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附47

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       晦48 という意識を満足させたにちがいないのである。こうしたプライド意識は.ス ポーツが移入された当初から昭和初期に至るまでの闇に一貫して看取できるひと    j 4)

つの側面であるように思われる。その具体的なシンボルの端初が,平岡黒の手 による新橋クラブのモダンなメダルに象徴されているといえるであろう。

 ところで.明治20年代頃からの学校運動部は.猛烈な練習を行うことによって 他技との試合における「勝利」をめざすようになった。彼らの唯一の目擦は.恥 辱を免れ,他校に秀でることによって得られる満足感と学校全体の校風の発揚.

       イズム

名誉の死守であった。このような.所謂「勝利至上主義」が.「主義(i S㎜)」とし て野球の担い手及びその関係者によって位置づけられ,具体化されるのは,第一 高等学校が数ある野球技の中でその覇権を握るようになってからである(一高時 代)。すなわち,勝利という目標に向かって練習をすること,あるいは野球をする ということが,至上命令の形で野球信条として定着し,伝統として受け継がれて いくことになる。

 また.このような勝利至上主義的考え方は,主に学校教育関係者等の積極的意 味づけ.価値づけもあり(例えば,明治29隼における一高校長木下広次の訓辞),

単なる自己誇示としての意味を超越して■ 「修養」としての意味をもち始めるよう になった、.野球の担い手たちは.こうして一高時代の頃から.勝利をめざす中で 心身の鍛練.あるいは精神修養という理念を掲げ,強調するようになるのである。

そして.この勝利至上主義.鍛練主義と呼ぶべき2つの精神が,野球閨係者ばか りでなく広く運動家の精神として尊童され,そのイデオロギー的支柱となったの が.武士的精神及び武士道的精神であった。

 一高に代わり.早慶両校が覇権を握るようになった明治37年以降も,この勝た ねば恥という「武士」的勝利至上主義と.精魂を尽くして努力する申から自らの 心身を修養しなければならぬとする「武士道」的鍛練主義という2つのスポーツ 信条は,担い手の内面に広く深く連綿と継承され.イデオロギーとして強化され ていく、早慶両校野球部が互いに覇権をめざして切礒琢磨し合い,時には協調し ながらも.時には直接対決ができないほどまでに関係者(特に応援団)の野球熱        5)6)

が過熱気味であったことは.周知の事実である。 また.地方においても.愛知       ?)

県立第一中学校学友会が明治38年に発刊した『野球便用』にみ一られるように ,

       晦49 野球の目的は身体の強健.発達を主旨とするが.それによって精神を鐵密にし.

勇気.忍耐.不屈及び共同一致の精神を修養することとされている。そして,選 手は品行方正.名誉を重んじ.幸苦の練習に耐え抜き.全校の応援と理解を受け て勝利しなければならない,と述ぺられているのである。

 さらに.明治44年8月から9月にかけて朝目新聞紙上で展開された所謂「野球      8)

害妻論争」 は.特に野球の行き過ぎた勝利至上主義を中心とする学生への教育 的幣害を全国中等学技及び同程度以上の学校長に対するアンケート調査や春名な 識者の声から指摘したものであったが.かえってこの指摘が野球を愛し,発展さ       9)

せようとする人々の結東を促し.読売新聞杜主催の「野球問題漬説含」 となっ て,その信条の統合化.勢カ化を形成せしめたのは皮肉な結果であった。いずれ にせよ.この期において.武士道的精神を申核とする勝利至上主義,鍛練主義は,

野球の担い手たちにとって次第にその内容を豊か… 二し,確固とした信念から信条 へ.そしてイデオロギーへと発展していく契機となっていくのである。その具体

■ 的な信条のシンボル的内容は.例えば明治39年以降次々と作詩された早・慶・

明・法・立・東各六大学の応援歌,三高,七高等々.いわゆるナンバー・スクー ルのそれなどに如実に示されている。

 一方.大正顛に人ると.全国中等学校野球大会の開催を発端として「野球精神」

とも呼ぷぺき.これまでの伝統的な武士道的精神の強調は.安部磯雄らを中心と する識者の見解の影響を受けて,英米流の「スポーツマンシップ」あるいは「フェ ア・プレイ」の精神と結びつけられ.運動精神.競技者精神一般の強調へと変化 していく。これらの精神の尊重は,特に学生野球を指導していく場合に学生に対 して強調されるぺき指導理念として確立されていく。いわば,「野球を通じての心

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身の鍛練は.ただ単にプレーヤーとしてだけではなく,一個の人闇として必要か つ童婁な修養のひとつである」とする野球イデオロギーの醸成である.

 このように,伝統的な武士道の精神と英米流の理念である「スポーツマンシッ プ」r フェア・ブレイの精神」は.決して矛盾した考え方として二項対立的に捉え

られたのではなく.むしろ目本人が伝統的に有している儒教的な「徳」や「武士 道」的モラルと同類の内容をもつものとして積極的にすり換えられ,美化されて いったのである。そして.これらの野球信条は.野球組織の発違,試合数の増加.

       ㎞50 各学校段階における全国規模の大会の増加,拡大等と相挨って次第にシンボル化

され,文章化され.明確な表現形式を伴って伝播され.受け継がれていった。そ の内容を具体的に「武士」的勝利至上主義と「武士道」的鍛練主義の徳目に分け てみると.次のような言説にまとめられよう。

<r 武士」灼精神>

 腋風の名誉にかけて」「勝たねば恥」「勝敗はわが技の体面に関する」「累年の 恥辱を雪ぐ」「決死の覚盾」「敗けたら自殺せよ」等。

<「武士道」的精神>

①正々道々,公明正夫の態度

 「尋當の勝負」.「堂々と四つ相撲をとる」.「敵が倒れたら立ち上るまで待つ」,

 「勝ちて騎らず」.「潔き負けっぷり」,「皐怯,未練をにくむ精神」.「義侠」等。

②強じんな意志力,忍耐カ

 「剛健尚武」.「目本武士遣の気骨」.「夫和民族の意気」.「臥薪嘗胆」.「練武鍛勇  の業」「心胆の練磨」.「意地をかむ」.「度胸」.「勇」.「武勇」等。

⑧自制.規律,服従

 r 質素倹約」「自己を犠牲にして他を利する」「絶対服従」「忠」「不平をいわぬ」

 r 礼節」「自重」「恭順」「已を殺す」「礼儀」等。

④協カ,共同.団結

 r 内の和」r 一致団結の徳」「団体行動」「忠誠」r 率分を守る」r 縁の下のカもち」

 等。

⑤純心さ.潔癖き

 r 無邪気」r 清浄」「天真」腕潔」「高潔」「純白」「純心」「汚れのない心」「尊さ」

 等。

⑥一生懸命,全カを尽くす

 「倒れて後止むの精神」「魂を打ち込む」「我を忘れて没頭する」「真撃」等。

 しかし,これらの精神が明確な憲章としてあるいは文章化されたイデオロ ギーとして集約きれるのは,第2次大戦後の昭和25年『目本学生野球憲章』(特 にその前文)の制定まで待たなければならなかった.

 他方,野球の興業化やそれを支える経済的観念の芽生えについては,競争的信

       晦51 条の確立とその具体化としての試合数の増加,海外還征や招謄の頻繁化がもたら す運営費,必要経費等の上昇に対し.増加する見物人からの入場料によってそれ を賄おうとする合理的思考を土台として発生してくる。具体的には.明治38年の 早稲田大学米国遠征における野球部長.安部磯雄の米国を舞台とした遠征費稔出 の合理的方法に端を発するが.それ以後.国内での所謂「入場料問題」は.武士       なりわい 道的精神を中核とする質素倹約.金銭拒否の名誉観の強調,及び芸能を生業とす

る職業に対する伝統的な職業蔑視観等によって.當に論争の火種となっていく。

しかし.入場料の現実的要請は.制度化する野球の組織的要請にならざるを得ず.

武士道的精神における金銭拒否の名誉観は,次第に同じ精神から発する勝利至上 主義的,鍛練主義的志同との相容れない相互矛盾を露呈してくるようになる。前 者の名誉観は,英国ラグビーにおける所謂r アマチュアリズム」の精神と,オリ

ンピック運動及びその参加資格の規定から生じる必要性によって.野球のブロ化 に対する一夫対抗勢カを形成していく精神的基盤となっていくが.野球制度内の 担い手たちによる野球発展への内的一心理的な利害状況は,野球試合における入 場料の必要性を次第に認め.受け入れていく方向へと憤斜していくのであった。

たとえ.その段階が必要経費として賄われるべき入場料だけの容認であったとし ても,野球試合(ゲーム)それ自体の金銭化は,英国ラグビーのプロ化への発展 段階である㎜◎ net i z at i ◎ n◎ f 趾egame(ゲームの金銭化)と同一の段階として認 められるであろう。ゲームの金銭化を許容する野球関係者の精神状況が,野球の 興業化.プロ化への基礎となる精神状況一野球に対する西欧合理的な経済灼イデ 才ロギー化一として位置づけられるような段階に達するのである。

 以上.野球シンボノ←特に野球信条,イデオロギー一の歴吏的推移につい てまとめてみると概ね次のようなことがいえよう。

 移入期には.野球は単なる娯楽や気楽な遊戯として愛好され,ハイカラな風を 好む人々(特に上流階級)や学生の威信や気位を満足させるものとして受け止め られていたが,群雄割拠時代.一高時代には.次第に勝利至上主義的,鍛練主義 的な武士道的精神が確立された。この精神は,特に武士道的名誉観(儒教的な外 面的晶位の倫理観)によって支えられていたが.早慶時代を経て全国的規模の大 会あるいはリーグ戦。定期戦が行なわれるようになると.武士的な勝利至上主義

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