第3章 研究の背景
2 農村における地域再生と都市との関係構築
(1)国による地域開発と過疎対策
今日の農村が抱える社会問題は、第二次大戦後の復興を図る 1950 年代後半から 1960
22 2012 (平成24)年4月に設立した、農水産資源を活用した6次産業の確立に取り組む、産学官に金融を
加えた連携・共同体。
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年代前半にかけての第1次高度経済成長期の、地方から都市への大規模な人口移動に端を 発している。1960年代はじめのピーク時には、年間40~50万人規模で地方から三大都市 へ若年労働者が移動した。全国の農村は、工業社会への移行にともなう大都市の労働需要 に対し、労働力供給源として日本経済の成長を支えた。しかし、農業と工業の所得格差が 拡大したことから、「農業基本法」が1961(昭和36)年に制定され、生産性の向上や需要の 増加が見込まれる果樹栽培や施設園芸等への転換が奨励されるとともに、自立的経営に向 け規模の拡大や近代化が図られた。続く1960年代後半から1970年代前半にかけての第2 次高度経済成長期は、重化学工業の拡大に合わせて石炭から石油へのエネルギー資源の転 換が図られた時期であり、高度経済成長の歪が貿易摩擦や地方地域の過疎問題として表面 化した。こうした状況の下で1962(昭和37)年にはじまった「全国総合開発計画」は「地域 間の均衡ある発展」を掲げ、地方における道路・港湾などの社会資本整備の必要性が強調 され、全国規模での地方開発が1987(昭和62)年まで4次にわたり進められた。
また、人口過剰から一転して過疎問題を抱えるようになった地域に対しては、「過疎地域 対策緊急措置法」(1970)にはじまり、「過疎地域振興特別措置法」(1980)、「過疎地域活性 化特別措置法」(1990)と続く一連の法整備が進められ、その過程において、当初の地域間 格差の是正や住民福祉の向上という目的に、順次、地域の振興、雇用の増大などが加えら れた。
このように国土開発と過疎対策の両面から、農村を含む地方地域の振興策が進められた が、何れの政策も意図した効果が十分に得られないまま経過した。そこで、これらの国土 開発政策や過疎対策など農村に焦点を当てた対策だけでは限界があるため、農村の多面的 機能に着目し、都市からの観光を含む交流人口を創出し、都市との関係のなかで地域の活 性化を図ろうとする動きが出てきた。
「第四次全国総合開発計画23」 (1987)では、交流ネットワーク構想が示され、第5次の 総合開発計画にあたる「21世紀の国土のグランドデザイン」では、多様な主体の参加と地域 連携による国土づくりの考え方が示された。また同年には、地方地域の振興・国民余暇生 活の充実・民間による内需拡大を掲げ、施設整備や税制面での支援策を打ち出した「総合 保養地整備法」(1987)が制定され、観光による地方地域の振興政策が明確な形で示された。
しかし、「リゾート法」の名で知られている同法にもとづく事業のなかには、前述のように
23 国土総合開発法 (1950年制定) に基づく長期計画で,多極分散型の国土構築を目指す交流ネットワー ク構想を基本目標に掲げている。
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バブル経済の崩壊で事業が中断し政策転換を迫られた例も多い。
この間にも、農村における少子高齢化と家族の小規模化は進行し、これらの課題に対応 する農村独自の取り組みが行われた。高野(2002)は、山口県長門市真木渋木地区における 農産加工直売施設「ふれあいハウス」の事例について、地域内で生産した農産物を参加者 が加工し販売する活動を通して、そこでのつながりが生活の安心感をもたらしていると述 べている。同氏は夫婦単位の個人加入による会員組織が、従来型の地域運営で成し得なか った地域社会の再編を促していることに着目し、こうした取り組みを経済的観点だけで評 価することに慎重な見方を示している。
玉(2002)もまた、宮城県丸森町における「手づくりのむら」整備事業の例をあげ、農村 における地域課題への対応においては、生活改良普及員の指導と実践の果たす役割が大き いと述べている。この事業は、青年会、婦人会、長寿会等を含む住民組織の代表で組織す る「住みよいむらづくり推進協議会」が中心となって、生活環境面に関する地域の実情に ついての住民の意見を聞く悉皆調査の結果をもとに行われた。その結果、地域の振興を図 り住民が地域に誇りを持てるよう、「自給を高めた健康な暮らし」をはじめ5項目の改善目 標が定められ実践された。
こうした組織だった取り組みのほかにも、「新農業構造改善事業24」等の制度的支援を活 用するなどして、農産品の加工や提供などに取り組んだ事例は多数ある。それらのなかに は当初の事業目的が達成されず、事業収支が大幅な赤字となって会計検査院の指摘を受け、
事業の継続が困難になった例もある。その要因としては、事業主体による消費者需要の調 査が不十分なことに加えて、広域的観点に立った事業展開の考えが不足していることが指 摘されている。指摘からみえてくるのは、地域内の資源を地域の人の技術と労力によって 製品化し、地域内での利活用を図りつつ来訪者にも販売するという、経済効果を地域内で 還流させることをメインに、来訪者への販売も見込んだ事業計画と現実の隔たりである。
蘭(2002)は、これらの取り組みの背景には、1970年代の高度経済成長下での農村から都 市への人口移動により、イエやムラといった農村の基本的な仕組みが崩壊しはじめたこと に加えて、農村の地域社会にとっては1980年代にはさらに大きな「構造転換」があったと 述べている。その転換とは、「前川レポート25」に象徴されるような市場のグローバル化の
24 1961(昭和36)年から行われている、農業基本法第21条の規定にもとづく国の補助事業で、「新農業構
造改善事業」は1978(昭和53)年から始まった第3次事業の名称。
25 日米貿易摩擦下の1986(昭和61)年、中曽根内閣の私的諮問機関として設置された「国際協調のための 経済構造調整研究会」が委員長名(前川春雄)で提出した報告書。
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要請、環境を含む農村の多面的機能への関心の高まり、グリーンツーリズムの動きなどで あり、その後の農村のあり方に影響していると記している。農村には「生産の場」として の食料を供給するという基本的使命に加え、地域外との関係のなかで地域資源が持つ多様 な側面を、自ら見出し活用して地域を経営することが求められていた。
(2)農村と都市との交流による関係構築の動き
前項で記した「構造転換」に対応する政策は、1992(平成 4)年に公表された「新しい食 糧・農業・農村政策」のなかで示され、後の農村基本法を改定し「食料・農業・農村基本 法」制定の動きへとつながっている。「新政策」と呼ばれたこの政策は、農業経営体の育成 や中山間地域の振興を目的としたものだが、グリーンツーリズムを政策課題の1つとして 提示した。この背景には、生活の質の向上を求める都市生活者のなかに、多様な余暇活動 の1つとして、農家民宿などの形でのツーリズムに対する関心が高まっていた都市側の事 情と、地域経済の停滞と過疎化によって脆弱化していた農村社会の事情がある。グリーン ツーリズムに関する初の施策として、「モデル整備構想策定事業」(1993)が実施され、4年 間で205カ所の市町村が指定されている(荒樋, 2008)。その後、「農山漁村型余暇法」(1998)、
「農村改革大綱」(1998)、「食料・農業・農村基本法」(1999)が整備され、それらのなかに も都市との交流拡大の考えが示され、農村振興に観光の視点が取り入れられた。さらに、
2000(平成12)年には「食糧・農業・農村計画」に、滞在型余暇活動としてグリーンツーリ
ズムの推進が位置づけられた。また、国土交通省は「観光立国行動計画」(2003)のなかで、
農村と都市の交流による地域振興策を示し、そこでは農村地域での活動を観光対象とする、
ルーラルツーリズムやグリーンツーリズム、エコツーリズムなどが試みられた。
農村を訪問先とするツーリズムの実態は、こうした政策が展開される以前からあった(本 章第1節第3項参照)。呉羽(2013)は、1950年代から1970年代にかけて広まった観光農 園、1960年代から1970年代にかけての農家民宿などの例をあげ、これらは農村にあるル ーラリティ26を消費しようとするものではなく、農産品を入手することやスキーなどのレ クリエーションにともなう宿泊など、付随的な理由によって農村を訪問先としていると指 摘している。また、その形態も、他の観光資源と組み合わせ周遊するマスツーリズムであ ると述べている。
こうした状況のなかで、前項で記したとおり、1960年代からの農村から都市への人口移
26 農村空間に独自な特徴と、これに関連する文化的特性を示す表現。
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動が進み、都市における出生率が農村における出生率を超え、都市で生まれ育ち、住む消 費者が増加した。呉羽(2013)は、このような消費者の増加によって、農村景観や文化など を含む農村に対する消費者の認識に変化が現れはじめ、ルーラルツーリズムが広がる転機 になったと推察している。
青木(2008)は、グリーンツーリズムが農村と都市との連携や共生を実現する政策である ことを評価しつつも、理念が共有されないまま急速に事業が展開されていることに対し懸 念を示している。修学旅行の受入れなど経済効果重視のマスツーリズム形態の例もあるが、
「グリーンツーリズムモデル整備構想策定地区」に指定された事例の研究を通して、「身の 丈」に合った小規模で質の高い実践によって、持続可能な交流が具現化できると述べてい る。同氏は教育的体験の持つ効果を全否定しているわけではなく、確かな理念の共有があ れば、体験を通して得た感動や創造をもとに、「農」が持つ多元的価値を再創造し、人間の 本源的価値を問い直す効果が得られるとの期待を示している。ただし、過度な消費者ニー ズへの対応は、外部経済効果によって農業収入を増し平準化を図るという事業の設計意図 に反し、農政の主体と客体の転倒につながりかねないと指摘している。
一方の過疎対策において、地域間格差の是正、雇用の増大、住民福祉等の視点での一連 の政策に、地域の自立や風格ある国土の形成、さらには交流の視点が示されたのは、「過疎 地域自立促進特別措置法」(2000)以降である。観光と居住の中間である「交流居住」の提 案は、地域の自立への貢献とともに都市生活者の「田舎暮らし」や自己実現の効用を掲げ ている。同法に関する調査報告書では、事例紹介とともに問題点や対応が示されている。
「田舎暮らし」に対する都市生活者の関心は、1980 年代後半から徐々に高まっていたが、
2000年代の前半にピークを示し、その後も継続している。これらの「田舎暮らし」を後押 しした政策には変遷があり、1980年代後半からはリゾート法の影響、2000年代には団塊世 代が定年期となる 2007(平成 19)年を見据え、移住を促す地域振興策が深く関連していた。
本研究が事例として取り上げたワインツーリズムをはじめ、観光により農村と都市との交 流を進め、二地域居住や移住につなげることを期待した取り組みが各地で展開されている。
(3)地域資源概念の拡張と農村地域の再生
これまで、国の政策の変遷と農村における地域の取り組みの両面から、農村における農 産品の高次加工や販売、地域外との交流人口拡大による地域再生の例について概観してき た。繰り返しになるが、各地で行われてきた農産物を加工し、価値を付加して競争力を高