第 1 章 〈従軍慰安婦問題〉の諸相
3.1. 新聞記事・投書にみる日本人「慰安婦」像と「被害」の再構築
朝日新聞記事では「慰安婦」は「大半は朝鮮人だった」という言説が支配的であり,「強 制連行」の文脈で語られる傾向があった.日本人「慰安婦」について具体的なことが語ら れた記事は表1の通りである.これは投書を含む数である.
[表1] 朝日新聞の「慰安婦」記事数推移 「聞蔵Ⅱ ビジュアル」より件数確認し作成
年次 総数 うち 日本人※
1970 0 0
1971 1 0
1972 0 0
1973 0 0
1974 0 0
1975 0 0
1976 0 0
1977 0 0
1978 0 0
1979 1 0
1980 0 0
1981 0 0
以下は,1937年から足かけ3年中国大陸を転戦したという元日本軍兵士である男性「池 田市 藤本長太郎 無職 76歳」からの投書である.
日本,朝鮮,中国のピー屋があった.時と場所によっては白系ロシア人の慰安婦も いた.兵隊たちにもてはやされたのは何と言っても日本人慰安婦だった.戦地で日本 人,しかも「ご婦人」に会えるなんて夢にも思わなかったからである.
ある日のこと,話をしているうちに,大阪のM遊郭から来ていることがわかった.
戦地で一もうけしようと,たくらんだ抱え主に連れられて来たのだという.抱え主 は軍属のような待遇を受けていたらしい.(中略)
戦争という異常事態が引き起こした慰安婦の問題解明は至難の業だが,全部が全部,
強制連行の一言で片付けられるものではないと思う.(『朝日新聞』1991.7.13朝刊,大 阪版)
日本人「慰安婦」が望んで慰安所に行ったのではなく,「抱え主に連れてこられて来た」
年次 総数 うち 日本人※
1982 0 0
1983 0 0
1984 2 0
1985 4 2
1986 2 1
1987 3 1
1988 10 3
1989 14 0
1990 23 1
1991 150 4
1992 724 16
1993 424 3
※ 「慰安婦」制度における日本人「慰安婦」を具体的に示す内容に限定.「日本人もいたが大半は朝鮮人だった」等,
朝鮮人の被害を強調するための言及にとどまるものやフィクションは含まず.「日本人」の語がなくても実質的に 日本人「慰安婦」にまつわる具体的内容を示すものは含める.
という事情が伝えられている.これに関連して,「大阪市 李萬九 工程管理業 74 歳」とい う在日コリアンとみられる読者から次のような投書が寄せられた.
本欄によれば「大阪のM遊郭から来た慰安婦もいたから,金に買われた女性も多い」
とあったが,彼女らは軍人の慰安婦になるために身を売ったのではない.年配の方な ら彼女たちの境遇は理解できると思う.ちなみに朝鮮人の娘たちは強制連行である.
(中略)
この悲惨な出来事に,同性である日本の女性たちが救いの手を差し伸べようともせ ず,無関心なのが無念でならない.(『朝日新聞』1991.7.30朝刊,大阪版)
まだ金キム学ハク順スンさんの名乗り出の前なので,被害者個人への具体的な支援運動は形成されて いない時期だが,金学順さんの名乗り出以降も一貫して日本人「慰安婦」被害者への大々 的な支援運動が起こらなかったのは確かである.
次の記事は,漢口兵站司令部で慰安係長だった山田清吉さんの証言を紹介している.
山田さんは1943年4月,転属で慰安係長になった.(中略)11業者がおり,日本人 130人,朝鮮人150人の慰安婦がいたという.
山田さんは「軍の命令で,大阪などの遊郭が支店を出していたケースもあった.(中 略)」という.(『朝日新聞』1991.12.6夕刊)
朝鮮人「慰安婦」が150 人に対して日本人「慰安婦」130 人というのは,山田さんが配 属されていたところでは決して日本人「慰安婦」が少なくなかったことを示している.ほ かにも,日本人「慰安婦」の存在が多かったことを伝える記事がある.以下は「元憲兵ら」
の証言を伝える同一記事からの引用であり,一人目の男性が証言するのは国内の慰安所に ついてで日本人が多いのは不自然なことではないが,二人目は中国東北部に行っていた男 性の証言であり,そこでも日本人「慰安婦」は多かったということだ.
終戦直前の1945年春,憲兵伍長だった自分は,千葉の九十九里の部隊に上等兵とし てもぐり込んだ.(中略)一体には慰安所が3カ所あり,合わせて約60人いた.ほと んど日本人で,朝鮮人も少しいた.(中略)(69 歳・東京都千代田区)(『朝日新聞』
1992.1.22夕刊)
中国東北部の部隊に憲兵として送りこまれた.情報を集め,軍の不正を見張るのが
仕事だった.朝鮮人慰安婦が敵のスパイだったら大変なので,出身地や両親の仕事,
学歴などを報告させた.(中略)
日本人の慰安婦も多かった.補償する場合は,日本人も加えるべきだ.(73歳・東京 都町田市)(『朝日新聞』1992.1.22夕刊)
補償する場合は日本人「慰安婦」にも,という意見はほかの投書や記事には見当たらな かった.
これら以外にも,当時を知る男性の証言で,日本人「慰安婦」の存在を伝えるものが確 認された.1992年頃に〈従軍慰安婦問題〉に取り組む市民団体が独自に情報収集して発行 した証言集にはそうした証言が数多く収録されたが,朝日新聞がそれらの証言集を紹介す る際,証言集の男性証言を引用しているのである.「父が上海最大の慰安所を経営し,女性 は日本人と朝鮮人が10 人ずつ,中国人が20人いた.海軍特別陸戦隊と軍需廠(しょう)
の指定慰安所だった」(『朝日新聞』1992.5.26夕刊,大阪版)といった証言などが紙面で紹 介された.
1992年には「沖縄女性史を考える会」や弁護士グループが沖縄での慰安所の実体を調査 委し,沖縄に慰安所が121カ所あったという調査結果を発表した.その報道記事では,「慰 安婦の総数は明らかではないが,『考える会』は確認できた人数をもとに朝鮮人が延べ約550 人,日本人も含めれば約900 人に上ると推計している」(『朝日新聞』1992.10.24)と伝え ている.ここでは「日本人」の多くは沖縄の女性である可能性に留意したい.
また,政府調査の結果発表に関連する報道記事では当然,日本人「慰安婦」の存在も含 まれた調査結果が伝えられている.一次調査の結果を踏まえた1992年7月7日の加藤官房 長官談話の要旨が掲載された記事では,会見での「謝罪の対象は日本人慰安婦を含むのか」
という質疑に対して「当時の慰安婦の中に日本国籍がいちばん多かったことは事実だ.貧 しいが故にそういう仕事につかれた女性がいたことはいたましい」という返答があったこ とを報じている(『朝日新聞』1992.7.7朝刊).
二次調査の結果を踏まえ1993年8月4日に発表された河野官房長官談話を報じる記事で は,「戦地に移送された慰安婦の出身地については,日本を別とすれば,朝鮮半島が大きな 比重を占めていたが,当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり,その募集,移送,管理等 も,甘言,強圧による等,総じて本人たちの意志に反して行われた」という談話の文言も 紙面に登場している(『朝日新聞』1993.8.5朝刊).
このように,各種調査の結果,史料や証言などから日本人「慰安婦」が数多くいたこと が明らかになり,そのことが紙面にも情報として上がってはいたが,日本人「慰安婦」被 害者の救済を訴えたり補償すべきだと主張したりする議論が活発になる様子はみられなか
った.政治問題としての〈従軍慰安婦問題〉をめぐる報道は,朝鮮人女性への被害がクロ ーズアップされた後,アジアのその他の国々の被害者に関する報道も加わっていくが,日 本人の被害に関しては不問にされる傾向があったのである.
とはいえ,〈従軍慰安婦問題〉に対して政治・外交問題としてだけとらえるのではない,
性暴力の問題を追及する投書もみられる.以下の 2 点のテクストは,日本人「慰安婦」に 具体的に言及しているわけではないので表 1 の記事数には含めていないが,日本人「慰安 婦」の被害を訴えうる論理をもっているといえるだろう.
東京都 川田雅子(学生 20歳)(中略)
私が,今回の議論で納得が行かないのは,「日本が韓国に謝罪する」といった,国 家レベルだけで問題を片づけようとする考え方です.韓国に限らず,世界各地で,女 性は戦争などの被害者になっていたのです.かつての軍の関係者たちに,男性として の罪の意識はないのですか.(『朝日新聞』1992.1.31朝刊)
慰安婦問題が出た時,若い女性たちと話していて,1人から「日本の女性を慰安婦 として連れて行けばよかったのよ」と言われ,驚いた.
私は終戦を旧満州で迎えた.ソ連軍の軍隊が管理する収容所に入っていたとき,軍 隊の命令で,まだうら若い女性たちが数人引っ張られて行った.その中の1人は,う ちの家族とも仲良しの人の良い看護婦さんだった.(中略)皆がいよいよ日本に帰る ため,収容所を出て街へ向かったとき,気が変になり衣服もボロボロの看護婦さんが,
ふらふらと歩いていたという.(中略)
よその国も我が国もなく,戦争はすべての女性を犠牲にして行われていると思う.
日本の男たちよ,二度とよその国を占領するなど思うなかれ.(福岡市東区 石原喬子 主婦・55歳)(『朝日新聞』1992.8.21朝刊)
上記二点には,被害者の痛みへの応答,性暴力への抗議が表れている.彼女たちは,日 本人であっても国家の戦時性暴力を弾劾する主体になりえるという論理を示している.国 家だけでなく,性暴力を引き起こす男性個人も弾劾している.
ところで二点目の投書は,引揚げを前にソ連軍兵士に性暴力を受けた女性たちの存在を 伝えてくる.投稿者にとって〈従軍慰安婦問題〉は戦争にまつわる性暴力という普遍的な 問題が連想される契機となっている.つまり加害国日本が抑圧していた民族である朝鮮人 女性を「慰安婦」にしたという話にのみ収斂する問題ではなく,加害国日本が自民族の女 性を人身御供にすることも暴力だと考えられているし,加害国から敗戦国となった日本の