第 1 章 〈従軍慰安婦問題〉の諸相
3.2. 雑誌記事にみる日本人「慰安婦」像と「被害」の再構築
雑誌記事では,日本人「慰安婦」は大半は以下のように説明されていた.
当初の慰安婦は,国内の売春経験者から志願の形でかき集められた.しかし,圧倒 的に人数不足.しかも,志願者には性病キャリアが多かった(『FLASH』1991: 49)
日本人の女たちは「承知」して志願した娼家出身の者が多かったが,朝鮮人や中国 人の女たちは,かっさらわれるようにして連れてこられた処女がほとんどだった.(石 坂 1992: 86)
はじめは,〔多かったのは〕日本人慰安婦だったんですよ.しかし日本人の売春婦 には梅毒持ちが多かった.オバサンが多かったから,無理もきかない.(『週刊ポスト』
1992.2.28: 115)
二点目のテクストは漫画家の石坂啓が執筆した記事である.石坂はフェミニストの視点 で1980年代に〈従軍慰安婦問題〉を告発する作品も発表していた(石坂 1984).「慰安婦」
制度の暴力性を熱心に世に問うてきたといえるが,日本人「慰安婦」の境遇へはあまり関 心が注がれていない.三点目のテクストは映画『沖縄のハルモニ』を監督した山谷哲夫の 発言である.
次はある証言集会を取材した記事で報告されている,被害者の発言である.彼女は外出 が許されたある時,日本人女性がきれいな着物を着て男性と楽しそうに歩いているのを見 て恨めしく,心の中でこう叫んだという.
どうして韓国(注・発言のまま)の女である私が身がわりになって,こんな目にあ わなければならないのか! 本当はあなたが,日本の兵隊の慰安婦になるべきじゃな いのか,と.(大羽 1992: 131)
このような思いに至った被害者を,誰も責めることはできないだろう.しかし,日本人
「慰安婦」被害者が同じように糾弾する言葉がマスメディアに載らないなかで,朝鮮人女
性や諸外国の女性が「慰安婦」にされたことこそが被害だという印象を与えるに十分なテ クストである.
以上より,日本人「慰安婦」は朝鮮人女性を中心とした諸外国の被害者と切り離され,
被害者の位置から外れる存在であった状況が確認できる.
〈従軍慰安婦問題〉の言説空間には,次第に否定論者の言論が目立ち始める.作家の上 坂冬子は「慰安婦」制度の暴力性を否定する急先鋒であった.『週刊ポスト』に掲載された 上坂の寄稿「新聞の“従軍慰安婦”報道って,おかしくありません?」の論旨は,「慰安婦」
制度は必要悪,彼女たちは報酬を得ていた,当時朝鮮人は日本人であったのだから差別で はない,すでに補償済みである,「慰安婦」制度の問題化は「日本人が焚きつけた」といっ た内容である(上坂 1992).これを発端として「投書が殺到」し,最終的に「読者からの 投稿は数千通に達した」(『週刊ポスト』1993.5.7・14: 225).掲載された投書のうち,上坂 への批判を展開する,いわば被害者の痛みに共感的なもののなかから 3 点を以下に取り上 げる.
伊東秀子・社会党衆院議員(最近になって従軍慰安婦問題に日本軍が関与したこと を示す資料を発見,国会で取り上げた)
「問題にすべきは日本が人間の尊厳,人格を冒とく,陵辱したという事実です.と くに儒教道徳による貞操観念の強い朝鮮の少女たちに強制したということに対し,人 間としてキチンと考えなければならない.(中略)かつての戦争を正当化することで,
国際貢献などといえますか.アジアの人たちに対し,本当に申し訳なかったと謝ると ころから始めようと考えるべきです.(中略)」(『週刊ポスト』1992.3.13: 197)
人間の尊厳や人格の尊重は被害者に寄り添うための大前提とされるべきであるが,「儒教 道徳による貞操観念の強い朝鮮の少女たちに強制した」ことの深刻さが強調されるとき,
すでに「貞操」を奪われていた遊郭出身の女性だけでなく,騙されて慰安所に送られた人 も含むすべての日本人「慰安婦」被害者が,被害の深刻さを相対化する秤にかけられ,被 害者性が少ないものとみなされてしまう.なぜなら上記のテクストだけでなく,あらゆる テクストにおいて「貞操観念の強い日本の女性に『慰安婦』を強制した」という言い回し はなされないからである.つまり,「貞操観念」の強さは朝鮮人女性の固有の特徴とされる と同時に,その語りは日本人「慰安婦」の被害を深刻視させない方向にはたらくレトリッ クとして機能するのである.
次のテクストは,やはり朝鮮人「慰安婦」と日本人「慰安婦」の被害の質の差を論じて いる.
M・S氏 男性
「日本人慰安婦もたしかにいただろう.しかし,日本人慰安婦と朝鮮人慰安婦が全 く同様に集められ,扱われたというのなら,まずその証拠を示すべきである.甘言で だまし,あるいは乳飲み子から無理矢理引き離して連れ回したということが,日本人 女性にも広範に行われたという資料を提出していただきたい.(中略)」(『週刊ポスト』
1992.3.13: 198-9)
この書き手は,上坂が「戦時中,朝鮮半島出身の女性は日本人であった.日本本土で生 まれた人も,朝鮮半島で生まれた人も,当時はともに日本人として日本の国策にそって行 動したのである.当然,どちらも従軍慰安婦となって日本軍を慰安し,報酬を得た」(上坂 1992: 216)と記したことを批判していると考えられる.上坂の主張は植民地支配を成り立 たせていた権力関係を無視した乱暴なものであるが,上坂を批判するために朝鮮人「慰安 婦」被害者の被害を強調するテクストは,日本人「慰安婦」被害者の痛みを不問に付して いる.
後の研究からは,日本人「慰安婦」被害者も甘言で騙されて連れていかれた人がいるこ とがわかっている.また遊郭に入れられていた日本人女性の場合は,妊娠・出産が許され ないため,元から乳飲み子を抱えるという経験すら奪われていた.「乳飲み子から無理矢理 引き離し」て朝鮮人女性を強制連行するという暴力的なイメージは吉田清治の著書や証言 から広まったが,吉田証言の根拠は不明確である.よって,このテクストにおいて有効に 反論しうる要素は,朝鮮人女性を「慰安婦」にすることが「広範に」行われたという点に 限られるのではないだろうか.
次のテクストも,植民地支配という文脈を強調するものである.
K・A氏(59)女性
「当時,朝鮮の北部に住んでいた愛国少女の私にも,日本と朝鮮は一体であるとい う考え方は日本の都合の良い時だけのもので,(朝鮮の人々には)差別,差別の現実だ った.日本政府が,天皇だ,国のためだといって人数集めをして強制的に慰安婦を連 行した話も,あの状態では珍しいことではなかったろう.日本の国民だって,不当に 親兄弟を殺されて声にならない怒りを持つ人は多いと思うが,当時の植民地の人々の 怒りはひとしおだろうと思わざるを得ない.
私も,母と兄姉の 3 人を戦争で亡くした.(中略)苦しめられた人たちに対しては,
速やかに補償すべきだと思う」(『週刊ポスト』1992.3.20: 216)
上坂への批判として,書き手自身の記憶に刻まれたリアリティを元に当時の民族差別の 問題を説得的に論じている.ここでは強制的に連行された朝鮮人「慰安婦」に,強制的に 連行された日本人「慰安婦」ではなく,不当に殺された親兄弟が対置されている.この構 図は,被害国と加害国の対比というより,深刻な被害を受けた人の怒りを想像させるため に,身近な存在である家族を失うという経験が持ち出される.日本人「慰安婦」の痛みで もって朝鮮人「慰安婦」の痛みを感じ取らせるという論法にはならない.
以上のテクストにみられたように,日本人「慰安婦」は朝鮮人「慰安婦」の被害者性を 強調するために言及される傾向があった.そのため,日本人「慰安婦」被害者も謝罪・補 償の対象とすべきという発想は出てきにくい.意図的に排除するわけではないにせよ,朝 鮮などアジア諸外国への加害を強調すればするほど,日本人「慰安婦」の被害者性は論点 とならなくなり,霞んでいく.
日本人「慰安婦」の被害を伝えるテクストも確認できたが,概ねそれらは国家責任を問 わない右派の論理に基づいたテクストであった.
4. 「慰安婦」に関する日本政府の認識