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第 3 章 フェミニズム運動にとっての「慰安婦」――1970 年代を中心に

3. ウーマン・リブの「慰安婦」言説

3.4. その他のテクスト

【34】,【35】では,どちらも「セックス慰安婦」という表現がなされている.これらは 抑圧体制を問題化しているはずの運動のなかで,女性活動家が男性に単なる性の相手とし て利用されていることへの失望から語られた言葉である.【35】は『おんなの叛逆』編集者 の久野綾子が報告するリブ合宿での参加者の「バリケードの中でオニギリばかりにぎって きたことや,単なるセックス慰安婦だった自分に気がついて,白けちゃった」(久野綾子 1971: 31)という発言である.発言者の正確な言葉の写しではなく編集者の久野による独自 の表現かもしれないが,どちらにしても「慰安婦」の語の持つ響きが相対的に軽い.それ は,「慰安婦」被害者であるサバイバーがまだ世間で可視的な存在でない時代であったこと や,ここまでみてきた他のテクストのように「慰安婦」が加害や被害の実像としてではな く比喩として参照されるものであったことなどと関係しているだろう.

【36】の資料では,やや異色の内容が確認された.これは「侵略=差別と闘うアジア婦人 会議」の会報の内容なので,厳密にはリブの資料ではないのだが,リブと相互作用を持っ た運動として『リブ史』に収められているため,形式上,表3に含めた.『リブ史』にはメ モ程度の内容が記されているのみなので原資料の内容を確認すると,1972年3月8日の国 際婦人デーに開かれた討論集会で,自分はいろいろな問題に関わってきたと発言する50代 の婦人活動家が,「従軍慰安婦」の帰国の問題に関わったと述べたと記録されている(金山

1972a: 1).それ以上の情報がないためどのような活動であったのかわからないが,リブ運

動とは別の場で,「慰安婦」とされた女性という実在する存在に対してなにかしらの活動が 取り組まれた形跡が窺える.これは,リブの「慰安婦」言説とは異なる,サバイバーを視 野に入れた言述である.

4. 「慰安婦」と出会うリブの可能性と限界

リブの運動家たちは,「慰安婦」の痛みを想像することを通じて「慰安婦」に出会ってい たといえるが,「慰安婦」制度を問題化する運動を展開したわけではなく,また戦後を生き る「慰安婦」被害者と実際に出会おうとした形跡もない.リブ運動が自己解放の運動であ るゆえの結果であるようにみえる.しかし,自己と他者の関係はたとえば田中美津のよう な運動家にとっては,運動の思想を形作るうえで重要な観点でありえた.田中は,抑圧者 であることと被抑圧者であることをどちらも重視してリブ運動を進展させようとした.

己れの闇は己れの闇.被差別部落民の,在日朝鮮人の,百姓の闇を,あたしたちは共 有できない.しかし,己れの闇に固執する中で,その共有できない闇の,共有できない 重さの,「共有できない」ということを己れにどこまでも負っていくこと――あたしがあ たしである,ということはそういうことだ.己れの闇と,他人 の闇の,すなわち己れの 生きざまと他人の生きざまのせめぎ合いの中で,〈われらが明日〉は光を胎む .(中略)

「加害者の論理」が問題なのは,それが被抑圧者としての自己を切り捨てさせてしまう からだ.抑圧者であり,被抑圧者でもあるという矛盾の中に,闘いの弁証法が息づいて いるのに(田中 [1972] 2010: 256)

この視点に従えば,銃後を守った日本人女性は「慰安婦」にされた日本人女性の「闇」

を「共有できない」が,「闘いの弁証法」で支え合うこともできるといえる.さらに田中は,

使命感や男らしさへの願望にあふれる「加害者の論理」の主張は「闘争主体の『革命性』

の証」となり,「『あの時,おまえら闘ったか』のひとことが『非国民』を問いつめること ばにな」ったという見解を示す(田中 [1972] 2010: 256).また,「『加害者の論理』は,『大 義のために私を殺す』と,近代合理主義を結んでゆく接点とな」ると述べている(田中 [1972]

2010: 256).つまり,みずからの被抑圧性に無自覚でいることは,再び帝国主義へと組み込

まれ侵略に加担しかねない危険な状態であるとされる.

リブの活動家のなかには意図的に「娼婦」の側に接近した人々がいる.田中自身,ホス テスのバイト経験を自著で語っている.しかし「『奴隷』とか『メス』などということばで はとても間に合わない屈辱感,まさしくおまんこさらして

、、、、

金をもらっている実感で,あた しは悲鳴をあげ続けた」(傍点原文)と吐露し,とりわけ他の女と美醜を張り合うことが辛 かったと述べる(田中 1972: 77).リブの運動誌『女・エロス』にも「水商売」経験者より 現場の女たちの人間模様が描かれているが,しばらくの水商売稼業を経て「色々な女と出 会い,別れて私もその間にずい分水商売の女らしく見えてきたが,徹しきれなくて平凡な 男と結婚をした」という(上田 1975: 19).

他にも,田中やその仲間たちが始めた「リブ新宿センター」114の活動に関わっていたメ ンバーが,活動資金のためにヌードモデルやゴーゴーガールなど「短時間で一定程度のお 金を稼げる水商売風の仕事」をしていた.田中が「下降志向を推奨していた」からでもあ るという(女たちの現在 を問う会編 1996: 228-9).耐えうる程度の「水商売風の仕事」に よるストレスと,性暴力被害者の痛みは別の次元のものであると考えられるが,「娼婦」の 側に足を踏み入れることへの垣根は低かったことがわかる.

狭義の性産業としてのセックスワーク経験者もいる.『女・エロス』9 号では,実際に性 産業で働いた「谷村さん」と編集者の吉清一江のリブ同士の対談が掲載されている.谷村 は「三十歳まで女が置かれているさまざまな職場をまわりたいということが念頭にあった の.実態把握・感情会得も含めてね」と性産業に従事した動機や,女性に他の仕事がもっ と開かれており賃金が高ければ,水商売には流れないだろうという見解などを語る(谷村・

吉清 1977: 191).

谷村の性産業従事は選択によるものであり,暴力的に「慰安婦」にさせられた女性たち とは状況も時代背景も違うが,谷村はその経験から,「私は客を受けいれる時,望郷の中で

“おさきさん”を想い出す」と「からゆきさん」115の姿にみずからを重ね合わせるに至った体

験を語り,「自分の体は,石のようで,まるでファック機械と同じ.くやしさが涙を止めた わ」と述べている(谷村・吉清 1977: 192).「からゆきさん」であった「おサキさん」を取 材し女性の歴史を掘り起こした山崎朋子の『サンダカン八番娼館』は 1972年に出版され,

「女性史ブーム」を起こし,1974 年には『サンダカン八番娼館 望郷』と題して映画化さ れた116.森崎和江の『からゆきさん』も1976年に刊行されている.谷村は女性が売春婦に させられてきた歴史を屈辱とともに体感していた様子である.

同じ号に掲載された深江誠子論文『性道徳からの解放』で,深江は,資本主義社会であ らゆるものが商品化されるなかでの,女性の商品性を「娼婦性」と名付けた(深江 1977: 11). 深江は売春防止法制定を急いだ人々の売春婦差別を内在させた「性道徳」を批判し,婚姻 制度の内に収まろうとする主婦の性も金銭と取り引きさせられる売春婦の性もともに貧し いと論じている.「自分の人間としての貧しさ,自分の悲惨,自分の痛みを,他人のそれと つなごうとするときこそ,本当のやさしさがうまれる」(深江 1977: 58)という深江は,「性 道徳」からも「娼婦性」からも解放される地平を模索する.

このように,「娼婦」に接近した経験による痛みが打ち明けられ,理論上も売春(婦)が 置かれた状況が家父長制による女の分断で理不尽なものであることが明らかにされていた.

娼婦が差別される一方で,性暴力被害者もまた「傷もの」扱いされたり,好奇の目で見 られたりと,性をめぐって分断される存在である.被害者であるにもかかわらず非を責め られることすらある.

リブ関係者には,性暴力被害を打ち明けている人々がいる.田中美津自身,幼少時に実 家の店で雇っていた従業員から「イタズラをされた」(田中 [1972] 2010: 94)体験を綴っ ている(田中 [1972] 2010: 93-105).評論家でリブに共感的であった吉武輝子も,性暴力 被害を開示している.そして「わたしは強姦体験をのり越えるためにも,エロスをこの身 にしかと体現したい.だからこそ役割りとしての女から逃れるべく,内に向かっては女ら しくあろうとする自己への告発,外へは男性中心社会への告発を怠りなくつづけているの です」(吉武 [1972] 2008: 3)と述べている.田中と吉武が書いたものからは,被害による 苦悩が伝わりつつも,回復へ向かおうとする力強さにあふれている.田中の被害は幼少時,

吉武の被害は敗戦直後とすでにかなりの年月が経っており,加害者を糾弾したり謝罪や賠 償を求めたりする運動を起こしているわけではない.

大学時代に学生運動仲間から被害に遭い,リブの活動家たちに励まされ加害者を糾弾し,

いくらか立ち直った経験をした活動家もいた(渡辺 1996: 131-3).しかし 1970年代前半 のリブなどフェミニズム運動において,性暴力被害者が受けるダメージや,被害が及ぼす 長期的な心身への影響などについては,まだ関心が高まっておらず,解明されていない.

娼婦性や性暴力被害は「おんな」一般にもたらされる性抑圧としてとらえられた.

被抑圧による痛みの自覚とそこから解放されようとする思考,女が差別の再生産をして しまう構造をあえて娼婦の側に足を踏み入れることで撹乱しようとする試み,このような リブの運動は,痛みのなかに留まるのではなく,解放された女の主体を形成しようとする ものである.しかしそれは似たような経験を持つ同世代の女同士で解放を目指そうとする 集合行動であり,逆説的にも共感できる者同士の内輪の運動となる面があったといえる.

過去の性抑圧の象徴であり,世代も階層も違う「慰安婦」被害者は,たとえ同時代を生き ていてもリブの運動家たちには身近に感じられる存在ではない.共感できる者同士の刺激 的な運動を展開し,新しいおんなの生き方を確立することが関心事であったため,現実に 生きている「慰安婦」被害者への関心は薄かった.