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国会で語られてきた「慰安婦」――〈従軍慰安婦問題〉以前

第 1 章 〈従軍慰安婦問題〉の諸相

4.1. 国会で語られてきた「慰安婦」――〈従軍慰安婦問題〉以前

上坂への批判として,書き手自身の記憶に刻まれたリアリティを元に当時の民族差別の 問題を説得的に論じている.ここでは強制的に連行された朝鮮人「慰安婦」に,強制的に 連行された日本人「慰安婦」ではなく,不当に殺された親兄弟が対置されている.この構 図は,被害国と加害国の対比というより,深刻な被害を受けた人の怒りを想像させるため に,身近な存在である家族を失うという経験が持ち出される.日本人「慰安婦」の痛みで もって朝鮮人「慰安婦」の痛みを感じ取らせるという論法にはならない.

以上のテクストにみられたように,日本人「慰安婦」は朝鮮人「慰安婦」の被害者性を 強調するために言及される傾向があった.そのため,日本人「慰安婦」被害者も謝罪・補 償の対象とすべきという発想は出てきにくい.意図的に排除するわけではないにせよ,朝 鮮などアジア諸外国への加害を強調すればするほど,日本人「慰安婦」の被害者性は論点 とならなくなり,霞んでいく.

日本人「慰安婦」の被害を伝えるテクストも確認できたが,概ねそれらは国家責任を問 わない右派の論理に基づいたテクストであった.

4. 「慰安婦」に関する日本政府の認識

立国会図書館 1952a: 6).法律に基づくものではなく「実力をもって婦女子の提供を進駐軍 に命令される」ことは「民族的屈辱」であると山口委員は述べている.その次の行政監察 特別委員会でも同様に山口武秀委員が,政府が進駐軍に「慰安婦」を供出した事実につい て質問している(国立国会図書館 1952b: 11).山口委員のいう「慰安婦」は戦時中の日本 軍「慰安婦」ではなく,敗戦直後に「性の防波堤」として集められた女性たちである.

同じく1952年の4月の参議院法務委員会では,公娼制度が廃止になって以降も依然とし て「集娼」や「散娼」が数を増し,赤線区域,青線区域が現存している実態があると宮城 タマヨ理事が問題提起した折,「慰安婦」に言及している.宮城は次のように述べる.

従業員の一部分は実は終戦直後に慰安婦として政府が集めましたその人たちがまだ 随分残つておる.それでその人たちは実に大手を振つて威張つてこの仕事に従事して おりますのでございます.政府からもお招ばれしているんですよということをまだ言 つておるのです.それで一つどうしても早い機会にこれは何とかしてほしいのでござ いますが.(国立国会図書館 1952c: 3)

先にみた山口武秀発言と同様,日本軍「慰安婦」ではなく政府が占領軍へ供出した「慰 安婦」のことであるが,女性が性産業に従事する女性を蔑視するという構図が見える.

「慰安婦」は不名誉な存在として語られる.1954年8月,第19回国会の衆議院通商産 業委員会では,左派社会党の帆足計委員が再軍備に反対し,政府が再軍備するというのな ら「大体六十才以上の年寄り」が兵隊に行けばよい,また「御家族やお嬢様たちは一番近 い野戦病院に行かれたらいい.アメリカの兵隊さんがさびしければ,その人たちが慰安婦 志願をしたらよいでしよう」と挑発している(国立国会図書館 1954: 10).1955年7月,

第 22 回国会の参議院内閣委員会では,「国の防衛に関する調査の件(駐留軍の飛行場拡張 問題及び駐留軍及び自衛隊の演習場問題に関する件)」が議題となっており,参考人の石田 精市元印野村助役が,土地を接収されたことに由来する地元民の不満について説明しつつ,

御殿場駅前が「アメリカの兵隊と特殊慰安婦」で埋まっていると苦情を申し立てている(国 立国会図書館 1955: 39).

これらの発言に表れているのは,日本軍「慰安婦」であるか占領軍相手の売春婦である かにかかわらず,性産業に従事する女性など「娼婦」一般への蔑視である.

次に国会内で「慰安婦」が言及されたときは,公的制度との関わりが議論された点で特 徴的である.池谷好治論文が指摘するように,1960年代の第40回国会と第58回国会では,

戦傷病者戦没者遺族等援護法(以下,「援護法」)74の日本軍「慰安婦」であった人々への適 用をめぐり,質疑が行われている(池谷 2003).1962年4月の第40回国会衆議院社会労

働委員会では,援護法の一部改正法案が上程され,社会党の小林進委員がどこの部隊にも

「慰安婦」がいたのを知っていると述べながら,「慰安婦が敵襲を受けて敵弾によって倒れ た,こういう場合は一体どういう処置を受けるのでしょうか」と質問している.援護局長 である山本淺太郎厚生事務官の答弁は,「慰安婦」は軍属にはなっていないが,敵襲を受け たり遭遇戦で亡くなったりした場合は準軍属の扱いをしているはずだというものであった

(国立国会図書館 1962: 33).質疑の文脈上,準軍属の扱いがなされた場合は援護法の対象 となっていると答弁したものと読める.

1968年4月の第58回国会衆議院社会労働委員会でも,援護法の一部改正法案が上程さ れており,社会党の後藤俊男委員が「慰安婦」への援護法適用について「数千名の慰安婦 が第一線なりその他多くの戦場に派遣されておった,これはもう間違いないと思う」と前 提にしたうえで,圧倒的多数が援護法の適用を受けていないであろうと指摘し,政府の方 針を問うている.それに対し,実本博次厚生省援護局長が次のように答弁した.

大臣〔園田直厚生大臣〕が先ほど申し上げましたように,現実に本来の慰安婦の仕事 ができなくなったような状態,たとえば昭和二十年の四月以降のフィリピンというよう な状態を考えますと,もうそこへ行っていた慰安婦の人たちは一緒に銃をとって戦う,

あるいは傷ついた兵隊さんの看護に回ってもらうというふうな状態で処理されたと申 しますか,区処された人たちがあるわけでございまして,そういう人たちは戦闘参加者 あるいは臨時看護婦というふうな身分でもってそういう仕事に従事中散っていかれた,

こういうふうな方々につきましては,それは戦闘参加者なりあるいは軍属ということで

〔援護法適用の〕処遇をいたしたケースが,先ほど四,五十と申し上げました中の大部 分を占めておるわけでございます.したがいまして,こういう人たちの実態というもの は,先生〔後藤俊男委員〕が先ほどちょっと触れられましたように,現実には何か相当 前線の将兵の士気を鼓舞するために必要なわけで,軍が相当な勧奨をしておったのでは ないかというふうに思われますが,形の上ではそういった目的で軍が送りました女性と いうものとの間には雇用関係はございませんで,そういう前線の将兵との間にケース,

ケースで個別的に金銭の授受を行なって事が運ばれていた模様でございます.(国立国 会図書館 1968: 6-7)(下線は引用者による)

この答弁内容からわかることを下線部より二点確認しておこう.一点目は,「慰安婦」と された女性のなかには「戦闘参加者なりあるいは軍属」として扱われることで援護法の適 用対象となった「四,五十」名の人々がいるという事実確認がなされたことである.ただ し,本稿ではこれをもって実際に 40-50 名への援護事例があったと断定することには主眼

を置かず,あくまで「慰安婦」とされた女性をめぐって援護法を軸に質疑応答がなされた という事実を確認するにとどめておく75

二点目として,「慰安婦」は「将兵の士気を鼓舞するために必要」で「軍が相当な勧奨」

をしていただろうという見解が述べられていることに着目したい.この発言が特に咎めら れた様子はなく,政府委員が軍の論理よろしく「慰安婦」の必要性を述べても問題になら なかった当時の状況が確認できる.以上のように,第40回国会と第58回国会においては

「慰安婦」制度自体が問題化されたわけではなく,戦後の生活に窮しているであろう彼女 たちや遺族が不憫だという考えの下,援護法で救済する方が確認された温情主義的な扱い がなされたのであった.

事態がわずかに変わるのは,次に「慰安婦」が言及された第71回国会である.この1973 年 6 月の衆議院法務委員会では,社会党の赤松勇委員が,日弁連を中心に戦時中の朝鮮人 虐待の実態調査をするなかで,北海道に「朝鮮の婦女子を二百人拉致」し「強制的に慰安 婦,つまり売春婦として遊郭の一角に閉じ込めて,そしてこれを虐待して」いたという事 実が明らかになったと述べ,「これらの戦前の,民主主義の観点からいえば人権じゅうりん,

外交的に言えばこれは侵略行為」であるが政府としてはどう考えるかと質問している.こ れは,在日朝鮮人高校生に対する国士舘学園高校生の暴行事件を踏まえ,偏向教育が問題 の背景にあるとして歴史認識を質す場面でのことある.翌週の衆議院法務委員会でも引き 続き赤松委員が同様の趣旨で,「朝鮮で狩り出された二百人の婦女子が函館の遊郭に,日本 の炭坑夫の慰安婦として無理に売春を強要され」たと述べ,日本政府の「侵略政策」を問 題化している(国立国会図書館 1973: 7).

この第 71 回国会での赤松委員発言の特徴は,「慰安婦」にされた朝鮮人女性たちが「虐 待」されていたという認識を示していること,民主主義の観点からすれば「人権じゅうり ん」であり外交上は「侵略行為」であると判断していることである.

1985年2月の第102回国会衆議院予算委員会では,社会党の佐藤観樹議員が,吉田清治 著『私の戦争犯罪』で「約六千人の人を朝鮮半島から徴用ということで連れてきた,その 中には,九百五十人が女子挺身隊員ということで,いわば南方に送る慰安婦として連れて きた」と告白されていると言及し,政府の対応を求めた(国立国会図書館 1985: 43).1988 年4月,第112回国会では衆議院議員の草川昭三議員が,「学徒動員,勤労動員」で連れて 来られた「挺身隊」の死亡者の話を取り上げるなかで,韓国では「挺身隊」というと「軍 隊の慰安婦」にされた女性が連想されるので,「挺身隊」が「慰安婦」とは違う学徒動員で あることを証言してほしいという声が韓国から上がっていると述べている(国立国会図書 館 1988: 22-3).

以上を整理すると,「慰安婦」の存在していた事実が否定されたことは一度もなかったこ