1.3 言語的背景
1.3.3 話者人口
波照間方言の話者人口を正確に示すことは難しい。しかし、筆者の経験から、1940年代半ば頃までに 生まれた方であれば、流暢な波照間方言を話すことが可能である。筆者のこの観察が正しいとすれば、波 照間島における波照間方言の話者人口は、およそ120人だと推定できる9 。ただし、波照間島以外にも石 垣島や本島などに移り住んでいる方もいるため、実際の波照間方言話者は120人よりも多いことが見込ま れる。
40〜60歳代の若い人々は、波照間方言を聞き理解することはできるものの、話すことは難しいようで ある。さらにそれよりも若い世代は波照間方言をほとんど理解することはできない。
1.3.4 島名・言語名
波照間島は波照間方言で「ベスマ」と呼ばれる。この語の意味は「私達の島」である。このような言い 方で波照間島を指す。形態的な構造を次に示す。
(1-1) be+sïma 1st.pl.inc+島
「私達の島」
be〜beは、1人称代名詞の包括複数形10である。ほぼ固有名詞化している11。
波照間方言は「ベスマムニ」と呼ばれる。この語の意味は「私達の島言葉」である。形態的な構造を次 に示す。
(1-2) be+sïma+muni 1st.pl.inc+島+言葉
「私達の島言葉」
波照間島や波照間方言を指す語には、1人称代名詞の包括複数形be「私達」が用いられる。それゆえ、
波照間島出身者でない限り、波照間島や波照間方言をベスマあるいはベスマムニとは呼べない仕組みに なっている(麻生2012)。従って島出身者か否かを問わず、誰もが使用可能な「波照間島」あるいは「波 照間方言」を指す固有名詞は波照間方言には存在しない12。
1.3.5 類型的特徴
波照間方言の類型的な特徴は次のとおりである。
9 竹富町HPより。アクセス:2016年2月18日。URL:http://www.town.taketomi.lg.jp/town/index.php?content_
id=41
10話し手と聞き手を含む。
11筆者に向かって1人称単数形ba〜baa「私」を用いた表現で波照間島を指す例(ba+sïma「私の島」)が見つかっているため、
完全に固有名詞化しているとは言えない。
12 波照間出身者以外が無理やり方言で言うとしたら、「クヌスマ(この島)」や「スマムニ(島言葉)」といった語を用いる。
• 基本語順は、日本語および琉球諸語を含む日本語族と同様にSV/APVである(4.1)。
• 修飾部や項に助詞が後続し、主要部に対する役割を示す特徴を持つため、従属部標示型の言語であ ると言える。
• 格標示体系は、日本語族のほとんどが主格対格型であるにもかかわらず、波照間方言は中立型であ る。(4.5.2)。
• 主要な品詞(名詞および動詞)に対する形態法は接尾辞の付加が最も多く、次いで複合が比較的よ く観察される(5章、6章)。かつてあったと推定される形態法に、重複がある(6章)。
• 音声的な特徴として、語頭の無声阻害音に後続する母音の無声化が頻繁に起こることが挙げら れる。
• 音韻的な特徴として、母音の長短、子音の長短の区別が基本的に非弁別的であり、三型アクセント 体系かつ語声調の言語であることが挙げられる(2章)。
1.4 先行研究
波照間方言に関する先行研究の多くは、八重山語の記述の一部として波照間方言に触れているものであ る(例えば、アクセントに関して挙げると、秋永1960,平山・中本1964,平山他1967など)。波照間方言 のみを詳しく扱った先行研究は限られている。ここでは先行研究の中でも、波照間方言あるいは波照間島 について詳しく研究されているものを、表1.1に挙げる13。
表1.1: 波照間方言に関する先行研究
言語学的分析 簡易文法書 Aso (2010, 2015a) , 麻生 (2015b) 音声・音韻 沖縄県教育委員会 (1975) ,加治工 (1996) アクセント 麻生・小川 (2016)
動詞形態 麻生 (2009)
言語資料 辞書 中松 (1987) ,平山 (1988)
談話資料 柴田 (1972)
諺集 西岡 (2010)
文化人類学的分析 アウエハント (2004) 波照間島全体に関する資料 沖縄県立博物館 (1998)
このうち辞書に関して、中松 (1987)は、波照間を含む複数の八重山語下位方言の語彙が対照できるよ う記されている。同じく辞書に関して、平山 (1988)は非常に詳しい辞書である。波照間方言のみを対象 にしたものではないが、波照間方言に関する語彙がイラスト付きで豊富に示されている。特に現在ではあ まり使用されていない漁業に関する語彙や、昔の生活に関する語彙は、調査中に話者がすぐに思い出せる ような語彙ではないため貴重である。談話資料に関して、柴田 (1972)は音声とその書き起こしがセット
13 表1.1に挙げた先行研究は、八重山語の一部として波照間方言に触れている細かい先行研究を網羅している。
になっており、談話が10話ほど収録されている14。文化人類学的な観点から詳しく記述されたアウエハ
ント (2004)は、言語資料としても価値が高い。地名や屋号を網羅し、現在では失われつつある波照間島
の神行事に関してもセリフとともに記されている。
14 この録音資料を書き起こしし直したものに関して、次のウェブサイトで公開している。URL:http://haterumatext.
webcrow.jp
第 2 章
音韻論
本章では、波照間方言の音韻に関して述べる。まず2.1で音素を提示し、続く2.2と2.3で音節構造と アクセント体系について述べる。2.4でイントネーションについて記述し、最後に2.5で音韻規則につい て述べる。