第2章 学校教育における環境学習カリキュラムの位置づけ
第1節 道徳における環境学習
文部省『環境教育指導資料(小学校編)』では道徳における環境教育の視点として,「自 然や動植物の愛護」「生命に対する畏敬の念」「環境の保全や環境問題の解決に対する責任 の自覚」「主体的にかかわることのできる心情と実践的な行動力」があげられている1。本 節では,実際の道徳の授業がどのように展開され,どのような学習成果が得られるのかを 検討する。
1. 「「森林破壊」から「環境」を考える」の実践2
本実践は,小学校4年生の道徳での単元「環境」(全3時間)の取り組みである。各時 間のテーマは次の通りである。
第1時 「水と自然」
第2時 「破壊される森林」
第3時 「ハンバーガーと森林破壊」
まず第1時では,人間が飲める水の量が地球の水のごくわずかであることをグラフ用紙 を使って実感させたあと,雨が降らない日でも川の水がなくならない理由を考えさせてい る。そこから,森林の保水作用に気づかせ,水資源保全の視点から「森林の大切さ」を理 解することをねらいとしている。
これをうけて,第2時では「大切な森林が破壊されている事実」を資料にもとづいて知 らせるとともに,割り箸,家具,紙オムツなど「破壊によって産み出された製品が身近に あること」に気づく;とがねらいである。
最終の第3時では,アメリカにおける大手ハンバーガーチェーンが,安い牛肉を手に入 れるために中南米の熱帯林を伐採し牧場化したことで,アメリカ国内で不買運動が起こっ たという資料と,モスクワ市民が同じハンバーガーチェーンのオープンを喜んでいる新聞 記:事を提示している。そして,次の2つの事実からモラル・ジレンマに追い込もうとして
いる。
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A.人間の生産活動あるいは,生産活動により産み出されたものが環境を破壊 している,という事実、
a.人間は,その生産活動,あるいは,生産活動が産み出したものの恩恵を受け ている,という事ii鳳
子どもたちに対しては,「このハンバーガー会社,ちょっとよくないと思うかまあいい じゃないかと思うか」と尋ね,「○派」か「×派」かのどちらかの立場を選ばせ,その理 由とともに発表させている。以下は,授業の最後の指示「プリントにもう一度○か×を書 きなさい。そして,自分が考えられる最高の理由を書いてください」に対して子どもたち が書いた文章の一部である3。
○派 の意見の晶部
①ソ連の人だって食べ物を食べないと死んでしまう。
②ソ連の人は,食料に困っているのだから,マクドナルドができてよかったと 思っているんだから,少しくらい森林はけずられてもいい。
③マクドナルドがなくなったら,ソ連の人がおいしいものを食べられなくなる
④みんな,よろこぶからいい。
⑤アルバイトをしている人がせっかく,この仕事にきめたのに,マクドナルド がなくなったら悲しむ。
×派 の意見の一部
⑥そんなにマクドナルドばかりつくっていても,ソ連の人は食べあきちゃうか もしれない。
⑦ソ連は食料に困っていても,ハンバーガーよりおいしいものがあると思う。
⑧ハンバーガーが食べられても水が飲めなくなってしまう。
⑨自然がなくなつちゃうし,ずっと食べるといっても,ぜったいあきちゃうか ら,そのぶん,しぜんをきったり,こわしたらそん。
⑩しんりんをこわしちゃうと動物がしんじゃうから,かわいそう。
2.道徳でおこなう環境学習の特色
この実践が収められている本の副題に「道徳授業の改革をめざして」とあるように,こ れは,従来の道徳教育を乗り越えようとした道徳の授業である。実践者の羽島は,従来の 道徳が「 フィクション 資料で環境問題を考えさせ」ているのは教師の不実であり,身近 な問題を扱わないため子どもたちには「ヒトゴトで終わってしまう」と批判する4。そし て,道徳における環境の授業を考えるうえで,「事実を知らせる」「身近な問題として考え
させる」「子どもを ジレンマ に追い込む」の3点に留意したという5。これを本実践に 即していえば第1時と第2時で,「水と森林」「森林内の生物」「木材輸入国第1位の日本」
という事実を知らせたうえで,子どもにとって身近なハンバーガーの問題を取り上げてジ レンマに追い込もうとしている。
確かに子どもたちは,この道徳の授業で環境問題を身近な問題としてとらえることがで き,「授業が終わった後も,教師のところへ来て意見をいう子が数人いた」6ほど活気のあ る授業となった。しかし,その一方で子どもらは,2つの事実を「知り」,そのジレンマの 中で態度を決定するだけで,2つの事実問の関係については「わかって」いない。岩田は,
「知る」と「わかる」を次のように区別し,「「知る」と「わかる」を区別した授業設計が できれば社会的見方の育成が可能となる」ことを指摘している7。
「知る」は社会事象の存在を認知できることである。
「わかる」は社会事象間の関係を認識することである。
本実践は,道徳教育にありがちな「自然を大切にしましよう」という徳目主義から脱す るために,事実にもとづき,身近な問題として子どもらに環境問題について考えさせるこ とを試みていた。しかし,ハンバーガー会社に対する評価をおこなう段階では,ノ子どもら には社会的な見方は育っておらず,情意的な判断に終わっている8。
ハンバーガーの「味」のように個人の好みによる判断なら別である。しかし,ハンバー ガー会社と中南米の熱帯林の牧場1ヒ問題を関連づけ,社会的な問題としてとりあげる以上,
たとえ道徳の授業であったとしても事実分析を踏まえたうえで合理的に判断することが必 要であろう9。そのプロセスを経た上で,なお合理的判断だけでは説明できない自分たち の非合理的な判断や行動について考えることが,道徳において担うことのできる環境学習
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の一分野ではないカ㌔
このように,道徳における環境学習のあり方は,徳目主義から脱することはもちろんの ことであるが,意志決定場面においてもなお,再考される余地が大きいlo。
【註および参考文献】
1文部省『環境教育指導資料(小学校編D』大蔵省印刷局,1992,p.42
2羽島悟,単元「環境」の授業・その2一「森林破壊」から「環境」を考える一,深沢久・
羽島「吾『環境の授業紙道徳教育の改革をめざして』明治図書,1992,pp.57・85 3羽島,前掲書2,pp.77・79
4羽島,前掲書2,pp.80・81 5羽島,前掲書2,pp.79・80 6羽島,前掲書2,p.79
7岩田一丁目社会化固有の授業理論30の提言総合的学習との関係を明確にする視点』
明治図書,2001,pp.90・91
8作文をみると,子どもたちの関心は「ハンバーガーを食べるか,否か」に集中しており,
これは子どもたちが「ハンバーガーが好きな自分」と重ね合わせている結果といえる。
したがって,子どもたちの認識は,ほとんどハンバーガーおよびマクドナルドから外に 広がっていはいない。本実践では,このように狭い認識にもとづいた意思決定にとどま っている。
なお,41ページで紹介した子どもの作文に「ソ連人が食料に困っている」とあるのは(作 文①②⑦),教師が授業で「ソ連の人,食べ物に不自由→ハンバーガー店できる→ソ連の 人,喜ぶ」と板書したからである(羽島,前掲書2,p.75)。これは明らかに事実誤認で ある。確かにこの時代のソ連は,物不足のため,肉やパンを求めて行列ができたのは事 実であるが,これとマクドナルドの行列はまったく理由が異なる。授業で使われた新聞 記事(毎日新聞1990年2月1日付)に,「モスクワっ子ようやく自由に食べられる西側 レストラン」とあるように,これまでのソ連にはなかった西側の商品やその販売形態へ のもの珍しさと憧れから行列をなしたのである。決して,食糧不足のためにマクドナル
ドに並んで食べ物を求めたのではない。
9第3章第6節で分析する趣α欝加0切騨吻にも,熱帯林の減少とハンバーガーの関 係を扱った小単元がある。両授業における認識内容の落差は,小学4年生と中等学校レ ベルという発達段階の差,道徳と地理という差を考慮しても大きい。たとえば羽島実践 では,最後は子どもたちに,「このハンバーガー会社,ちょっとよくないと思うか,まあ いいじゃないかと思うか」と二者択一を迫っている。しかし,「事実」を知らせているに もかかわらず,自分がどちらを支持するかの根拠はきわめて情緒的であることが子ども の発表意見からわかる。これに対し,趣αθβ血(油騨ρ伽の場合,授業の最後では「コ ヌタリカ政府によるプエルト・ビエホ熱帯林開発に関わる,農牧業者,ハンバーガー・
ショップ経営者,政治家,科学者,環境保護運動家のそれぞれの立場の考察」をおこ なうようになっている。おそらく,それぞれの立場について,資料にもとつく分析的な 考察がなされるであろう。趣召θβ函伽興吻の小単元「熱帯林のハンバーガー」に
ついては,本論文pp.149・151で分析しているので参照のこと。
lo社会科と道徳教育との関係については,岩田,前掲書7, p.170・171参照℃
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