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ワインツーリズムに関する研究

第3章 研究の背景

4 ワインツーリズムに関する研究

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産性の向上が図られる過程のなかで、生産活動に付随する地域文化に対する関心が、相対 的に薄れてきていることがある。内山ら(2010)によると生産活動は2つに大別され、その 1つは労働によって「モノ」をつくる農業を含む中小の事業者による生産活動、もう1つ は生産や流通を管理し大量生産する大規模な生産活動である。後者は一定規模の資金を持 つことによって参入可能となるが、前者は農業に代表されるように、自然環境をはじめと する所与の条件下で、限りある資源をもとに行う生産活動である。現代社会における全て の生活者は、この2つの社会システムと折り合いながら、ダブルスタンダードの下で生活 することの重要性を述べている。また、後者のシステムでは、消費者からみて生産活動に おける「労働」がみえ難く、生産と消費の乖離を拡大することにつながっていることを指 摘している。あわせて、消費者は生産活動における「労働」を知ることを通して、生産物 価格の妥当性を理解するのだとの考えを示している(内山ら,2010)。

本研究で事例としたワイン生産においても、果樹栽培は土地と不離不可分であり、永年 作物であることから、生産活動にともなう文化の蓄積が可能であるという側面と、年数を 経て成果が実るという固有の事情がある。従って、ワインツーリズムを対象とする研究に おいても、短期的な視点での経済効果だけにとらわれず、果樹が生育する時間的経過のな かでの生産活動であることを踏まえ、中長期的視点での地域の持続を見据えた検証が重要 である。

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ーロッパ各地に広がりはじめ、ワイン産地を訪ねるツーリズムは大衆に受けとめられるよ うになった (山下,2009)。

Gemelch et al.(2011)は、アメリカ・カリフォルニア州のナパバレーとワインツーリズム に関する記述のなかで、同地を目的地とする最初のワインツーリズムは、1934(昭和 9)年 に旅行会社によって催行され、その後、急速に拡大したと述べている。このことからも、

ワインツーリズムが研究対象として着目される以前から、ワインツーリズムの実態があっ たことが分かる。

Hall et al. (2005)は、Nivelliの編集による“Niche Tourism”のGastronomic Tourism に関する章の記述のなかで、欧州におけるフードツーリズムとワインツーリズム展開の経 緯を明らかにしている。今日のツーリズムにおけるフードとワインなどの飲料は、ツーリ ズムにおける主要な動機や目的でないとしても、ツーリズム体験を構成する要素の1つで ある。しかし、19世紀初頭から中頃までは、移動に時間と費用を要することなどから、関 心を示す者は少なかったとある。そうした状況が変化したのには、自家用車が普及しはじ め、自動車専用高速道路が整備されたことが影響しており、ワイントレールやワインロー ドと呼ばれるルートが知られるようになったと、Hall et al. (2005)は述べている。

その後、第2次世界大戦がはじまり、ツーリズムへの関心は低下したが、戦後は食への 関心と支出が伸び、交通工学技術が進展したことと相まって、飲食を包括したツーリズム が広がりはじめた。こうした変化の理由として、人の移動が多くなったこと、消費者の「食」

への関心が高まったことを上げている。さらに重要なことは先進諸国で進行している農業 の再構築であると指摘している。国際的な農業協定や関税の撤廃、生産者に対する助成削 減等に対抗する、新たな方策を模索していた農業者にとって、地域に固有な生産技術を活 かし、消費者に直接販売して利益率を高める機会を得るという点で、生産者と消費者が対 面することの重要性を指摘している。さらには農業分野における生産者と消費者の関係構 築に対する、ツーリズムによる交流の有効性を示唆しているが、その規模は 1970 年代ま では欧州においても限定的であったと述べている(Hall et al., 2005)。

一方、日本においては1923(大正12)年に甲州市勝沼地域のワイン生産者が、700人規模 の貸切列車による招待旅行を催行した(山梨日々新聞,1978)。この旅行は生産地主導によ る販売促進活動の側面が強い企画であったが、町内の名所や食べ物を紹介し、地域住 民との交流を行うなど、その内容は地域資源活用の視点に立っており、早い時期での統 合型農村観光の取り組みとして注目できる。その後、ワイン生産が戦時下で統制され、そ

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の一方で生食用ブドウの需要拡大にともないブドウ栽培が盛んになり、地域外消費者との 交流は観光農園におけるブドウ販売と収穫体験が主流になった。

(2)ワインツーリズム研究のはじまり

ワインツーリズムが観光社会学における研究対象とされるようになったのは、欧米にお

いてもHall(1996)が、ワインツーリズムを次のとおり定義してからである。

“Wine tourism can be defined as visitation to vineyards, wineries, wine festivals and wine shows for which grape wine tasting and/or experiencing the attributes of a grape wine region are the prime motivating factors for visitors.”

ワインツーリズムは、Smith et al.(2010)によるツーリズムの分類では、固有の関心を持 つ層を対象とし開発が期待されるSpecial Interest Tourism(SIT)の1つとされ、先述の

“Niche Tourism”のなかでのHall et al.(2005)のGastronomic Tourismの成果を踏まえ、

大分類(Rural tourism)・小分類(Wine/Gastronomy)に位置づけられている。このワインツ ーリズムの捉え方は、欧米におけるワインツーリズム研究で基調とされている考え方で、

ワインという「モノ」を主たる観光対象としている。ツーリズムの内容は、ワインを購入 することや食事とともに賞味すること、これらに関連するイベントを楽しむことにある。

Hall et al.(2000)は、“Wine Tourism”のなかで、ワインツーリズムでは過去の体験と獲 得した情報をもとに来訪者がイメージを形成し、訪問の動機付けとなると述べており、訪 問前のこれらの条件に行動が促されていることを示している。その後、食に対する選好性 とワインに対するこだわりの程度との相関関係を図示し(図 1 参照)、こだわりの程度を もとにフードツーリズムを細分化し、主たる構成要素の違いについて分析している(Hall et al.,2003)。これらの研究は、観光行動が過去の情報にもとづくイメージに促されることを 示唆しているが、その範囲はフードとの関係にとどまっている。

さらに、Hall et al.(2008)は、世界で開催されている食とワインに関連する祭典とイベン トを概観する“festivals and events”を編集しており、そのなかでHashimoto et al.(2008) が、日本の郷土料理や酒類の紹介とともに、イベントの開催状況などをまとめている。そ して、地域のアイデンティティや郷土料理が形成されるうえで、地理的条件や歴史が重要 性であると述べている。

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図1 Food tourism as special tourism

出所)Hall.(2003):“Food Tourism Around the World-Development, management and markets-”, Elsevier, p.373

一方、日本では欧米に比べワイン生産の歴史が浅く、生産量と消費量ともに酒類に占め る割合が低い状態が続いてきた。また、ブドウ産地においても生食用ブドウの栽培が主流 であったことから、ワイン生産地を訪ねるツーリズムへの関心は低かった。本研究で事例 対象地域としている、ワイン生産の歴史が長くワイナリーが集積している甲州市勝沼地域 においてさえ、その萌芽はあったものの、ワインツーリズムは知られていなかった。こう した状況の下で、笹本(2009)は民間団体「ワインツーリズム山梨9」を設立し、新しい旅の スタイルとしてワインツーリズムを提唱している。また、同団体副代表の大木も、2008(平

成20)年に山梨県と甲州市から補助金を得て開催した、「ワインツーリズムやまなし2008」

に関して、ワイン販売による直接的な経済効果だけでなく、宿泊や飲食などの関連消費も 見込まれること、生産者に意識の変化をもたらすことを開催の効果としてあげ、全国に広 がることへの期待を述べている(山梨ワインツーリズム,2010)。

「ワインツーリズムやまなし2008」の取り組みが報道されて以降、国内各地のワイン産 地の情報やワイナリー訪問の魅力を紹介する書籍等が発行されているが、国内のワインツ ーリズムを取り上げた、体系的研究や学術書はほとんどない。そうした状況の下で、鈴木 (2009)は、観光活性化におけるフードツーリズムに関する報告のなかでワインツーリズム

9ワインツーリズム山梨」は、「ワイナリーを巡り、つくり手と触れ合い、彼らのワインを味わう、そ のワインが生まれた土地を散策しながら、食や文化を楽しむ旅のスタイル」を提唱し、「ワインツーリ ズム」を商標登録している。

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に触れ、アメリカ・カナダ・オーストラリアなどでは、旅行先での郷土料理の食べ歩きや ワインツーリズムの展開に力点を置いた、地域活性化策がとられていると述べている。こ の報告では、Hall et al.(2003)が示した、Foodへのこだわりを段階的に図示した考えを、

直ちに日本の食文化ツーリズムに取り入れることは困難であると述べている。そして、ワ インツーリズムは食事やワインに対する選好性が高いグルメツーリズムというよりは、広 範な好みの意味での飲食をともなう「カリナリーツーリズム」に包含されると述べている。

一方、鈴木(2009)は、カリナリーは料理や食に関連する広い意味で使われ、ツーリズムの 目的としての食事と飲み物に対する選好度が中程度のものが、「カリナリーツーリズム」で あるとしている。この考え方は、ワインツーリズムを食事との選好度が高いものから低い ものまでの段階のなかで捉えた、Hall et al.(2003)による図式と異なっている。このほかに も、山梨県や北海道など国内各地で展開されている、ワインツーリズムの実施例やその成 果に関する報告がある(笹本,2010、千石,2010)。

こうした食事との関連でワインツーリズムを捉えた研究の一方、井上(2014)はイタリア では農村を取り巻く事情が日本と同様に厳しい状況であることを踏まえ、訪問先の快適性 を享受することを目的とする田園観光と農業観光を区別していることに触れている。農業 観光は、その土地の伝統的な農業や農産品の価値を高め、地産地消を推奨しようとするも のであり、「ワイン観光」もその1つであると述べている。このような海外事例の紹介もあ るが、日本国内においてはワインツーリズムに関する観光社会学的な研究の積み重ねは不 足している状況にある。しかし実態としてのワインツーリズムは、農村を訪問先とする新 たなツーリズムの1つとして、新聞やテレビなどによる報道や雑誌等で紹介され、都市生 活者の関心を集めて各地で普及している。

(3)ブドウ栽培地の景観と地域イメージ

ブドウ栽培地の景観は気象や土質など固有の環境条件の下で、多年の生産活動の結果と して形成されたものであるが、ワイン産地の環境条件などを反映した固有の様相を呈して いる。そのため、消費者にとってブドウ栽培地の景観を含む地域のイメージは、「ワインツ ーリズム」における観光行動を誘発する要素となり得る。

イメージの形成に関する研究は主に、都市や「まち」に関するものであり、リンチ(1959) は現在の知覚と過去の経験をもとに、人間が情報を解釈して行動する上でイメージが用い られると述べている。この主張は、行動における視覚的側面の重要性を指摘しているが、

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都市における構造物の作用に着目した理論展開で終始している。また、ブーアスティン (1964)は印刷革命による複製の増大によって、新奇な出来事(疑似イベント)が自然発生 的な出来事を凌駕し、人々はつくられた「イメジ10」をもとに行動し、旅に対する主体性 を失ってしまったと述べている。一方、コトラーら(1996)は「まち」のイメージとは、関 連する多くの情報をもとに,その本質を捉え単純化しようとする心理の産物であるとの考 えを示している。そして、衰退する「まち」が市場の変化に適応し、競合相手に対し優位 の立場を維持するには、地域イメージの形成と対外的コミュニケーション活動を、戦略的 に進めることが必要であると主張している。

イメージに関する国内の先行研究としては、地域に関する情報量とそれにより形成され るイメージが、地域交流の促進を規定すると田中(1997)が述べており、地域内外の主体が 持つイメージの相互作用が、地域イメージの変容をもたらすと主張している。また、地域 イメージには地域の実態が投影されているが、地域のイメージと実態の間には乖離がある とも述べている。しかし,ここで対象としているのは固有の自然や文化を持ち、地域やイ メージづくりに取り組む自治体である。地域の衰退という社会課題を抱える農村での、高 次加工をともなう小規模な生産活動をもとにした、本研究で着目している生産者と消費者 との共創関係のなかでの地域イメージ形成の事例ではない。抽象的で捉え難い概念である イメージについての研究成果の蓄積は多くはないが、交流人口の拡大を目指す「まちのイ メージ」をつくる取り組みが各地で行われてきた。金田ら(2006)は,地域外の人たちが地 域に持つイメージは,地域に対する認知度が高く訪問体験のある方が,評価が高いと報告 している。また,大津(2011)は地域ブランドの形成には、地域に対し消費者が持つイメー ジの現状把握が必要として、地域に対して首都圏の消費者が持つイメージについての調査 をもとに,訪問を通して良いイメージが高まると述べている。

ブドウ栽培地の景観は、地域イメージづくりを目的として形成されたものではないが、

栽培地域の気候や地理的条件のなかで、ブドウという永年作物を栽培する生産活動によっ て形成されたものであり一様ではない。甲州市勝沼地域を含むブドウ栽培地の景観につい て、佐々木(1966)は、同地域のブドウ栽培の景観をドイツKaiserstuhlのブドウ栽培地の 景観と比較している。また、同地域のブドウ栽培農家の経営状況について、この地域の生 食用ブドウが高値で取引されるので、一般農業経営に比べ農業資本が4倍、投下資本が2 倍、所得は3倍であり、農業外所得が少ないと述べている。さらに、ワイン用に振り向け

10 敢えて「イメジ」と訳されているように、現代における用語と使われ方が異なっている。