第3章 研究の背景
3 農村を訪問先とするツーリズムに関する研究
(1) ルーラルツーリズムの起源
農村を訪問先とするツーリズムは、18世紀ヨーロッパの工業社会の進展により、その後、
都市生活者が郊外の農村等を訪れる余暇活動として広まりはじめた。ワインの主産地のひ とつであるフランスにおいても、海浜や保養地が上層階級の人びとを引き付けたことを受 け、19世紀には一般の都市生活者のなかにも徒歩や馬車によるプロムナード(散策)が流行 し、近郊を訪問先とする旅や、さらに離れた田園地帯にピクニックに出かけるようになっ た(ピット,1998)。こうした動きは、日本においても森林や栽培景観を眺めるツーリズムと
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して、第2次世界大戦以前からあった(第3章第3節参照)。
欧米においてルーラルツーリズムと称される、農村を訪問先とするツーリズムは、Smith et al.(2010 )らの分類では、農村における食や健康、自然環境、倫理などの広い分野を含む とされている。日本においても同様に、農村観光は農業生産活動に関連する以外の対象を 含む広い分野として捉える主張がある(菊池,2008)。これに対して、1992 年に農林水産省 が公表した「新しい食料・農業・農村政策の方向」で示されたグリーンツーリズムは、農 村における自然・文化・人びととの交流を楽しむ滞在型の余暇活動とされ、対象とする活 動を限定的に示しており、Smith et al.(2010)が定義しているルーラルツーリズムに比較し、
狭く定義されている。
本研究で事例対象とする山梨県甲州市勝沼地域に、国内で最初の観光農園「宮光園」が 開園されたのは 1890 年代である。当時の訪問の主たる目的は、希少な果物としてのブド ウを鑑賞することにあった。その後、観光農園が多く開設されるようになると、果実の購 入が訪問の目的となり、さらに「ブドウ狩り」と称し、自ら果実を収穫できることに消費 者の主たる関心が移っている。このように同じ地域において同じ果実を主要な素材とする ツーリズムであっても、消費者の関心や社会的背景などによって構成されるツーリズムの 形は異なっている。
(2)農村景観の文化性に対する評価
多様なルーラルツーリズムの一面についての例をあげたが、農村景観の文化性が評価さ れるようになったのは、1992(平成4)年に国際連合教育科学文化機関(UNESCO)におい て、人間の営為と自然との結びつきの所産としての文化的景観の考え方が示され、「世界遺 産条約履行のための作業指針」が明らかにされたことによるところが大きい。この指針で は、自然と人間の係わりをもとに、①「意匠された景観」、②「有機的に進化する景観」、
③信仰や宗教、文学、芸術活動などに「関連する景観」の3つの領域に、対象を分けてい る。このうちの②の領域に該当するものとして、フランスのサンテミリオンをはじめとす る、ブドウ栽培地を含む景観が世界遺産に登録されている。
井上(2014)は、2000(平成 12)年には「欧州ランドスケープ条約7」が国際条約として成 立したことが、人と自然との関係で形成された景観の保全、条件不利地域を含む持続可能 な発展に影響を与えていると述べている。その例として、イタリアにおける伝統的な農業
7 ヨーロッパにおけるランドスケープの保全管理の向上を目的に、2000年に成立した国際条約。
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や特産品の高付加価値化の取り組みが、市場における差別化を実現し、地産地消を掲げる ルーラルツーリズムが展開されており、ワインツーリズムもその1つであるとしている。
自然環境と係わりながら生産活動を継続するなかで、地域に固有の農業システムや景観 を維持しようとする考え方は、2002(平成14)年に国連食料農業機関(FAO)が示した「世界 農業遺産」にも通じる。これらの国際的な動きを受け、2003(平成15)年には文化庁の主導 により「農林水産業に関連する文化的景観の保護に関する調査研究(報告)」が公表されて いる。その後、世界農業遺産の登録は、主に発展途上国における伝統的な農法や生物多様 性が保持された土地利用が対象とされてきたが、2011(平成23)年に先進国としてはじめて、
石川県の「能登の里山里海」と新潟県「トキと共生する佐渡の里山」が登録された。
こうした農村の栽培景観と周辺の地域資源の「潜在力」をもとにした地域活性化策は、
EU諸国が1980年代末から取り組んできた「LEADER8事業」における、農業生産以外の 活動の拡大と多様化による地域の活性化として、ツーリズムが重要であることを示すもの である。井上(1999)は、第Ⅰ期(1992~1994年)のLEADER事業217件のうちの71件が ツーリズム関連への投資であり、その他についてもツーリズムと何らかの係わりがあると 述べている。また、LEADER 事業の実施に際しては、自治体・政府機関・企業・市民団 体等の連携と協力によるLocal Action Group(LAG)が、人口10万規模の地域をカバー して、地域主体で事業を推進する仕組みがある。加えて、この事業は第Ⅱ期(1995~1999 年)には、予算規模が第Ⅰ期の3倍を超え、事業区分が「後進地域の経済的再編」や「産業 衰退地域の経済復旧」など、地域限定的であったところに条件不利地域が加えられ、広く 効果が及ぶようになったと述べている。
こうした段階を経て、「LEADER+(2000~2006 年)」では地域の限定がなくなった。さ らに、EUによって2007(平成19)年から実施された、「農村の多面的機能や地域固有の価 値に着目した農村地域振興改革」では、LEADER 事業が農業政策における補完的な位置 づけから主要政策へと変わった(市田,2005)。このEUにおけるLEADER事業の手法につ いて西川(2003)は、状況の異なる日本に直ちに援用するには無理があるが、ボトムアップ による手法であること、農村地域の間で情報を共有することは、農村振興を図る上で参考 になると述べている。
また鈴江(2008)は、EU による直接的な農家支援策から、農村の多面的機能による持続
8 Links between Actions for the Development of the Rural Economyに相当する、仏語の頭文字の略。
日本語に訳すと、「農村における経済開発のための活動の連携」。
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型の農村開発が進められ、EU 諸国におけるグリーンツーリズムの展開を促進したと述べ ている。あわせてこの動きが、1997(平成 9)年にロンドンで開催された「農村地域におけ る観光の新しい機会を考察する」会議において、グリーンツーリズムについて議論されて 以降、イギリス、フランス、ドイツなどを中心に拡がったことに言及している。
(3)欧州における統合型農村観光
一方、ツーリズムを農村における地域開発策と位置づけ、域外から安定的なツーリスト の流入を促進するため、「Supporting and promoting integrated tourism in Europe’s lagging rural regions」をテーマとする、EU6カ国の共同研究プロジェクト(2001~2004 年)が進められてきた。そこで示されている「Integrated Rural Tourism(IRT)」の枠組 みは、地域関係者が中心となって自然・社会・文化的な地域の資源を統合し、地域再生に 取り組む考え方にもとづくものである。欧州各地の農村において、経済性を重視し生産性 を高める方向での政策が展開された結果、生産と消費の役割が分離し、人口減少と高齢化 による地域の衰退が課題となった状況を打開しようとして提唱されたものである。人口減 少と経済の縮小により地方地域の諸活動が停滞するという課題に直面し、ポストフォーデ ィズムの下での地域活力向上を観光という形の地域間での交流人口の拡大に期待している (Cawley et al., 2007)。
Saxena et al. (2007) は、IRTが経済・社会・文化・自然・人的組織をもとに、停滞す る地域で内外の関係を構築できる点で、他のツーリズムに比べ地域の持続を可能にする方 策であると述べている。その上で、ネットワーク構築における利害関係者や競合・協調関 係、地域におけるリーダーの役割などについての研究が必要と述べている。さらにSaxena et al.(2008)は、イギリスとウェールズの境界地域を対象とする研究のなかで、地域にある 既存のネットワークの参画は必ずしも必要でないと結論づけている。また、IRT議論の核 はネットワークへの多様な参加と述べているが、概念を示すにとどまっている。
これに対してCawley et al.(2007)は、IRTの枠組みを実効あるものとするには、適切な 管理と制御の下で、地域内外の利害関係者が地域再生に戦略的に取り組むべきと述べてい る。しかし、より広範な関係者の参加、資源利用者間の調整、効果的な活動については検 討されていない。この論文では、地域の利害関係者を対象とする聴き取り調査をもとに、
ツーリズムが拡大することにともなう、大規模開発による景観への影響や交通量の増大に 触れ、持続可能な地域を実現する観点からの、農村観光の「適切な規模」に言及している。
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こうしたIRTの概念と研究フレームは、その後のヨーロッパの農村観光社会学の研究に おいて参照され、地域再生を支える理論の1つとされてきた。Sims(2009)はツーリズムと 地域固有の飲食物との関係について、飲食物が単に土地を象徴するだけでなく、消費者の 地産地消行動が経済的、社会的に意義があると主張することが、地域にとって重要である と述べ、IRTの概念を支持する立場で論じている。
また、スペインのカナリー諸島でのワインツーリズムの研究では、伝統あるワイン生産 地域の持続のためには、地域のワイン生産者の組織化、関連分野との共同、行政支援の拡 大があれば、社会・経済・環境面での持続的関係性が築かれ、経営の安定と地域の伝統が 守られると述べている(Alenso et al.,2012)。ただし、この考え方を支えている枠組みは、
Sims(2009)と同様にIRTの概念であるが、地域内外の利害関係者との関係構築についての
具体的言及はない。
(4)農業生産活動にみる文化性
自然環境や特産品に加えて、文化をはじめ地域に潜在する多様な資源の可能性を引出し、
それらをもとに持続可能な地域経営を目指す研究は、ルーラルツーリズム研究における主 要テーマの1つである。しかし、生産活動を通して自然や環境に働きかけ形成された農村 景観の資源性とともに、農業生産活動そのものが持つ文化性について論じているものは少 ない。末原(2009a)は、『文化としての農業 文明としての食料』の序章の冒頭で、「農業は 文化としての側面をもっている。」と記している。その主張の拠り所としては、自然環境と 農業技術と人間社会の仕組み、これらの多様性が重なり合い、文化としての農業が成り立 っていることをあげている。
また、内山(2006b)は農業生産における価値についての考察をとおして、労働生産物とし ての農産品に対して消費者が関係的かつ文化的な価値を見出すならば、生産行為としての 労働は、文化的な営みとしての側面を持つと述べている。さらに木村(1992)は、「文化は耕 作ではないか」と述べ、土を耕し、美味しい作物を収穫し、喜びを分かち合うことが基本 であることを示している。さらに、文化の成立は土地と深く係っており、人間が自身の体 力と知力を注いで大地に働きかけ作物を収穫することが、文化の根源ではないかと述べて いる。
これら主張の背景には、農業は土地と不離一体の生産活動であり、所与の環境条件の下 で生産者が働きかけた成果として作物を収穫できるのだが、大型機械の導入などにより生
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産性の向上が図られる過程のなかで、生産活動に付随する地域文化に対する関心が、相対 的に薄れてきていることがある。内山ら(2010)によると生産活動は2つに大別され、その 1つは労働によって「モノ」をつくる農業を含む中小の事業者による生産活動、もう1つ は生産や流通を管理し大量生産する大規模な生産活動である。後者は一定規模の資金を持 つことによって参入可能となるが、前者は農業に代表されるように、自然環境をはじめと する所与の条件下で、限りある資源をもとに行う生産活動である。現代社会における全て の生活者は、この2つの社会システムと折り合いながら、ダブルスタンダードの下で生活 することの重要性を述べている。また、後者のシステムでは、消費者からみて生産活動に おける「労働」がみえ難く、生産と消費の乖離を拡大することにつながっていることを指 摘している。あわせて、消費者は生産活動における「労働」を知ることを通して、生産物 価格の妥当性を理解するのだとの考えを示している(内山ら,2010)。
本研究で事例としたワイン生産においても、果樹栽培は土地と不離不可分であり、永年 作物であることから、生産活動にともなう文化の蓄積が可能であるという側面と、年数を 経て成果が実るという固有の事情がある。従って、ワインツーリズムを対象とする研究に おいても、短期的な視点での経済効果だけにとらわれず、果樹が生育する時間的経過のな かでの生産活動であることを踏まえ、中長期的視点での地域の持続を見据えた検証が重要 である。