第5章 事例対象地域におけるワイン生産とワインツーリズムに関する調査
3 ワインツーリズムによる地域活性化の取り組み
―果樹栽培を主産業とする山梨県甲州市勝沼地域の事例―
(1)はじめに
甲州市は、2005(平成17)年、旧塩山市と旧勝沼町、旧大和村が合併して誕生した。この うちの旧勝沼町にあたる勝沼地域は、日本における民間によるワイン発祥の地で、後述す るワイン生産に係る歴史的な変遷のなかで、継続的にワイン生産が行われてきた地域であ る。同地域は、山梨県におけるワイン生産の中心地であり、日本のワイン産業界の牽引役 としての位置づけにあるが、ワイン用ブドウと生食用ブドウがともに栽培されてきたとい う特色がある。
同地域におけるワイン生産の経緯については、第3章3節でその一部に触れたが、ブド ウ栽培の内訳では、生食用ブドウ栽培が中心であった。1910年代後半から景気が浮揚し、
ワインが洋食店等で供されるようになったが、1923(大正12)年の山梨県内のブドウ生産量 に占める、ワイン用にあてられるブドウの割合は約 3%と僅かであった。そこで、消費者 にワインを知ってもらい、ワインの消費需要を創出する先駆的な取り組みが行われてきた。
そのなかには関東圏などのワイン販売者や消費者のために特別列車を運行し、ブドウやワ インを賞味し、地域の景観を楽しみ、人々との交流の機会をつくるなど、ワインツーリズ ムの萌芽と言えるものがあった。その後、日中戦争にはじまる戦時統制によりワイン消費 は縮小したが、ワイン成分が軍事用機器に必要とされ生産が続けられてきた。しかしこの 地域においても、ワインが地域外の消費者に広く受け入れられるようになるのは、国内の ワイン消費が伸びた1970年代以降である。
本研究では、こうした経緯を踏まえつつ、ブドウ栽培とワイン生産を主産業とする同地 域の課題に対し、ワイン生産者と消費者との観光による関係構築に着目して調査結果を整 理し論述する。この地域には山梨県内で操業しているワイナリー80カ所、甲州市内35カ 所のうち、29カ所が集中しており、創業年数や施設規模、生産の様式等は多様である。山 本(2008)は、こうした事情から、この地域を含む山梨県のワイン産業の実情を捉えること は難しいと述べている。同地域のワイナリーは全て民営であるが、県や市町村が、この地 域でワイン生産をはじめた初期の段階からブドウ栽培やワイン生産に関与してきた。その 理由としては、果樹栽培が主産業であることと合わせて、生食用ブドウ栽培とワイン生産
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が併存し、その経営形態が多様であり、生産者間での協同が図り難いこともあると思われ る。
山梨県は、2013(平成25)年度の生食用を含むブドウの全国収穫量の約25%を占める、ブ ドウ栽培県であり、勝沼地域はその中心的な位置づけにある。生食用としても出荷されて いる、日本原産のワイン用ブドウ「甲州」種が多く栽培されている地域であり、高温多雨 の気象条件の下で良質なブドウを収穫できる棚づくりが主流である。そのため、ブドウ栽 培地を上方からみた場合、地面がブドウの葉で覆い尽くされる固有の景観を形成している。
図1は、山梨県における甲州市と勝沼地域の位置とブドウ栽培地の景観である。
図 1 山梨県における甲州市の位置と勝沼地域のブドウ栽培地
この地域では、明治時代の中頃から観光農園などの動きがあり、ブドウを収穫する喜び を分かち合い「ブドウを愛でる旅」が続けられてきた。2008(平成20)年、山梨県内の有志 によって組織された「ワインツーリズム山梨」によるワインツーリズムは、こうした歴史 的経緯のある地域における地域資源としてのワインを再評価し、ワイン生産者や行政では ない地域の有志が提案し実施されたものである。この動きは、新しいツーリズムとして消 費者やワイン生産者、行政関係者などに注目され、同様なワインツーリズムの取り組みが、
各地で企画され実施されるようになった。
このように、ワインの生産や販売だけではなく、ワイン関連の地域活動の面でも先駆的 に取り組んできた同地域において、現在、ブドウ栽培地としての世界農業遺産登録に向け 山梨県と甲州市、笛吹市、山梨市が協調して動き出している。これまでも同県では「国際 ブドウ・ワイン機構(OIV)」への、ブドウ品種「甲州」の登録や地理的表示「山梨」の指 定など、世界市場を視野にワインの品質向上や販路拡張の施策を展開し、この地域に固有
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なワイン生産文化を世界に向け発信している。勝沼地域で1870年代から続けられてきた、
ワイン生産活動に埋め込まれた技術や「地域の物語」が、世界水準での正当な評価が得ら れることを通して、土地の人々の地域に対する誇りの醸成を促す動きとして注目できる。
(2) 甲州市勝沼地域の概要 1)地理的条件と人口推移
甲州市は、北緯35度42分、東経138度44分、山梨県中央からやや西に位置する。2005(平
成17)年に旧塩山市と旧勝沼町、旧大和村が合併して甲州市となった。市域面積264.1㎞2
のうち、旧勝沼町にあたる勝沼地域は 35.88 ㎞2である。勝沼地域は甲府盆地の東端に位 置し、中央から西部は甲府盆地の平坦な地形であるが、東部と南部は丘陵地帯で東部の山 間地に水源のある深沢川が西に流れる、ほぼ方形の地域である。
2010(平成22)年の国勢調査による甲州市の総人口35,927人のうち、旧勝沼町に相当す
る地域の人口は8,923人である。甲州市と勝沼地域の人口推移は、図2とおりである。こ の間の甲州市の人口減少率は、21.2%であるが、勝沼地域については17.5%であり、1970(昭
和 45)年からは9,000 人前後で推移している。しかし、勝沼地域を含む甲州市の高齢化率
は29.4%であり、その内訳でみると人口の社会動態よりも自然動態の影響によるところが
大きく、高齢化が進行している。
図 2 国勢調査による甲州市と勝沼地域の人口推移
2)気象条件からみた栽培適性
山梨県の研究機関1では気象台のデータをもとに、甲州市勝沼地域の1990(平成2)年から
1 山梨県が甲州市勝沼地域に設置している研究機関「ワインセンター」では、同センターのホームページ
「山梨ワイン百科」で、ワイン生産に関する統計資料等を公表している。
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2013(平成25)年の、月平均気温、毎月の降水量、月間の日照時間の積算値を公表している。
この間の、年平均気温は 14.0℃、年間降水量の平均値は 1,099mm、日照時間の年積算の
平均値は2,036時間である。これらは何れも農林水産省「果樹農業振興基本方針」に示さ
れた、ブドウ栽培の基準である、年平均気温7℃以上、4月から10月の栽培期間の平均が
14℃以上、降水量1,600mm以下に適合している。
3)地域農業の概況
2010(平成22)年の「世界農林業センサス」による、山梨県の販売農家の経営耕地総面積
は14,910ha、甲州市勝沼地域の同面積は192haであり、そのうち189ha(98%)が樹園 地である。また、同地域における販売農家数は266であり、モモを栽培している農家もあ るが殆どがブドウ栽培農家で、栽培地の平均規模は約0.7haである。
前述のとおり、勝沼地域の人口は9,000人前後で推移しているが、2010(平成20)年の「世 界農林業センサス」による、販売農家の年齢別経営者の内訳をみると、65歳以上の経営者 が163人で、全体の約60%を占めており農業経営者の高齢化が進んでいる。
(3)ワイン生産の経緯
甲州市勝沼地域を含む、山梨県内におけるワイン生産の経緯を、1978(昭和53)年に山梨 日日新聞社が発行した『ぶどう酒物語』をもとに整理すると、以下のとおりである。
1)ワイン生産のはじまり
山梨県内では、1870(明治3年)頃からワイン製造を試みる者がいたが、事業化に至らな かった。その後、同県は明治政府から産業振興の要請を受け、清酒の代替と輸出を視野に 入れワインの生産を進める方針を示した。この方針により、1877(明治10)年、県立葡萄醸 造所が甲府城跡に設立され、勝沼地域に民間法人組織「大日本葡萄酒会社」が設立された。
この法人では、醸造技術を習得した優秀な人材が必要と判断し、この地域の青年2人を フランスに派遣してワインづくりを学ばせることにした。派遣費用は周辺の郡費2から支給 し、滞在期間は1年限りとする誓約書を交わしたが1年7カ月間になった。フランスでは 大使館勤務の経験があり、後に山梨県知事になる前田正名が2人をサポートした。
2人は帰国後、ワイン生産に従事し1879(明治12年)頃からワインの販売をはじめたが、
日本人になじみの少ないワイン販路を開拓できず、打開策として1889(明治22)年に東京日
2 山梨八郡と称された、東山梨、東八代地区等のブドウ栽培地区が支給した。
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本橋区(現中央区)に直販店を開設した。その頃、ヨーロッパのブドウ畑に甚大な被害をも たらした害虫(フィロキセラ)が日本でも発生し、山梨県のワイン産業は不況に見舞われた。
この間にもブドウ栽培とワイン生産技術の改良が進み、施設設備の改善に加え瓶や樽も西 洋式になり、1890年代後半にはワインの品質が向上した。
山梨県の欧州系ワインを目指す動きに対し、1903(明治36)年、糖を加えた甘味ワインが 関東と関西で生産され、当時の消費者の嗜好を捉え販売を伸ばした。1908 (明治 41)年、
同県内でも甘味ワインの生産を始めたが、後発であることに加えて、資金力不足による広 告量と訴求力の違いを克服できず、値下げで対抗したが市場占有率を上げられなかった。
甘味ワインの価格は 2 倍であったが、消費者の支持を得て売れた。このため、1923(大正 12)年、勝沼のワイン生産者が東京の酒造関係の新聞社と共同し、列車を借り切って東京か ら700人規模の団体旅行を招致している。この内容については後述するが、そのほかにも 東京で開催されるイベントへの出展、チャーター機による宣伝活動などを展開した。
2)醸造用ブドウ栽培の奨励
先述したフィロキセラ被害に対しては、山梨県が1910年代半ばから約30年にわたり多 額の研究費を投入し、この害虫に耐性のあるアメリカ系品種の台木に接ぎ木する方法で克 服した。しかし、好景気だった1923(大正12)年頃には、生食用ブドウが高値で取り引きさ れ、水田や桑畑からの転作もほとんどが生食用であり、醸造用は県内ブドウ生産量の約3%
であった。その後、山梨県以外でもブドウが栽培され、鉄道網が拡がって都市部の市場で 生食用ブドウが競合するようになった。さらに、昭和に入ってからの世界的な不況の影響 で農産物価格が下落し、山梨県産の生食用ブドウは最高値の頃と比べ約5分の1になった。
このことが、醸造用ブドウが見直される契機となった。
生食用ブドウの市場取引価格の下落を受け、山梨県は生産者に対して収穫したブドウを 醸造用に振り向け、価格変動に対応できるよう自家用ワインの醸造許可取得を奨励した。
この背景には、自家用ワイン製造に対する税法上の扱いが緩やかであったことがある。
1937(昭和12)年、日中戦争下で穀類を原料とする清酒がぜいたく品とされ税率が高くなる
と、ワインにも物品税が課せられるようになった。その後、1940 (昭和 15)年、清酒など が配給制度の対象とされた際に、ワインも酒税法の対象品目とされた。
また、第2次世界大戦下の1943(昭和18)年、国から山梨県内のブドウ酒製造者に対し、
ワインの成分である酒石酸が、軍事用音波装置の主要部品原料として必要なため増産の要