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第5章 舟山布袋木偶戯伝承の現在

第3節 願解き―(還)願戯―

願解きに上演される木偶戯は(還)願戯と呼ぶ。現在は病気の治癒や子供の受験、

事業順調などに対しての願戯を行うのが流行している。第 3 章で木偶芸人の鄭明祥が 述べた難産、火災、嵐の襲来、海賊の襲撃、家族の離散などで行ったが、今では行わ れていない。今は病気では、特に癌など難病の時に行う。その他、老人が病気になっ て、自らの希望で行ったり、若い人が親孝行、親を安心させるために行うことも多い。

願戯の上演は個人の家や地方の廟で行うのがほとんどである。演目の選択は事情によ って少し変わってくる。特に子供の受験の場合は「馮世恩出考」「李白御筆点魁」な ど、科挙受験にまつわの演目を選ぶことが多い。病気の治癒と事業順調の場合は「趙 匡胤除妖」「真仮駙馬」など、物語の結末が円満であれば何でもいいという。願戯は 一日 1-2 回、1 回 2-2.5 時間の長さの短編が多いが、侯雅飛によれば、事業順調で行 う願戯において、時には頼んだ家が

祝賀を華やかにするために 3-4 日上 演する場合もあるという。

2014 年 8 月 26 日里釣山島の安瀾廟 で行われた願戯を例に紹介する。

里釣山島は舟山島と冊子島の間に 位置し、定海区岑港鎮の管轄である。

面積は 1.64 平方キロメートルである。

島には二つの行政村があり、2010 年 第 6 回全国人口調査によると、113 世帯・216 人いたが、2005 年島全体

を舟山連島大橋の橋脚とする計画が 写真 32 看板に張り重ねられた劇の上演料寄付者名簿

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実施されて以来、村政府と共に住民はほとんど対岸の岑港鎮に移住した。現在島には 約 30 人の老人が残っているだけである。島での暮らしは野菜はほとんど自給できる が、肉や生活用品などは岑港から購入する。岑港の埠頭と里釣山島の間は 150 メート ルの水路で、渡船に乗れば 1-2 分で着く。自転車やオートバイを一緒に運ぶこともで きる。

安瀾廟は現在里釣山島にある唯一の廟である。文革の時に破壊されたが、地元出身 の張というおばあさん(90 数歳)が 30 年前から定海、沈家門、岱山などを回って布 施を集めて少しずつ再建した。現在、廟には 16 部屋あり、戯台も設けられていて、

越劇や木偶戯の上演がしばしば行われている。

舞台の正面は華佗菩薩を祭る正殿である。正殿の右側は文昌菩薩と土地神を祭る 部屋で、左側は厨房で、竈神が祭られている。住民は島を離れても家族の健康や幸福 などを祈るために、年越しや願解きなどの機会に廟を訪ねる。しかし、この廟は取り 締まり対象の「小宮小廟」(第1章第 2 節参照)と見なされているので、2014 年 7 月からは老年協会の名義で公開され、廟の正門には政府から配られた「老年協会」の 看板が掛けられている。ここでの宗教活動は迷信として政府に禁止されたが、実際に は現在まで継続して行われている。ただ、政府に見つからないように、廟の神像と供 え物などを置く「元宝卓」など宗教活動に関するものは普段個人の家に隠してある。

今回の上演を依頼したのは里釣山島出身の邵雪英(70 数歳)である。

2013 年体の具合がよくない時に神様に願をかけたため、願解きで木偶戯の上演を予 約したという。現在邵雪英は岑港に移住したが、自分が「安瀾廟の弟子だ」という理 由で、願解きには地元の安瀾廟を選んだ。

頼まれた戯班は定海の侯家班である。主演の侯雅飛は定海からバスで 40 分かけて 上演に行く。二人の伴奏者は舞台や道具箱、楽器などの荷物を2台のオートバイに積 んで運んでいく。7時半に着くと、早速戯台に木偶戯の舞台を設置した。

写真33 安瀾廟の正門に掛けられる「定海区岑港 鎮里釣山老人協会」の看板

写真34 空っぽの神棚

(正殿の神棚の前では「元宝卓」の代わりに普通 の机を使ってある。)

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供え物は依頼者が 用意するが、邵雪英は 高齢のため、親戚の丁 雪元(50 数歳)が用 意した。丁雪元も岑港 に引っ越しているの で、式の準備のために 朝 5 時頃島に来た。供 え物は 5 種果物と 5 種菓子で、生臭ものを 使わなく、調理も必要 ない「祭神」(図 4-a、

第1章第 2 節参照)の 仕方にした。「元宝卓」

の代わりの机には、供

え物のほか、蝋燭、線香、爆竹、金箔で折った元宝と神への「経」(第1章第 2 節参 照)を用意した。下の図は、この時に奉納された、岑港の外廻峰寺からもらった「経」

で、紙には主催者の名前や祝言などが書かれており、主催者の願いを込めたものであ る。金箔で折った元宝はあの世で使用する金として神に奉納する。参加者は丁雪元と 手伝いに来た丁の夫、廟で住んでいる張おばあさん、及び近所に住む 3,4 名の老人で あった。

祭祀の準備が終ると、木偶戯の開始を待つ。願戯の進行は以下の通りである。

① 「鬧場」開始。〔7:30-〕

「鬧場」は銅鑼などの打楽器の連続的な伴奏で、式の開始を知らせる。丁雪元 の夫は線香と蝋燭をつけて、爆竹を三つ外で鳴らした。丁雪元はそれぞれの神

写真 35 戯台に設置された舞台(主演侯雅飛)

写真 36 神への「経」

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に線香を供えて祈祷した。祈祷内容:神様、この安瀾廟の弟子である我々の健 康と平安を見守ってください。

② 打楽器の演奏を停止、木偶戯開演。〔8:00-〕

木偶戯の最初には、必ず「小搭脚」が登場し、上演の理由や祝福の言葉、演目 などを神に伝える。「小搭脚」が言い間違えると、その上演は無効になるので、

人形遣いの主演は、慎重に注意して話す。今回の上演について、「小搭脚」は 次のように語る。

「做了—-順順利利啊,堂安瀾廟菩薩面前本地人信元邵雪英謝菩薩來,菩薩保佑 其身體健康,格搭其越來越健,搭其加福加寿,子孫搭其興旺發達,格謝謝菩薩 呢做一台小戲文,阿拉戲文呢做『珍珠百寶衣』,一日天娘(一個早上)工夫要 團團圓圓,順順利利啊。格做起來,格雪元屋裡(家裡)也撥其順利,菩薩保佑啊!

格做起來——」

(訳)

「始まり、始まり。万事順調を願い、この安瀾廟の神様の前で地元信者の邵雪 英が神様に感謝するためにきました。神様たちが邵雪英の健康を見守って、福 と長寿をさずけ、その子孫繁栄を願います。それで、神様への感謝のために、

小戯文 1 回を上演します、演目は「珍珠百宝衣」で、午前中半日で物語は団円 を迎え、万事順調に運びます。では始まり、始まり。この雪元一家も万事順調 にいきますよう、神様にお願い申し上げます。始まり、始まり。」

今回演じる「珍珠百宝衣」は、落魄した書生が神の加護で科挙に合格し、も との婚約者とめでたく結婚する物語である。

③ 上演中、丁雪元は線香の火をたやさないように足したり、叩頭・祈祷したりす る。その場にいる人々は木偶戯を見ていた。

④ 芝居終了。〔10:00〕

「小搭脚」は再び登場し、「小戯 文落台,順留発大財,雪元屋里(家 里)也撥其発大財。謝謝—--」(小 戯文はおしまい、万事順調、商売 繁盛。雪元一家も商売繁盛、神様 に感謝します)と上演の終了を告 げる。

⑤ 「鬧場」再開。「鬧場」の伴奏が 続く間に、丁雪元の夫は四つ爆竹 を外で鳴らして、元宝の形に折っ た紙銭と「経」をすべて焼いた。

侯雅飛によれば、爆竹を鳴らすに

は「前三後四」の鉄則があり、その理由は分からないが、つまり始まる時には 三つ、終わる時には四つという。

写真37 木偶戯の上演を見る人たち

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⑥ 供え物を片付けてその場にいる人々に配って、解散。〔10:15〕

今回の上演では侯家班は 1000 元の上演料を受け取った。これは四分割して、班主 の侯雅飛は主演でもあり、上演料の四分の二を得た。伴奏者は各四分の一のほか、タ バコ(値段 20 元)一箱をもらった。一般には、朝食と昼食は主催者側が用意するが、

今回は依頼者本人がいず、それに島の廟で食事を用意することも面倒なのでやめた。

祭祀で使った供え物を食べると神に見守られると言われるので、参加者に配った。

以上の願解きは、文字どおり願が叶った時、即ち病気が治った時の例であるが、実 は願が叶わなかった時に願解きを行う例もある。2011 年 9 月 8 日白泉深坑嶺の竺霊寺 で潘偉慶が上演した願解きはその例である。王という家では、その息子は一年前に癌 と診断されたので、家族は息子のために「病気が治ったら、小戯文を一台奉納します」

と祈願した。息子は結局、癌のために亡くなった。しかし、王家は息子が亡くなった が、神にあの世で見守ってほしいと願って願戯を行った。