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第4章 学校設定科目「環境問題研究」のカリキュラム設計

第1節 学習目標

 カリキュラム開発にあたっては,まず目標の設定が必要である。設定された目標に照ら して,カリキュラムの骨格となる単元構成原理を導くことになるので,学習対象一ここで は環境問題になる一について,関係諸科学の立場からの内容の吟味と,学校教育で取り扱 う意義という観点から検討されなくてはならない。本章で提案する学校設定科目「環境問 題研究」の場合,本稿の第1章,第2章がその手続きにあたる。そこでの考察をふまえ,

「環境問題研究」の目標を次のように設定する。

環境問題を自然システム,社会システム上の問題の表出としてとらえることがで きる。また「持続可能な発展」概念を批判的に吟味し,「持続可能性」とはなにか,

あるいは「発展」とはなにか,それらを追求すべきか否かについて,価値の分析が

できる。

 この目標は,2つの内容からなる。ひとつは「環境問題」のとらえ方についてであり,

もうひとつは「持続可能な発展」の吟味についてである。本節では,本カリキュラムの目 標の設定理由について述べる。

1.社会問題研究としての環境学習

目標のひとつ目の「環境問題を自然システム,社:会システム上の問題の表出としてとら

えることができる」とは,環境問題を社会問題として研究することをさしている。「環境問 題」の概念が,表層で確認できる環境汚染や自然破壊にとどまらないことは,第1章にお いて指摘した。それは,自然科学の視点からみれば,生態系や物質循環といった自然シス テムに負荷がかかりすぎたために発生した問題としてとらえることができるし,また,社 会システム上の矛盾一開発問題や南北問題(国内的には地域間格差),それらと一体とな った貧困など一が環境汚染や自然破壊という形で表出した社:会問題としてとらえること もできる。これら自然システムや社会システムは,環境汚染や自然破壊ほどには可視的で はないので,目に見える環境汚染や自然破壊を入り口として,問題現象を規定している社 会のシステムに気づき,自分たちが生きる社会について批判的に分析することをめざす。

 しかし,社会科を社会問題科としてとらえようとする立場について,小西は次のような 危惧を述べている1。

地名や年号などの知識をただ注入するだけの平板な社会科授業への謁llを意味したという点では 確かに評価すべきものであるが,半面において社会問題科が社会問題科であるがゆえの不幸な側面 をも忘れるわけにはおかない。それは特定のイデオロギーとの無節操な癒着である。

 小西が指摘するように,社会問題として取り上げる環境問題も,特定のイデオロギーと 結びつきやすいのは事実である。たとえば「大量消費社会否定」「質素倹約型社会提唱」を,

これこそが善であるとして子どもに押し付けている限りにおいては,イデオロギー注入教 育と呼ばれても仕方あるまい2。

 本カリキュラムにおいて,環境問題を社会問題としてとりあげるというのは,あくまで 科学的な事実分析を第一義とするためであり,子どもの価値観形成には直接にはかかわら

い。価値については,社会的論争問題として教材を選択し,ある問題事象に対してなされ る発言や行動を通して,その背景にある多様な価値観を明らかにする。そして,いかにし て,さまざまな意見や即値観を調整しながら政策決定がなされるのか(あるいは,なされ ていないのか)についての批判的吟味をおこなう。このような内容構成原理を編成するこ

とで,小西が危惧する「特定のイデオロギーとの無節操な癒着」を退けることができよう。

後に提案する年間計画では,できるだけ多様な価値観を反映できるように,世界の異なる 地域やスケールの問題を学習事例として取り上げている。

 また,これらの事例分析を通して,人はあるひとつの社会の成員であるにとどまらず,

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第4章学校設定科目「環境問題研究」のカリキュラム設計

家族,地域社会,地方自治体,国家,企業,各種民問団体等を通じて,重層的な社会関係 を結んでいることに気づかせたい。人々が多様な社会集団とリンクしていることを意識す ることによって,学習事例で扱った社会問題としての環境問題は,自分と遠くかけ離れた 問題ではなく,何かを媒介として自分とかかわりのある問題として認識できることをめざ

2.「持続可能な発展」概念の吟味

 目標の2つ目の「持続可能な発展」概念の批判的吟味とは,「持続可能な発展」を所与の ものとして学習を始めるのではなく,「持続可能性」とは,あるいは「発展」とはなにか,

それらを追求すべきか否かについて価値の分析ができることをめざす。従来の現代社会や 地理といった科目の中で扱う環境学習は,ともすれば「広く・浅く」なりがちであったこ とは否めない。それは,それぞれの科目の目標や1年間で学習する内容を考えれば,仕方 がないことである。しかし,そのために環境学習のキーワード「持続可能性」にしても,

言葉だけが一人歩きし,その意味を生徒自身が十分に吟味しながら学習する機会を保障で きていなかったのではないカ㌔これは,おそらく時間の不足のためだけではない。「持続可 能な発展をめざすべきである」いった規範的知識に対して正面きった異議が唱えにくいこ

とがある。その一方で,「持続可能な発展」の中身はほとんど議論されないのである。

 寺西は,日本人は慣習として演繹的な個人による価値的意志決定よりも「集団による合 意」を問題解決の方法として取ってきた歴史的背景があり,その判断様式がどちらかとい

うと「情緒性」を特徴としているとしたうえで,内的基準としての佃値の吟味の必要性に ついて,次のように指摘している3。

例えばほとんどの戦争において,戦争両当事者は「]礒」の御旗をかかげ多くの犠牲者と環境 破壊を引き起こしてきたのである。従って「正義iとか「平和」という価値でさえ,その価値の皮 袋に具体的になにがもられているかということについて,もっと論理的に吟味され,その具体的イ メージが検討されなければならないと考えるのである。心情的にそれに寄り添うという「価値判断」

ではなく批判的吟味の過程が不可欠なのである。

「価値の皮袋」には,何がもられているのか。時には本人でさえ無自覚な皮袋の中身を

分析することは,子どもが持つ既成の,常識的な佃植観を揺さぶり,自分の「伍植の皮袋」

の中身の確認し,再構築する助けになろう。したがって本カリキュラムでは,一定の持続 可能な発展概念の習得をめざすことはしない。それは,子どもひとりひとりに委ねられる ことになる。

 しかし,価値観形成を子どもたちに委ねるとはいえ,内容を構成したり,学習事例の選 択をおこなったりする上では,教師の側が持続可能な発展の概念について整理をしておく 必要がある。持続可能な発展の概念は,地球環境問題も含めて,環境政策を推進するため の基本理念として世界中で広く受け入れられているが,その概念は統一されているわけで はなく,これまで多くの人が,さまざまな観点から定義しているからである。

  「Sustainable Development:持続可能な発展」概念についての類型化を試みたのが,

森田と川島である4。彼らは,主要な41の論文を分析して,それぞれの定義においてどの ような観点が主張されているかを整理すると,各々の定義が複数の観点からなされている のが読みとれるという。たとえば,生物の多様性,環境容量,天然資源の保全といった自 然の制約,永続的な経済成長や世代間の公平性といった将来世代との分配問題それに南 北問題の解消,生活質の向上,社会正義や文化的価値の追求などである5。森田と川島は,

このような多様な概念規定を,自然条件を重視した定義世代間の公平性を重視した定義 より高次の観点からの定義の3つに類型化している。名類型の概念規定の観点および,評 価をまとめたものが,【表4・1・1】である。

実際には,どれかひとつの観点に立つのではなく,異なる類型の複数の観点がとり入れ られていることが多い。しかし,子どもたちが,具体事例を通して他者の価値観を探求し たり,また自己の価値観を形成したりするときに,どの観点に重点を置いた持続可能な発 展の概念を想定しているのかを分析する。そして,一般名詞として語られる「持続可能な 発展」に,具体的なイメージが付与されることになろう。

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