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田中美津のテクストを中心に

第 3 章 フェミニズム運動にとっての「慰安婦」――1970 年代を中心に

3. ウーマン・リブの「慰安婦」言説

3.2. 田中美津のテクストを中心に

確認できる限りで初出のものは,【1】の田中美津が書いた「女性解放への個人的視点――

キミへの問題提起」という 7 枚に渡るビラである106.このビラの文章は後にウーマン・リ ブの金字塔とみなされるようになる田中のビラ「便所からの解放」の下地となっている.「女 性解放への個人的視点――キミへの問題提起」で「慰安婦」が言及されるのはごく一部であ るが,以下に当該部分を引用する.

〈女性解放〉は何故必要か?

私は,女を〈便所〉だとする男を通じて,権力と出会う.私は,女の性を〈便所〉

化させることで成り立っている支配体制と出会う.

それは私の沖縄であり,私のアンポだ!

これを女の沖縄,女のアンポに広めていくこと――例えば侵略者,被侵略者という言葉 の中身を,従軍慰安婦という一大便所集団(その大部分は朝鮮人であった)における 日本の便所としての歴史性・民族性をもつ慰安婦と,朝鮮の便所としての歴史性,民 族性をもつ慰安婦の出会いとして,みずからの女の性を通じてとらえたなら明治百年 の侵略過程と自分(個)とのかかわりがハッキリ浮び上がってくるのではないか.そ の時,〈女〉にとって権力が,侵略が,アンポが,女個人の〈生きる〉と,どう深くか

かわってあるのかが具体的に明かになるのだ(田中 [1970] 2008: 12)

「便所」という言葉はあまりに女性を貶めるようではあるが,もともと田中は一男性が

「初恋の女以外はみんな〈便所〉みたいなものだ」(田中 [1970] 2008: 10)と言い放った その表現を転用している.「女が便所〉ママなら男は〈汚物〉か!!」(田中 [1970] 2008: 10)

と皮肉ることも忘れない.現在ではあまり聞かれなくなった表現だが,「便所」とは女性を 性的に貶める隠語であり,複数の男性と性関係を持つ女性は「公衆便所」と蔑まれてきた.

田中において「便所」とはみずからの貶められた性そのものを描き,性抑圧の卑劣さを告 発する用法であり,特定の他者を貶めるための表現ではない.

「従軍慰安婦という一大便所集団」という表現も現在の視点に立てばあまりに配慮がな いような印象を受けるが,これが書かれた当時はまだ,「慰安婦」とされた女性がみずから の体験を「被害」として世に訴え出る表立った動きは起こっていなかった.日本人「慰安 婦」被害者の城田すず子さんは,彼女が身を寄せていた施設の人々には自身の経験を打ち 明けており,彼女の半生が綴られた『愛と肉の告白』という本が1962年に出版されてはい たが,「慰安婦」制度を戦争犯罪として告発しようとする内容ではない.千田夏光ほか「慰 安婦」制度を問題化しつつあった人々が,『愛と肉の告白』や,同じく城田さんの半生を綴 った『マリヤの讃歌』を参照した形跡もない.城田さんは1970年代にリブの女性たちには 知られていなかった可能性が高い.「従軍慰安婦という一大便所集団」という表現がなされ たこと自体,「慰安婦」とされた被害が隣人の生々しい傷であるという認識がなかったこと を物語っている.サバイバーが日常を生きているというリアリティが感じられていないま ま,「従軍慰安婦」は過去に朝鮮人女性と日本人女性が受けた国家による性抑圧の象徴とし て言及されている.

上記文面では,「日本人『慰安婦』」という明瞭な表記があるわけではないが,それでも

「日本の便所としての歴史性・民族性をもつ慰安婦」という表現がなされている点には注 目しておきたい.というのも,田中がこれ以降,「ぐるーぷ・闘うおんな」に身を置き日本 で活動していた1975年までに書いたもののうち,日本人「慰安婦」の存在を前提とする文 面は,「ぐるーぷ・闘うおんな」名義で発表したものも含め,本研究において確認できたの はこれのみであったからだ.ただし「日本の便所としての歴史性・民族性をもつ慰安婦」

の部分は,戦時中の「慰安婦」について具体的に示しているというより,「侵略者,被侵略 者」という構図を問題化する上での性抑圧の象徴的なものの引用であり,比喩である.

女性の性が「便所」扱いされる事態とは,女性が男性の性欲の対象にされつつも貶めら れるという,性のダブルスタンダードに由来する性差別の実態である.男性が権力を持つ 社会で構築される支配体制は,日米安保で沖縄を犠牲にしながら帝国主義を蘇らせる.日

本人女性は,特に「本土」の女性は,単に被害者であることにとどまらず侵略体制を支え る加害勢力に加担してしまっている.卑しめられながら侵略体制に動員させられていく存 在が田中にとっての「従軍慰安婦」なのである.

【3】の「便所からの解放」では,「慰安婦」は次のような文言のなかで現れる.「ぐるー ぷ・闘うおんな」名義で発行されたビラであるが,実質的な執筆者は田中である.

女にとって支配権力のその性戦略は〈性の便所化〉の徹底として現出する.女の反 動化=バージンらしさへの回き..

は,便所への徹底と裏表のものとして展開されるのだ.

〈軍国の妻の貞操〉と〈従軍慰安婦の精液に汚れた性器〉とは,性否定の意識構造の 両極に位置しているのだから!! 貞女と従軍慰安婦は,対になって支配権力の侵略,

反革命を支える.(ぐるーぷ・闘うおんな [1970a] 2008: 45)(傍点原文)

ここでもやはり,性を介した支配権力や侵略体制の確立が問題化され,「従軍慰安婦」は 最も抑圧された女性の性の象徴としての例示である.このビラでは「従軍慰安婦」の多く が朝鮮人女性であったとは書かれていない.田中が活動していたリブグループ「ぐるーぷ 闘うおんな」107は,1970年10月21日の国際反戦デーのデモで,「貞女と従軍慰安婦は侵 略を支える」というメッセージのプラカードを掲げた.後にこのプラカードの文言をめぐ り省察がなされる.田中はお茶の水大学新聞の取材を受け,同年11月に発行された記事【5】

で「慰安婦」の「八十パーセントが朝鮮人であった」(お茶の水大学新聞 [1970] 2008: 78-9)

と述べている.【6】のビラ「女は生殖器を持つ労働力商品か――中絶禁止法・労基法改悪 粉砕へ向けて!」は同じく11月に「ぐるーぷ・闘うおんな」名義で発行されており,その なかで「プラカードの誤り」が次のように論じられている.「我々の母は最も恥知らずな抑 圧者だった」という小見出しの後の文章から引用する.

やさしさと,やさしさの肉体的表現としてのSEXを合せもつ〈女〉として生きてい ないという点で,貞女と慰安婦は私有財産制度下に於ける性否定社会の両極に位置し た女であり,対になって侵略を支えてきたと云えるが しかし 両者を同一線上で語る ことは我々にはできない.支配民族としての日本の女はその資格を持っていない.

なぜなら皇軍慰安婦の大部分は狩り立てられてきた朝鮮の人妻や娘たちであったのだ から!

我々のプラカードの誤りは,次のように訂正されなければならないのだ.〈貞女は貞女 であることによって銃後を支え,朝鮮の女たちを自分の男の性ママ液で汚すことに加担し た〉と――.(ぐるーぷ・闘うおんな [1970b] 2008: 86)

【8】,【9】,【12】,【22】のビラでもほぼ同様の内容が展開されている.【7】,【31】,【38】

のビラでは,さらに以下のような内容が加わる.

今,中絶禁止法が女の性と生殖を通じて〈銃後=家〉と家を支える〈性道徳〉の帝国 主義的再編を謀るものとして上程されようとしている.再び〈母〉としての役割の中 に女の性と生殖が封じ込められようとしている.戦前戦後一貫して変らない性否定の 社会構造こそが女の〈反動化〉を可能にするのだ.同時に日本帝国主義が経済侵略を 侵攻している東南アジア,台湾,韓国において,エコノミックアニマルたちがその肉 欲処理の為,彼の地の女を卑しめているといった状況が〈平和と民主主義〉の中で酔 いしれる,我々の死角の中で展開されている.しかも72年の法改正を目指してより売 春を公然化させようという動きが,保守反動によって進められているのだ.〈売春防止 法の一部改悪〉女は今,再び母と便所に再編されようとしている.しかも,又もや他 民族の女を〈便所化〉する方向でもって!!(ぐるーぷ闘うおんな [1970a] 2008: 89)

また,「プラカード」への言及はないが,【4】,【10】,【11】のビラでも朝鮮人女性への加 害であることが次のように強調されている.

我々の手にする一票の裏には朝鮮人の,朝鮮の女たちの受けた死と屈辱の歴史が織 り込まれているのだ.人妻であってもバージンらしさを粧わねばならなかった貞女と しての〈軍国の妻,靖国の母〉は又,粧うことによって男を通じ,家を通じ,子を通 じ〈女の出世〉を満たした者としてあった.

銃後を貞女に守られた前線では,従軍慰安婦が貞女の夫の性を管理して男を命令に 従順で人殺しに有能な天皇陛下の赤子として育てていった.しかし,我々,支配民族 としての日本の女には,その事実をそのように歴史のひと駒風に物語ることは許され ない.なぜなら,従軍慰安婦の大部分は強制連行的に狩り立てられてきた朝鮮の人妻 や娘だったのだから.日本の女が一銭銅貨であったなら,いや一銭銅貨の屈辱に不感 症であったために朝鮮の女を五厘銅貨にしてしまったのだ,日本の女は.

戦後二五年間,五厘銅貨の命としてはかなく歴史の底に消えていったこの朝鮮の女 たちへの問い返しが果して一度でもなされたことがあったか.日本の一銭銅貨は五厘 銅貨の他民族の女の,死と屈辱の歴史の上に,靴下と強さを争うまでになったという 訳なのだ.

そして今,台湾,韓国,東南アジアに於いて経済侵略を侵攻しているエコノミック