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第5章 舟山布袋木偶戯伝承の現在

第4節 神の誕生日―廟(会)戯―

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⑥ 供え物を片付けてその場にいる人々に配って、解散。〔10:15〕

今回の上演では侯家班は 1000 元の上演料を受け取った。これは四分割して、班主 の侯雅飛は主演でもあり、上演料の四分の二を得た。伴奏者は各四分の一のほか、タ バコ(値段 20 元)一箱をもらった。一般には、朝食と昼食は主催者側が用意するが、

今回は依頼者本人がいず、それに島の廟で食事を用意することも面倒なのでやめた。

祭祀で使った供え物を食べると神に見守られると言われるので、参加者に配った。

以上の願解きは、文字どおり願が叶った時、即ち病気が治った時の例であるが、実 は願が叶わなかった時に願解きを行う例もある。2011 年 9 月 8 日白泉深坑嶺の竺霊寺 で潘偉慶が上演した願解きはその例である。王という家では、その息子は一年前に癌 と診断されたので、家族は息子のために「病気が治ったら、小戯文を一台奉納します」

と祈願した。息子は結局、癌のために亡くなった。しかし、王家は息子が亡くなった が、神にあの世で見守ってほしいと願って願戯を行った。

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く解体工事が開始されるということだった。この廟は里釣山島の安瀾廟と違って、宗 教行政機関に宗教施設として認められたものなので、財神殿の土地が政府に収容され ると補償金も支払われるという。(移転再建する予定と聞く)

嶴山島の財神殿は、元々は別の場所にあったが、文革後、1989 年に、もと生産大隊 の講堂と事務所を改修して、この場所に再建された。講堂は正殿となり、隣の事務所 は厨房となった。正殿は財神を中心に、その左に三官殿、右に竜王宮がある。厨房に は竈神が祭られている。近くに住んでいた唐如竜(70 数歳)が、財神殿の管理、清掃 を行っていた。去年、唐の自宅も解体されたため、現在は嶴山を離れたが、鍵は唐が 管理しているので、必要な時には島に行く。

旧暦八月三日は財神の誕生日なので、その日には財神殿で供え物をして、地元の 人々が集まって参拝する。島を離れた後も人々は遠くから訪れる。再建後の財神殿で は、神の誕生日に木偶戯を神に奉納するのが恒例になっていたが、最近は漁業の衰退 で嶴山の景気はよくないので、節約のため木偶戯の上演は行われていなかった。しか し、2014 年の廟会は嶴山島での最後の廟会なので、木偶戯の上演が行われた。

2014 年旧暦八月三日、島の元の住民は定海や沈家門から約 30 人参拝に来た。その 中で、祭礼行事の費用や木偶戯の上演費用などを負担した者は 6 人で、この 6 人の家 族が、今回の祭礼の中心となる。嶴山島の廟会は数軒が集まって祭礼を行うのが普通 である。

供え物は「祭神」(図 4-c、第1章第 2 節参照)の基準にした。神に届ける「経」

は、ここでは赤い紙封筒に入れてあった。その赤い封筒には、財神宛てに、内容、送 り主が書いてある。

「孫孫子劉波謝」というのは曾孫の劉波である。ここで、劉波が自分を財神の曾孫

(孫孫子)としているのは、祖父がこの廟の財神を義理の父にしたことを示す。「孫 孫子×××」のほかに、「孫子(孫)×××」、「玄孫×××」と書いてあるものも あった。このような「経」はこの祭りに出資した家族なら何通でも送ることができる。

六家族の出資者のうち、五家族は財神と義理の親子関係を結んでいる。残りの一家族

写真38 「祭神」の供え物 写真39 「経」

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は財神と義理の親子関係が結んでいない。家族に困ったことが起こったときには、い つもこの財神殿でくじを引いて解決を求める。今回の出資者六家族のうち、一家族の み「経」に「弟子」と書いており、即ち父子関係を特に結んでいないことである。

頼まれた戯班は定海の侯家班であ る。侯家班は 6 時に定海を出発し、7 時 20 分に嶴山島に着いた。財神殿に は正式な戯台がないので、木偶戯の舞 台は本殿の中に設置した。主演や伴奏 者を隠すための両側の幕は、釘で殿内 の壁に掛けた。

儀礼は朝 8 時から始まり、順番は安 瀾廟での願解きとはほとんど同じだ った。「小搭脚」が主催者の名前や神

に奉納する人の名前、上演の理由な どを報告してから、芝居の上演が始 まる。今回の演目は「李文忠出考」で、科挙受験に行く話である。上演は午前 8 時か ら 10 時 15 分、午後 12 時 30 分から 14 時 45 分の二回だった。侯家班の上演料は 2000 元、それにタバコの代わりに一人 50 元もらった。そして、主催者のほうは芸人たち に昼食を用意したほか、今回は朝の出発が早かったので、簡単な朝食も用意した。「廟 会」の関係者によれば、今回の祭礼では、供え物や木偶戯上演の費用など全部で 3000 元かかった。それを六軒の主催者で均分した。

2 白泉深坑嶺の竺霊寺の廟戯

白泉深坑嶺の竺霊寺は、だいたい舟山島の真ん中に位置している。竺霊寺に祭られ ている泗洲神の誕生日は旧暦八月十六日で、舟山の伝統的な中秋節と同じ日である129

その日に行う儀礼では、木偶戯を神に奉納するのも恒例になっている。泗洲神は観 音の化身であって信者が多いので、廟会になると、この地域の人々だけではなく、定 海の他の地域や沈家門などから多くの参拝者が訪ねてくる。地元では男の子が生まれ た時に、泗洲神を義理の父にすることが多い。

竺霊寺で行われる木偶戯のほとんどは、その近くに住む潘偉慶の戯班に依頼する。

そのため、潘偉慶の舞台は泗洲大殿に一年中置かれている。上演当日に設置する必要 はない。潘偉慶は鄭明祥の後継ぎで、2000 年ころから戯班をゆずられて現在に至る(本 章第 2 節参照)。

129中秋節は本来旧暦の 8 月 15 日であるが、舟山では 8 月 16 日に行う習慣である。廟会の知らせは写真 41 を参照。内容:「敬告香客敬重書 農曆八月十六又來了,泗洲神菩薩(生日),本院定於八月十六(陽 曆 2014.9.9 日)舉辦華誕拜生慶典法會,中午操辦生日酒宴。敬請廣大信眾香客屆時光臨,共慶同賀。致 以佛禮 竺靈寺管委會 2014.8.25」

写真 40 侯家班の上演(2014 年 8 月 27 日撮影)

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2014 年の竺霊寺の廟戯も潘偉慶の戯班に 依頼した。木偶戯の上演は「祭神」と共に 6 時半から始まり、2 時間行われた。そこまで のやり方は嶴山島の廟戯とほとんど同じで あるが、その後に廟会の参加者が神の前で 線香を捧げてひざまずく参拝儀礼が行われ た。儀礼はこの日に訪れた約 500 人を対象 に行い、進行係の指示により勧められた。

参拝は毎回 3-7 人ずつ、名前が呼ばれたら、

神の前で揃って拝礼する。一家族でも数家 族でも構わない。進行係は越劇の曲調で祝 言を唱える。祝言はまず「泗洲大神生日到, 弟子們個個都来到。拝拝大神多保佑, 保佑 我們弟子們,四季平安萬事大吉。」と唱え、

次には事業の順調や家庭の幸福、外出安全 に関する祝福や神への感謝の言葉を唱える。

その横では木偶芸人が楽器の伴奏を行う。

この儀礼は約 3 時間かかった。今回の進行 係は専門の人に頼んだが、木偶芸人が担当 する場合もある。

写真42 参拝儀礼(2014 年 9 月 9 日撮影) 写真43 木偶芸人による伴奏

(2014 年 9 月 9 日撮影)

写真 41 2014 年廟会の知らせ

(2014 年 9 月 9 日撮影)

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参拝儀礼終了後、11 時半から寺の食堂で廟会の宴会が行われる。食堂では 10 人一 卓の料理、50 卓が用意された。宴会後、供え物の饅頭1個と乾麺1束を参加者に配っ た。木偶芸人も一緒に食事をした。

木偶戯の上演は午前中、「朱元竜出世」で、明代の最初の皇帝の朱元璋の子供の時 の物語である。その後、参拝儀礼と宴会の後、12 時半から再び上演した。演目は午前 中とは変えて、「薛丁山征西」を演じた。この演目は数年にわたって上演しているも ので、去年の続きの一段を演じた。これは来年の廟会に続くという。上演は 15 時半 まで続いたが、ほとんどの参拝者が帰り、木偶戯を見る人は四五人だけだった。