第 4 章 「慰安婦」問題解決運動の言説空間
1. 運動資料にみる言説空間と日本人「慰安婦」
1.3. 日本人「慰安婦」の後景化
まずは「日本の戦後責任をハッキリさせる会」の初期の通信にみられる以下の記述から,
「慰安婦」被害者像を読み取りたい.
彼女たちは,文字どおり身も心もずたずたにされて帰国し,韓国の片隅でひっそり 暮らしてきた人々です.しかし日本政府は,その証人たる彼女たちが生きているにもか かわらず,今日まで謝罪はおろか,その存在すら認めようとしていません.暴力的に 連行され,青春を破壊されつくした彼女らは,これまでその無念の思いを外へもらす こともできないできました.(日本の戦後責任をハッキリさせる会 1991b: 1)
韓国人「慰安婦」被害者の境遇について適切に言い表しているが,これはそのまま日本 人「慰安婦」被害者にも当てはまることではないだろうか.以下は「関釜裁判を支援する 会」の通信に掲載された,関釜裁判での李博パク盛ソン弁護士による原告代理人意見陳述の冒頭の
部分である.
今,我々,そしてあなた方が地に足を付いて立っているこの日本の地は,お国のた めにと亡くなった日本人は人間としてまたは英霊として眠っていることは勿論,その 下には,牛馬否物以下に扱われた朝鮮の人たちが,血と涙の叫び声をあげる口も閉ざ されたまま死屍累々と横たわっていることを想起すべきです.
本来であれば,謝罪と償いのために,日本国が原告らに歩み寄るべきであるにもか かわらず,半世紀にわたって無為無策のまま放置してきた結果,こうして裁判官を挟 んで対決するという,深い深い溝を作りだしたのです.(李博盛 1993)
韓国人被害者の原告代理人としての法廷の場での陳述であるため,朝鮮人被害者への共 感を呼ぶ雄弁な語りが繰り広げられるが,原告たちが虐げられてきた歴史が「慰安婦」制 度という暴力や勤労挺身隊として酷使された個人的な経験に収まらず民族が迫害された歴 史に敷衍され,加害と被害をめぐってナショナルな対立の構図が打ち立てられているのが 特徴である.植民地支配と朝鮮人強制連行の事実をとらえ文脈化された語りであるといえ る.そして日本人はすべて「お国のため」にと侵略戦争に献身的に加わっていったのだと いう物語が埋め込まれている.けれども先に挙げたハッキリ会の通信の文面と同じく,日 本人「慰安婦」を被害者として当てはめ,日本政府は日本人「慰安婦」被害者を「半世紀 にわたって無為無策のまま放置してきた」という抗議をおこなうことも可能である.しか し,双方のテクストはともに,日本人にも似たような経験を強いられた人々がいることを 想定していない.
ともあれ韓国人被害者への支援であるので,当然ながら韓国人被害者の被害の可視化に 注力することになる.遺族会裁判の弁護団長を務めた高木健一は,ハッキリ会が開催した
「訴状を読む会」で,「戦後責任」とは「戦争による被害の回復義務,原状回復する義務」
をいうもので,「もちろん加害行為があって,加害が不正義であることが前提になる」と解 説する流れで,以下のように語っている.
戦後責任の側面からいうと,国民は被害者ではなくて,アジアに対して加害者にな るわけです.
ですから,自分も戦争の際に苦労したなんていう上坂冬子さんの言い方は全く違う.
強制連行をする側の人間が,自分も従軍慰安婦と同じように苦労したなんて言える立 場ではとうていないわけです.
日本国民全体としてアジアに対しては加害者側であったことは確かなわけですから,
自分達は加害者であるという認識が必要なわけです.(高木 1992: 34)
戦後,加害国の国民であるという意識が日本人全体になかった問題を指摘するには,こ のように「加害者」であることへの自覚を促す必要がある.しかし注意しておきたいのは,
ここで高木が「戦争責任」の議論との対比で「戦後責任」を説いていることである.「戦争 責任」論は次のような点で具合が悪いという.
そして悪いのは天皇・軍部だから民衆は被害者になるわけです.中国の毛沢東や蒋 介石は日本人民は中国人と同じく,日本軍国主義の被害者だといった.日本の戦後の 知識人の欠点はその被害者論をよくだす.原爆のばあいもそうだが被害者的立場を強 調してしまう.(高木 1992: 33)
原爆の被害者が被害者性を強調してはいけないのだろうか.高木の論理では,日本人「慰 安婦」被害者の被害者性を強調すると問題となるのだろうか.加害国の国民であるために アジアの諸外国に対する加害者性を有するポジショナリティにあることと,日本人「慰安 婦」が身体を日本の帝国主義が拡大するための再生産能力の供給源とされた被害者である ことは,同時に論じ得るもので,論理的に破綻するわけではないと考えられる.対外的に は国民主体としての日本人が等しく加害者ではあっても,そのことにより日本人内部の戦 争被害に程度の差がないことにはならないし,まして深刻な戦争被害を受けた日本人の声 を封じ込める作用を生じさせてしまってはならないだろう.
しかし,〈従軍慰安婦問題〉は,多くの朝鮮人女性が「慰安婦」にされたことの告発から 社会問題化した.それは,日本人の加害者性が明るみに出される出来事であった.「慰安婦」
制度について調査し,韓国で「取材記」を発表した尹ユンジョン貞玉オクは,朝鮮人女性の被害の深刻さ を伝えることで問題化の急先鋒となった.「取材記」は北海道,沖縄,タイ,パプア・ニュ ーギニアで資料調査と関係者への聞き取り調査と,金キム一イルミョン勉(1976),川田文子(1987),山 谷哲夫(1979),吉田清治(1983)らの著作,また松井やよりが朝日新聞に執筆した記事な どの二次資料より情報を得て書かれたが,たびたび金一勉の『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』
が引用され「事実」が構成されているのがひとつの特徴である.
ところが金一勉は一次資料を入手して歴史叙述を試みたのではなく週刊誌の煽情的な記 事すらも素材に「慰安婦」制度を描いており,脚色も多い金のテクストは,事実として参 照するには難がある.しかし尹は金の見解に同調するところがあり,金が「日本は朝鮮民 族を衰退させるために,その民族の基盤となる家庭,そしてその家庭の柱となる女性を破 壊することが近道だと考えたのであろうと述べている」として,「朝鮮の女性を慰安婦にし
た目的の一つは民族を衰退させるためであった」と解説する(尹貞玉 [1990] 1992: 24).
また尹は日本軍が残忍な方法で朝鮮人「慰安婦」を殺した事例を挙げ,殺したのは「朝鮮 民族衰亡策の一つに朝鮮女性を滅ぼそうとした陰謀が暴露されるのを恐れた」からだと分 析している(尹貞玉 [1990] 1992: 46-7).
「民族を衰退させる」「女性を破壊する」「朝鮮民族衰亡策」といったショッキングな言 葉は,朝鮮民族にアイデンティファイする人を,特に女性を,内面の奥深くまで傷つけた であろう.ただし日本で資料調査が進んで以降,議論を牽引してきた日本の研究者の間で
「慰安婦」制度が「朝鮮民族衰亡策」であったという共通理解はない.しかし問題を喚起 した尹のテクストはこのように悲劇性を強調する要素が多い136.たとえば「私たちは,生 き残りながらも自分の体が汚れてどうして故郷の地を踏めようか,といまも他国に住んで いる彼女たちを捜しだし,残りの人生を堂々と故郷で過ごせるようにしなければならない」
(尹貞玉 [1990] 1992: 47)と「取材記」の終盤に語られた言葉などがそうである.実際に は「故郷の地を踏め」ないと「他国に住んでい」た被害者ばかりではなかったことがその 後明らかになった.金キム学ハク順スンさんに続き,多くの被害者が韓国内から名乗り出たのだ.
韓国社会は「慰安婦」被害に由来する彼女たちの解放後の苦しみを理解しようとしてこ なかったし,朝鮮戦争時に韓国軍「慰安婦」を集めた事実の隠蔽をはかったり,米軍基地 周辺で売春をするしか生きる術のなかった「基地村」女性たちを蔑視したりと,性を提供 させられてきた女性たちを差別してきた.梁ヤン鉉娥ヒ ョ ナは「『慰安婦』被害は慰安所で強要された
『性』すなわち強かんが頂点をなしたかのように提示されてきたが,必ずしもそうでは無 い」と主張し,「『慰安婦』女性の被害は慰安所で終わるのではなく,そこから始まる」と 述べ,不妊にさせられたことによる解放後の苦しみなどを表す被害者証言を例示した(梁 鉉娥 2010: 340).
韓国で「慰安婦」被害者が生き延びてきた時空間はそのように複雑であったが,民主化 を果たし堂々と声を上げられるようになった韓国の人々にとって,〈挺身隊問題〉において はなによりもまず〈民族受難の過去〉を告発し,日本の蛮行を明るみに出すことが重要で あった.よって日本人にとっては加害者と名指される経験から〈従軍慰安婦問題〉との出 会いが始まる.1991年以降,日本の各地で海外から「慰安婦」被害者を招いて証言集会が 開催されるが,そこに集う人々からは,たとえば以下のような感想が出てくる.1992年8 月に名古屋で開催された証言集会「ムグンファの哀しみ」で韓国人「慰安婦」被害者の李イ容洙ヨ ン ス さんと姜カンドッキョン徳 景さんの証言を聴いた参加者の感想である.
話を拝聴し,可哀想だというよりも,日本国民として顔をあげられないような恥ず かしさを感じた.――――申し訳ありません.この戦争責任はこれからの日本を背負う