第十 巻スポーツ編.風聞書房,1972230−232頁
83)第一高等学技寄宮寮(編・発行);前掲書,804頁
84)古川哲史;目本倫理、患想史研究2一武士道の、患想とその周辺,福村書店.1957,86頁 85)第一高害学技技友会(編);前掲書,232−234頁
86)中野武二;運動叢書第二編,一高式野球.運動叢書刊行会.大正11年(1922),10頁 87)三橋秀三;「現代と武士道」体育科教育.20−1:62−63.1972
88)木村吉次;r 明治時代における運動の伍値論の 考察〔皿〕一『校風論争』を運じてみた<
㎞168 運動>の目本的同化の論理」体育学研究5−3:概1960
89)嘉納治五郎;「造士舎創立の趣旨」國士1:1−3.明治31年(1898)C注;巻・号は通 号で示す)
90) ;「修行鍛錬」國士5:1−5,明治32年(1899)
91) ;「成功の秘訣」國士15:1−6.明治32年(1899)
92) ;「宏量大度」國士17:1−5.明治33年(1900)
93) ;「自愛自童」國士19:1−5,明治33年(1900)
94) ;「自治の精神」國士45:1−4,明治35年(1902)
95) ;「運動會」國士38:1−4,明治34年(1901)
96) ;「強健なる身体を作れ」國士5611−4,明治36年(王903)
97)95)の文献1に同じ。3頁
98)佐々木吉三郎;「修養墳談」國士10118−27.14:21−25,15:33−38,明治32年
(1899)
99)大隈童信;脂士含に就いての所感を述ぶ」國士26:5−17,27:5−1τ 明治33年
(1900)
100)木下広次;「端艇競漕者に封する誠告」國士38:5−1&明治払年(1901)
101) ;「目本文明の素養」國士53:1−12,明治36年(1903)
102)嘉納治五郎;r 運動含」;前掲誌,2−3頁
103)木下広次;r 端艇競漕者に封する誠告」前掲誌6頁 104)南摩綱紀;「尚武の説」國士9:5−13.明治32年(1899)
105)太田秀穂;r 簡軍主義」國士6:11−16,明治32年(1899)
106)高橋雄次郎;「野球辮疑」國士16:51.明治33年(1900)
107)五十公野清一;目本三球人世界文鼠1968,294頁 108)功カ靖雄;前掲書.110−111頁
109)服部邦雄;愛知一中野球部史愛知一中野球倶楽部,19飢26−31頁 110)田島龍夫;前掲書.20−26頁
111)日下裕弘;前掲書.33頁
112)伊勢田剛;■ 野球.費永館,明治坐年(1911),1−2頁
113)平野正朝;「投手の位置(総論)」野球年報4:138、明治38年(1905)
114)桜井彌一郎;「野球」野球年報5:110−111,明治40年(1907)
115)目下裕弘;前掲論文.384頁 116)目下裕弘;前掲書,31頁
117)橋戸信;最近野球術博文館,明治38年(1905).(5)一(7)頁
118)押川春浪;「大目本的ぺ一スポール」月刊べ一スボール1−1:3,明41年(1908)
No.169 119)押川春浪;「野球を武道とせよ」運動世界4−1:2−4.明治μ 年(1911)
120)萬朝報;明治38年3月26目付(マイクロフィルム拡大複写コピーによる),1905 121)安部磯雄;「公平なる競技」運動界12−4:2.1931
122) ;「運動の精神」北原鉄雄(編),アルス大運動講座一転 アルス,夫正15年 (1926),3頁
123)同上書,3頁
124) ;「武士道と運動競技」運動世界19:1,明治42年(1909)
125) ;「競技運動と勝敗の感念」運動世界9:3,明治41年(1908)
126) ;「余の野球観」野球年報10:293−294,大正元年(1912)
127) ;「競技運動と勝敗の感念」前掲誌,1頁
128) ;「学技と運動」運動世界1611−5.明治42年(1909)
129)安部磯雄;「野球の三徳」橋戸信(編),最近野球術,前掲書,199−211頁 130) ;「国際競技の序幕」運動界12−1:2−3.1931
131) ;「国際競技の意義」運動界12−2:3.1931
132) ;「国際的競技」運動世界6:1−3,明治41年(1908)
133) ;「国際競技の序幕」前掲誌 4頁,1931 134)同上誌,4頁
135)同上誌,5頁
峨)安部磯雄;「野球と共に三十年」同著、静と理想,岡倉書房.㈱,l l l −1l 1頁 137)同上誌,5頁
138)五十公野清 ;前掲書,194−195頁
139)安部磯雄;「野球と共に三十年」前掲書,2路頁 140)同上書,291−292頁
141)中西敬二郎(編);早稲田大学八十年史早夫出版甑1962,391−402頁 142)夫隈童信;「運動と学間の中毒」運動世界10:2−4.明治42年(1909)
143)五十公野清一;前掲書,294−295頁
1坐)時事新報;明治40年10月28目付(マイクロフィルムより複写拡夫コピー),1907 145)目本帝国統言十年鑑第40回.大正11年(1922)
146)五十公野清一;前掲書.239頁
147)慶応義塾体育会野球部(編・発行);慶応義塾大学野球部史,1960,30頁 及び庄野義信;前掲書.132−133頁
148)安部磯雄;「野球と共に三十年」前掲書295−296頁
149)飛田忠順(穂洲)編;早稲田夫学野球部五十年史早稲田夫学野球部192&84頁 及ぴ同編;早稲田大学野球部史明善杜大正14年(1925),97頁