第 2 章
音韻論
本章では、波照間方言の音韻に関して述べる。まず2.1で音素を提示し、続く2.2と2.3で音節構造と アクセント体系について述べる。2.4でイントネーションについて記述し、最後に2.5で音韻規則につい て述べる。
表2.1: 子音音素目録
唇音 歯茎音 硬口蓋音 軟口蓋音 声門音
閉鎖音 無声 p t k
有声 b d g
破擦音 無声 c
有声 z
摩擦音 f s h
鼻音 m n
はじき音 r
接近音 w j
表2.2: 母音音素目録
前舌 中舌 後舌
狭 i ï u
中 e ë o
広 a
2.1.1 子音音素
子音音素は調音点からみて唇音、歯茎音、硬口蓋音、軟口蓋、声門音の各類に分類され、また調音方法 から見て閉鎖音、破擦音、摩擦音、鼻音、はじき音、接近音の各類に分類される。/z/は、歯茎摩擦音/s/
に対応する有声子音ではなく、無声歯茎破擦音/c/に対応する有声子音と解釈する。このように考える根 拠は、歴史的に/c/と/z/がクラスを成していると考えるからである。例えば、/zï/「乳」は、後に2.3で 述べる通り、平進型アクセントを持つ。波照間方言の平進型アクセントは、語頭に無声子音あるいは母音 が想定され、歴史的に*cï>zïの変化があった可能性が高い(麻生・小川2016)。よって、閉鎖音と破擦 音に関して、有声・無声の対立が観察されると分析する3。
子音音素に関して特筆すべき点は(1)無声閉鎖音と無声摩擦音が語頭で帯気音として実現する点と、
(2)いくつかの子音音素が、環境によって他の子音音素と中和する、すなわち同じ分節音で実現する点で ある。前者に関しては、各異音を参照されたい。後者に関しては、3つの環境が観察される。/t/は/i/の 前で口蓋化し、結果として/ci/と中和する。/d/は/i/の前で口蓋化し、結果として/zi/と中和する。/h/
は/u/の前で唇音化し、結果として/fu/と中和する。形態論的な観点から、明らかに/ti/、/di/、/hu/
3 一方で、議論の余地は残る。連濁の音韻規則(2.5.4)には、無声摩擦音/s/が/z/と交替する例、すなわちsara「皿」という 語が含まれていると考えられるkuzara「小皿」、buzara「大皿」という語が見つかっているからである。連濁によって無声 閉鎖音/c/と/z/が交替する例は見つかっていない。ただし、無声閉鎖音/p/および摩擦音/f/は、共に連濁によって有声両 唇閉鎖音/b/と交替する例が見つかっているため、連濁の規則だけでは決めかねる。従って筆者は、/z/を/c/に対応する有 声子音とする歴史的な説明にも耐えうる立場を選択した。
であるものについては、それぞれの音素/ti/、/di/、/hu/として扱い、それ以外のものは実現音を優 先し、統一して/ci/、/zi/、/fu/として扱う。例えば、これまでの調査では、次に挙げる/uti/「落ち
る」、/ndi/「出る」、/hunu/「あげない」でのみ明らかである。
(2-1) /uti/ [utCi] 落ちる(cf. /uta/「落ちている」)
/maci/ [m5tCi] 待つ(cf. /macu/交替語幹)
/ndi/ [ndzi] 出る(cf. /nda/「出ている」)
/zin/ [dzin] 銭
/hunu/ [fhu
˚n
˚u] あげない(cf. /hi/「あげる」)
/funi/ [fhu
˚n
˚i] 船
2.1.1.1 閉鎖音
閉鎖音は/p/、/b/、/t/、/d/、/k/、/g/の6つで、3つの調音点のそれぞれで無声と有声の対立が ある。無声閉鎖音は、帯気音として実現する。2音節以上からなる語でかつ初頭音節が軽音節からなる語
(例えば/pïtu/「人」や/paton/「鳩」など)では、語頭の無声閉鎖音の帯気が後続する母音を無声化す
る(2.2.2)。
■唇閉鎖音
唇閉鎖音には、無声の/p/と有声の/b/の2つを認定する。
• /p/
– 無声帯気両唇閉鎖音:[ph] (2-2) 語頭
/paa/ [ph5:] 葉
/pii/ [phi:] 火
/puu/ [phu:] 穂
/pee/ [phe:] 南
/poo/ [pho:] 穂
/pëë/ [phE:] 灰
/pïni/ [ph1
˚n
˚i] ひげ
(2-3) 非語頭
/sïpari/ [sh1
˚ph5Ri] 小便 /tapi/ [th5
˚phi] 旅
/busupu/ [bushu
˚phu] 尻尾 /asïpoo/ [5sh1
˚pho:] 遊びます
/pï/は基本的に語根頭以外の環境では現れない。複合の形態操作を受けた場合は語中に現れうる。
(2-4) /ucïzapïtu/ [uţ1z5ph1
˚tu] 兄弟(/ucïza/「兄弟」+/pïtu/「人」)
/jamatupïtu/ [j5m5tuph1
˚tu]大和人(/jamatu/「大和」+/pïtu/「人」)
語中に/pï/が観察される例として、/pïïpï/「とても薄く」というような語が例外的に残る。
(2-5) /pïïpï/ [ph1
˚:ph1] とても薄く(cf. /pïsjaha/「薄い」)
このような例は、歴史的には語根の重複という形態操作で説明できる可能性が高い。なぜなら/pïipï/
「とても薄く」に対して、/pïsjaha/「薄い」という語が観察されるからである。/pïsjaha/「薄い」の語 根/pï/が重複したと考えれば、/pïïpï/の語中の/pï/も語根頭と考えられる。重複法に関しては、この 他、副詞に10個程度、動詞に2例見つかっているのみで現代では観察されない。重複については6.6.2を 参照されたい。
• /b/
– 有声両唇閉鎖音:[b]
(2-6) 語頭
/baa/ [b5:] 1st.sg
/bira/ [biR5] ニラ
/busupu/ [bushu
˚pu] 尻尾
/bee/ [be:] 1st.pl.inc
/boo/ [bo:] 棒
(2-7) 非語頭
/aba/ [5b5] 油
/naabi/ [n5:bi] 鍋
/takabu/ [th5
˚kh5bu] 煙草
/abee/ [5be:] あらまあ(感嘆詞)
/abo/ [5bo5] お母さん(/abwa/〜/abo/)
■歯茎閉鎖音
無声の/t/と有声の/d/の2つを認定する。/ti/、/di/は、それぞれuti「落ちる」、ndi「出る」とい う動詞語幹で見つかっているのみである4。
• /t/
– 無声歯茎硬口蓋破擦音:[tC]/ _i
4 /ti/に関しては、歴史的に[ti]が実現していた可能性がある。現代の共時態で/ci/と解釈する語の中で、/sitomuci/
[Chi
˚tomutCi]「朝」がある。これまでの調査で、1度だけ/sitomuci/が[Chi
˚tomuti]と実現した例を観察した。これは、/ti/
がかつて[ti]で実現していた表れかもしれない。/sitomuci/に関しては、周辺の言語を見ると歴史的に/sitomuti/であった 可能性が高いが、観察されたのはその一度のみであるため、本論文では/sitomuci/として扱う。2.1.1の冒頭で述べた通り、
現在は[tCi]と発音されるものには/ti, ci/があり、本論文では形態論的な観点で/ti/と解釈できるもののみ/ti/と認定する。
– 無声帯気歯茎閉鎖音:[th]
/t/には、特定の語彙に自由変異として[t:h]が見つかっているが、規則による一般化が現段階ではでき ない。トークンによって短子音で実現する場合と、長子音で実現する場合がある。
(2-8) /ota/ [oth5]〜[ot:h5] いらっしゃった(cf. /o/「いらっしゃる」)
/bata/ [b5th5]〜[b5t:h5] お腹
本節の冒頭で述べた通り、/ti/は形態論的な観点から/ci/ではないことが明らかなものにのみ認定し ている。従って/ti/の例はuti「落ちる」のみである。形態的に/ci/ではなく/ti/だと考えられる理由は、
「落ちる」を意味する[utCi]が、[ut5](/uta/)「落ちている」に変化するからである。一方、形態的に/ci/
と分析する語には、例えば「持って」を意味する[mutCi]や、「待って」を意味する[m5tCi]がある。これ らの動詞語幹は、それぞれ[muţ5nu](/mucanu/)「持たない」、[m5ţ5nu](/macanu/)「待たない」
と変化するためそれぞれ/muci/、/maci/と分析する。
(2-9) [tC]
/uti/ [utCi] 落ちる
(2-10) [th]:語頭
/taa/ [th5:] 誰
/tun/ [thuN] 妻
/tokkin/ [thok:iN] グアバ
(2-11) [th]:非語頭
/sata/ [sh5
˚th5] 砂糖
/butu/ [buthu] 夫
/fute/ [fhu
˚the] 額
/paton/ [ph5
˚thoN] 鳩
• /d/
– 有声歯茎硬口蓋破擦音:[dý]/ _iかつ先行する音素がV以外 – 有声歯茎閉鎖音:[d]/上記以外の環境
/di/の例はndi「出る」のみである。例えば、「出る」を意味する[ndýi]が、[nd5](/nda/)「出ている」
に変化する。従って[ndýi]を/ndi/と分析する。ただし、/ti/と/ci/に挙げた例のように、語幹末で/di/
と/zi/のペアが観察されないので、形態論的に議論できない。しかし/t/と/c/の体系性を考慮し、/d/
と/z/と分析した。
(2-12) [dý]
/ndi/ [ndýi] 出る(cf. /ndan/「出た」)
(2-13) [d]:語頭
/daa/ [d5:] 2nd.sg
/duu/ [du:] 体(胴)
/deera/ [de:R5] とても
/doo/ [do:] 〜だよ(助詞)
(2-14) [d]:非語頭
/onda/ [ond5] かご
/jadu/ [j5du] 戸
/agadeguni/ [5g5deguni] ニンジン
■軟口蓋閉鎖音
無声の/k/、有声の/g/の2つを認定する。
• /k/
– 無声帯気軟口蓋閉鎖音:[kh] (2-15) 語頭
/kaa/ [kh5:] 匂い
/kii/ [khi:] 毛
/kuu/ [khu:] 粉
/kee/ [khe:] 井戸
/koozi/ [kho:z1] 麹
(2-16) 非語頭
/sïkara/ [sh1
˚kh5R5] 力 /saki/ [sh5
˚khi] 酒
/taku/ [th5
˚khu] タコ
/sïken/ [sh1
˚kheN] 月
/sako/ [sh5
˚kho] 咳
/k/には、自由変異として[k:h]が特定の語彙に見つかっているが、規則による一般化が現段階ではで きない。トークンによって短子音で実現する場合と、長子音で実現する場合がある。
(2-17) /gaku/ [g5khu]〜[g5k:hu] 学校
• /g/
– 有声軟口蓋閉鎖音:[g]
(2-18) [g]:語頭
/gaja/ [g5j5] 萱
/giigi/ [gi:gi] はっきり
/guccee/ [gutţe:] 雄牛
/gokka/ [gok:h5] ニワトリ
(2-19) [g]:非語頭
/iga/ [ig5] イカ
/irigi/ [iRigi] 鱗
/kagu/ [kh5
˚gu] かご
/jafugee/ [j5fhuge:] (着物などの)入れ物
2.1.1.2 破擦音
破擦音として無声の/c/と、有声の/z/の2つを認定する。/c/は破擦音で実現し、/z/は現れる環境 により、破擦音または摩擦音として実現する。2.1.1の冒頭で述べた通り、/z/は、/s/ではなく/c/と対 を成す。
/c/は語頭で現れる例が見つかっていない。例はすべて語中のものである。
• /c/
– 無声歯茎硬口蓋破擦音:[tC]/ _i – 無声歯茎破擦音:[ţ]/それ以外の環境 (2-20) [tC]
/sitomuci/ [Chi
˚thomutCi] 朝 /fuciri/ [fhu
˚tCiRi] 薬
/muci/ [mutCi] 持って(cf. /mucu/「持つ」)
/inaci/ [in5tCi] 海へ(向格助詞/ci/「〜へ」)
(2-21) [ţ]
/fuca/ [fhu
˚ţ5] 草
/micï/ [miţ1] 道
/fucu/ [fhu
˚ţu] 糞
/guccee/ [gutţe:] 雄牛
/c/には、自由変異として[tţ]が特定の語彙に見つかっているが、規則による一般化が現段階ではでき ない。トークンによって短子音で実現する場合と、長子音で実現する場合がある。
(2-22) /nicï/ [niţ1]〜[nitţ1] 胸
/gucirumin/ [gutCiRumiN]〜[guttCiRumiN] 脇
• /z/
– 有声歯茎硬口蓋摩擦音:[ý]/ V_i
– 有声歯茎硬口蓋破擦音:[dý]/ #_iあるいはn_i – 有声歯茎摩擦音:[z]/ V_V1(V1:/i/以外)
– 有声歯茎破擦音:[dz]/上記以外の環境 (2-23) [ý]
/uzi/ [uýi] 腕
/deezi/ [de:ýi] 大変
/mugazi/ [mug5ýi] ムカデ
(2-24) [dý]
/zinto/ [dýintho] 空
/utamanzi/ [uth5m5ndzi] 子ども達 (2-25) [z]
/pïmiza/ [ph1
˚miz5] ヤギ
/azï/ [5z1] 味
/uzu/ [uzu] 布団
(2-26) [dz]
/zaa/ [dz5:] どこ
/zïï/ [dz1:] 土
/zoo/ [dzo:] 門
/ganzan/ [g5ndz5N] 蚊
2.1.1.3 摩擦音
摩擦音として/f/、/s/、/h/の3つを認定する5。摩擦音に有声子音の音素はなく、無声子音の音素の み観察される。
■唇摩擦音
• /f/
– 無声帯気唇歯摩擦長音:[f:h]/ #_VV, CV_V – 無声帯気唇歯摩擦音:[fh]/上記以外の環境6
5/f/を認定せず、代わりに/hw/(音節構造としてはCG)と分析する立場は取らない。理由は、音声的に唇歯摩擦音である ことと、仮に/hw/と解釈した場合、動詞形態を分析する際に問題が生じるからである。例えば、nuf「寝る」という動詞に 継続の補助動詞1が後続する補助動詞構文nuf-j a(寝る-cvb継続1)「寝ている」は、/nuhwja/(CN.CGGN)と解釈さ れ、渡り音が2つ現れることになる。渡り音はその性質上、2つ現れるとは考えにくい。
6/sïfuku/「蜘蛛(巣吹き)」は、[sh1
˚fhu
˚ku]で実現する。[fh]が実現している点に関しては、形態素境界の初頭が語頭と同様 に解釈されのか、先行する形態素が/sïï/「巣」であるためなのか、どちらとも判断しがたい。/sïï/が/sï/に短母音化する理 由は、短母音化の音韻規則による。
(2-27) [f:h]:語頭
/faa/ [f:h5:] 蔵
/fii/ [f:hi:] 降って
/fuu/ [fhu:] 降る
/foo/ [f:ho:] 降ります
(2-28) [f:h]:非語頭
/nufa/ [nuf:h5] 寝よう
/mafa/ [m5f:h5] 枕
/nufi/ [nuf:hi] 寝て
/nufoo/ [nuf:ho:] 寝ます
(2-29) [fh]
/fuca/ [fhu
˚ţ5] 草
/funi/ [fhu
˚n
˚i] 船
/aafuu/ [5:fhu:] 灰汁(灰を溶かした水。洗い物に使用する。)
■歯茎摩擦音
• /s/
– 無声帯気歯茎硬口蓋摩擦音:[Ch]/ _i – 無声帯気歯茎摩擦音:[sh]/上記以外の環境 (2-30) [Ch]:語頭
/sii/ [Chi:] 手
/sipi/ [Chi
˚pi] 尻
/sino/ [Chi
˚n
˚o] 角
/simi/ [Chi
˚m
˚i] 爪
(2-31) [Ch]:非語頭
/asi/ [5Chi] 汗
/isi/ [iChi] 石
(2-32) [sh]:語頭
/saa/ [sh5:] 茶
/sïn/ [sh1N] 唾
/suumaarï/ [shu:m5:R@] 汁椀(suu「汁」+maarï「椀」)
/see/ [she:] (魚の)酢の物
/soogi/ [sho:gi] ざる