北朝鮮が進めている改革・開放政策をいわゆる「ビック・プッシュ」経 済発展戦略と位置づけることは、あくまでも国際社会へ北朝鮮を取り込む ための積極的なアプローチに過ぎない。他方では、北朝鮮が行っている措 置を国際社会から「援助を引き出すためのポーズ」と見る人も大勢いる。
とりわけ、日朝首脳会談に対しては日本の援助を引き出すためであること だけを強調し、拉致問題と核開発問題を徹底的に追求する声が日本国内で は根強い。北朝鮮の全体的な変化に目を背けて、木を見て森を見ない近視 眼的な視点では、問題解決の糸口はなかなか見つからないだろう。
北朝鮮は1999年後半から積極的に「実利外交」を展開している。この年 に、北朝鮮として7年ぶりに国連総会に外相を派遣するのに先立ち、英国、
ドイツ、フランスなど欧州の主要国に個別の外相会談を求める書簡を送っ たのだ。2000年1月には主要7カ国(G7)のなかで初めてイタリアと国交 を樹立することに成功し、四半世紀ぶりに豪州と国交を再開したほか、フ ィリッピン、英国など相次いで国交を結んだ(図表5−4を参照)。同年7月 にはバンコクで開かれたASEAN地域フォーラム(ARF)に白南淳外相が 初めて出席し、会議の場を利用してオルブライト米国務長官や河野洋平外 相、李廷彬韓国外交通商相とも初めて会談した。同時にアジア開発銀行
(ADB)加盟を申請し、国際金融機関からの資金導入にも積極的な意欲を 見せた。
韓国政府筋は「金正日総書記を頂点とする国家体制が整備されたのを受 け、北朝鮮が外交活動を活発化し始めたもので、国際社会からの支援獲得 や対米、対日交渉を促進する狙い」と分析した14。この積極的な「実利外 交」で、北朝鮮は2000年から2002年現在、西側諸国を始め18カ国および EUとの国交正常化を実現し、同時に経済協力に関する条約や合意文書を 相次いで締結した(図表5−4を参照)。これに、南北首脳会談、米朝高級会 談、日朝首脳会談などが実現したことは、北朝鮮にとってはドラスティッ クな外交成果であると同時に、北朝鮮を国際社会に取り込むための積極的 な努力の成果であると見るべきであろう。こうした外交的な展開とともに、
国内における「新経済措置」と経済特区の設置は、「金正日政権の面子を 賭けた最後の試みであり、その成否には政権の運命がかかっている。…こ のような状況下での北朝鮮の転換への模索をポーズと決めつけて突き放 し、力の論理によっていっそう追いつめることは、これまで築かれた北東 アジアの平和と安定を一気に後戻りさせかねない」15という指摘には筆者も 強く同感する。
5. 6 むすびにかえて
結論的に言うと、北朝鮮は否応なしに改革・開放の道に向けて歩まざる を得ない。それが言葉の表現上では「改善」であろうと、「実利外交」で あろうと関係なく、また政権に異変が起きようと起きまいと関係なく、北 朝鮮が選択可能な唯一の道なのである。
しかし、改革・開放政策を成功裏に進めるためには、国内の正しい政策 が必要不可欠であると同時に、北朝鮮が存続できるための安全保障環境が 不可欠である。そのためには、北朝鮮は核問題を含めた国際社会との対話 と協調路線をとらなければならない。言い換えれば、朝米関係、朝日関係 の正常化を優先的に図らなければならない。
一方、国際社会も、北朝鮮の改革・開放への姿勢を正しく評価し、北朝 鮮が第二の中国やベトナムになるよう、経済制裁の解除と同時に、道義的 支援、経済的援助、市場提供など積極的な支援策を講じなければならない。
北朝鮮の安定なしには、日本や韓国の脅威はなくならないし、北東アジア 地域の安定と平和も実現しないことは明白である。
◆注釈
1 北朝鮮の政府関係者は外国研究者が「改革」という用語を使うことに対して拒否反応を示 してきたが、最近、平壌を訪問したある学者に対して、我々国内では「改善」というが、
外国メディアで「改革」と言っても構わない、とのコメントをしたという。また、平壌の 一部学者も、これはまさに戦後最大の「改革」である、と言っている。
2 中国の「一国二制度」と比較してみると、実際、質的に異なるものだと思う。なぜなら、
中国の場合は植民地であった香港とマカオを返還するための過渡的措置として実施された ものであり、究極の目的は一国一制度の統一された中国を目指すものである。しかし、北 朝鮮の新義州経済特区措置は、国内に全く新しく資本主義制度を作り上げることにあり、
今まで世界で例を見ない試みであるために、その成否に関しては誰も予測できない。
3 この講話は2001年10月22日付けの北朝鮮の「労働新聞」に一部内容が報道されており、20 02年8月2日付けの韓国「中央日報」にその要約が掲載された。
4 ハナビズ・ドット・コム、ムン・クヮンスン社長はそのビジョンを次のように述べた。「来 る2002年、丹東と新義州は南北のIT人材が自由に往来して、南北協力事業を進行し、2000 名以上の北朝鮮のITの人材と300を越えるIT企業、50以上の世界各国のIT企業が入居した、
東北アジア最大のIT集積団地になるはずです」。そして同社は、2001年までに最小限1000余 名以上の北朝鮮人材が就業して、100以上の韓国IT企業が入居できる団地を新義州地域に構 築し、2002年からは韓国企業だけでなく米国と日本など、世界各国のIT企業を誘致する計 画を立てたという。
5 出所:シンガポール華人紙『聯合早報』電子版http://www.zaobao.com.sgによる。
6 出所:同上。
7 出所:香港『21世紀環球報導』2002年12月16日による。
8 出所:香港紙『香港商報』2002年10月17日付けによる。
9 出所:香港『21世紀環球報導』2002年12月16日付けで、11月20日付けの北朝鮮消息とし て報道した。その後任に関しては、香港『鳳凰網』10月12日付けの消息によると、平壌当 局は韓国の前総理朴泰俊(74才、2000年2月より3ヶ月総理歴)氏に特区長官の要請があっ たというが、朴氏の関係者は否定しているという。因みに知っておくべきだが、韓国の
『国安法』規定により韓国民は「敵国」のリーダーには就任できないという。また香港『鳳 凰網』2003年1月16日付けの消息によると、特区長官の後任に香港の実業家(貿易と証券 の専門家)で、公益慈善事業で国際的に評判が高い何鴻章(76才)を招き、2月16日の金正 日総書記の誕生日に委任状を授与するとしたが、何氏は高齢を理由に断ったという。
10 新義州特区の基本法によると、特区は独自で旅券を発行することはできるが、外国人が査 証なしで入国できるかどうかは、彼の長官としての権限範囲を超えている。つまり、外交 の権限に属するものである。この点については北朝鮮当局も当惑したかも知れない。
11 出所:『聯合早報』2002年10月4日付けによる。
12 「貧困の罠」というのは、一国の国内実質投資が投資需要を遙かに下回る経済状況を指す。
13 イヨンフン(高麗大学アジア問題研究所研究員)「北韓の経済発展戦略と体制変化の展望」
韓国『統一経済』2002年1月号。
15 伊集院敦『金正日改革の虚実』日本経済新聞社2002年、p.72より引用。
16 坂田幹男「転換を模索する北朝鮮の 新経済措置 」『世界経済評論』2003年1月号,p.65。