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       ㎞57 が昭和5.6年頃から開催されている。さらに,1目制高等学校のレペルでは,明 治44年,京都帝国大学主催による全国文部省直轄高等専門学校野球大会が開催

きれ,犬正10隼には全国高等専門学技野球大会と改称きれ.さらに大正13年に は東京・京都・東北・九州の四帝国大学主催の下で.その範囲が拡大きれ.より 一層夫規模な大会となったが,昭和10年には全国高等学校野球夫会と全国実業 専門学校野球大会とに分裂している。その規模の拡夫は.明治44年の参加校がわ ずか7校のみであったのに対し,大正13年の第1回四帝大主催では46校,分裂前の 昭和8年ではその倍近くの83校が参加していた状況からもうかがえる。このよ

うに,個別の野球試合が盛んに行われた明治後期の頃から大正時代に人ると,そ れらを違合し統轄する定期的な.あるいは全国規模のリーグや夫会が盛んに行わ れるようになるのである。

 プロ野球組織成立以前におけるこれらの野球組織の性格を,その集団基盤や後 援基盤の視点から類型化すると次の5つに分類できると考えられる。すなわち.

①夫学同志の違盟によるもの

②帝大によって組織化されていた高等学校の野球界(後に自立する)

③帝大によって組織化されていた実業・専門学枝の野球界(後に自立する)

④新聞杜によって組織化されていた中学校の野球界

⑤軟式野球界(少年.杜会人)

   原注)

である。

 以上.野球組織の歴史的推移についてまとめてみると.概ね次のようなことが

いえよう。

 移入期のインフォーマルな遊戯集団から群雄割拠時代における各同好会の発生 を経て.正式に校友会の一部として認められたフォーマルな運動部が誕生する、

この学校運動部を中心に.次第に一本勝負形式の対抗試合から定期戦を開催する ための違合組織カ蛙まれ.さらにそれが拡夫してリーグ戦.全国規模の夫会のた めの違合組織(違盟)が結成されるに至る。また,早稲田夫学米国還征を機に海 外チームの招暗や海外への還征が頻繁に行われるようになり,対外国チームとの 試合が年々その数壱増していく。この闇,野球部を基盤とするチーム数は増加し.

 原注)目下裕弘;前掲論文.133−134頁

       晦58 全国大会参加校(中等学校野球の場合)も徐々に増加し,全国的規模の広がりを

みせる。

 このように,野球組織はインフォーマルな遊戯集団から秩序づけられたフォー マルなスポーツ組織へと移行.発展し,一時的違帯から成文化された綱領等をも つ野球組織の結成に向かい.同時に地域的拡夫.各段階の学校.杜会人レベルヘ の浸透を達成する.

        注5)

(3)野球行動様式

  一技術及び練習形態

 移入期の野球技術は,野球を遊びとして。あるいは楽しみの対象として行って いた段階であったから.技術も練習の仕方もバラバラで.各個人の気ままに任せ られていた。ゲームの様式から言えば,ボールのカウントはせず.投手は下手投 げで1チーム9人が揃うことはあまりなかった。その点は臨機応変にゲームを楽 しんでおり,三角ぺ一スのゲームも盛んに行われている。もちろん.グローブや マスクといったシャレた用具などはないので.硬いボールの受け捕りは素手・素 面であり,その我武者羅ぷり.蛮風がもてはやされた頃であった。技術・技能は 幼稚ではあったが.米国から帰国した新橋アスレチックスの平岡の影響と伝授に より.魔球と呼ばれたカーブの投げ方,バウンドキャッチからダイレクト・

キャッチ(ディレクト・キャッチ)の仕方,走法(スライディングの方法),グ リップ球のシート作戦等々の研究が始められている。しかし.実際のゲームや練 習で行われることはなかった、したがって.練習も.簡単なキャッチボールや ノックが申心で.その方法は.外国人教師や米国から帰国した留学生らによる指 導によって,その場限りの状態で教えられた。

 群雄割拠時代に人ると.各チームの競争心が次第に芽生え,醸成され始めるも のの,それに伴う技術的内容は前時代とあまり変化のない状態であった。この時 代の技術.練習形態の特色を挙ればと次の通りである。

1)投手一主として直球のみ。捕手一ワンバウンド・キャッチ(本塁後方3

 〜4闇)。したがって盗星はいつでも可。

2)カープを投げる技術は存在したが.限られたごく 部の者しか習得せず。ま

      晦59  た,9ボールなので投手一捕手のバッデリーが定まらず。

3)明治20年頃より次第に一塁手が専門化し,遊撃手が守備の要となるが,二塁  手は軽視され.三星手が最も重責のある地位とされた.しかし。ぺ一スマンは  文字通りべ一スを守るのみで.内野手間での違携プレーなどは存在しなかっ  た。一方.明治21年頃になると.レフトによる三塁のカバーやライトによる一  塁のカバーが行われるようになる、

4)バッテリーでは捕手に重点が置かれ.最も活躍すぺきポジションであったが,

 素手・素面でのダイレクト・キャッチが一般的になり始めるのは明治22隼頃  からである.それも走者のいる時か.スリー・ストライクの時という条件付き  で行われていたが.いかなる場合にもダイレクト・キャッチを実施したのは.

 その後の一高選手高田元次郎からである。

5)外野手ではレフトが最も重任ときれ.ゴロを捕ることがまだなずかしい技術  とされた。

6)スライディングはすでに行われ,二塁への進塁は定法。但し.三塁は盗塁を  しないのが憤例。

7)打者一夫振り専門で夫飛球(ホームランかそれに近いヒット)を打つのが  最も名誉なこと。打球は多く遊撃手やレプト方向に飛んだが(当該守備位置に  最も童責があったのはその為).三度振っても球に当たらぬ場合は大変な不名

 誉。

8)試合一一100何.点対90何点という夫スコアで勝敗が決するほど時闇がかか  る。交通機関の不便さもあって一目がかりの場合が多い。

9)練習はキャッチボールよりノック中心。

 一高時代に入ると.明治29年横浜外人との試合を契機として技術的な大革新 が行われた・それは,こg頃から出版された目本人の手による野球解説書技術 書の出版や.明治31年の「スプリング・パーティー」.明治32年の「サマー・

パーティー」と称する一高野球部の合宿練習の開始によって具体化されていく。

出版物としては,高橋慶太郎春『ぺ一スボール術』(明治29年)や申馬庚春『野 球』(明治30隼)の他.三好仲雄(編)『最新ぺ一スボール術』(明治32年).高 橋雄二郎春『ぺ一スボール術秘訣』(明治34年).守山恒太郎書『野球の友』(明

       晦60 治36年)等々の野球関係書が次々に発刊されているが.いずれも前二者の内容を 凌いでいるとはいえず.この期における技術や練習形態の特徴が前二者の春書に 集約されているとの見方ができる。以下、一高時代におけるその特徴を列挙すれ ば次の通りである。

      注6)

1)守備法における基本姿勢の重視

2)ピッチャーの投球技術として「イン・カーブ」「アウト・カーブ」「ドロップ」

 の3種の投げ方を規定(高橋)。中馬はそれに加え.「アッブ」「アウト・アップ」

 「イン・アップ」「アウト・ドロップ」および「イン・ドロップ」の言十8種の投       注7)

 げ方を指定。

3)選手の位置.特にべ一スマンの位置がぺ一スよりわずかに離れて撞かれる       注8)

 (中馬庚,前掲書.挿絵より)

4)受け方は野球の基礎と認識し,「ショート・バウンド」「ロング・ショート・

       注9〉

 バウンド」「ゴロ」の3種のバウンドに対する受け方を指定。 ノックによる練  習と対人による投げ合いが有効.しかも.弱球から次第に強くして,療労する  まで毎目練習を繰り返すことにより上手になる。

5)投げ方は全て上手投げ。投球で童婁なのは腰の用い方。球は弱く投げると受  け手に漫心を生じさせてしまうので強く投げること、

6)打ち方は,安全に一塁を得ることを目的とする(へS㎡eHi ポと犠打を心掛け  る)。打ったらすぐ走る。左右に打ち分けるには足を引くことも肝婁.しかし.

 中野武二によれば,実際には構え方や詳細な技術を無視した精神中心主義的な        王2)

 打ち方(一球人魂)や単球主義が中心であったという。

7)バッテリーは暗号を用いることが童要。投手は.打者の長・短所を熟知し.

 三振をとることも重要だが打たせてとることも必婁。走者に対して常に注意  し,アウトをとる心がけ、フィールディングやべ一ス・カバ・にも熟違する必  婁。捕手は2ストライク以後.あるいは走者がある時.「面」とr 手袋(グロー  プ)」をすること。二塁への投球練習の必要性と.ぺ一ス・カバー.投手への投  球への留意。

8)内野手一各ポジションで特に必婁とされる技術を詳細に指摘。例えば.遊  撃手では「受け方」.二塁べ一スの防御.一塁べ一スヘの「投げ方」.投手及び

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