第6章 年中行事
第 3 節 夏の行事
[虫送り]
昭和初期には、若宮八幡神社から神礼をもらって 竹に刺して、田畑 3 か所ほどに適当に立てていた。
現在では、虫送りを行なっている家はなく、詳細は不 明であるが、農薬がなかった頃に行なっていたのでは ないかとのことである。
[夏越の大祓]
6 月に夏越しの大祓が若宮八幡神社で行なわれる。
神事のあと、総代と宮司が氏子の家を訪れ厄払いの神 札を配布し祈祷を行なう。祈祷の意味合いは 1 月か ら 6 月まで生きてきて常日頃余計なものがついたの で、それを祓い落とし残りの半年も元気に暮らせるよ うに行なうと説明される。一方、この神札は前項で触 れた虫送りと結びついたのか、新沼では現在、虫送り または虫供養の札とも呼ばれている。害虫除けの札に なるとされ、田の隅や畑に神札を立てる人もいる。
図 6-20 田の水口に建てられたオダノカミサマの神札
図 6-19 用水路の分岐に建てられたオダノカミサマの神札 図 6-21 畑に建てられた夏越しの神札
[七夕]
仙台七夕と同様に、新暦の 8 月 6 日から 8 日まで 月遅れで行なわれている。笹飾りを飾る。現在の笹飾 りは「子どもがいたずらする程度」と表現される簡略 なものであるが、かつては仙台七夕同様の笹飾りで あった。笹飾りには籠を二つ合わせて芯にして吹き流 しを作っていた。笹飾りを田の隅に一週間ほど立てる 家もある。また、七夕飾りは、お焚きあげしていたと いう話も聞かれる。
七夕の日にはご馳走を用意したという家もあり、
また、そうめんを食べるという家もある。ある家では 赤飯と吸い物を作り、それを膳にのせて玄関の所に置 き、ろうそくをともして七夕飾りに供えていた。これ をタナバタサマ(七夕様)に供えるといった。膳は下 げてから家族で食べた。
高度経済成長期ではほとんどの家で七夕飾りを 作っていたが、現在は、子どもがいる家庭のみで行な われていると説明され、子どもの行事として位置づけ られている。
第 4 節 盆
[墓掃除]
盆に先立ち墓掃除を行なう。墓の掃除は 8 月 13 日以前ならいつでもよいとされるが、11 日から 12 日に行なう家が多い。戸主を含め 1、2 名で掃除をす る場合が多く、墓石を拭き、草取りをする。
[盆棚作りと供え物]
盆には盆棚を作る。作る日は、12 日が多い。新沼 では四隅に柱を立て、中間に棚を 1 段設ける形式の 組み立て式の盆棚が多い。大きさは幅が90センチメー トル(半間)ほどで、高さが 150 センチメートルほ
どである。棚に茣蓙を敷き、その上にガズを敷く。ガ ズは干したマコモの葉で作った敷物である。ガズは自 分で編んでいる人もいれば、編める人に頼むこともあ る。四隅の柱に縄を渡し、盆棚に飾るための掛け軸、
寺よりもらった供養回向之証の札とナス、キュウリ、
トマトなどの野菜を吊るす。吊るす野菜についてある 家では、ホオズキ、ササギ、トマト、ナス、キュウリ など七色のものをあげると説明する。提灯を吊す家も ある。また、キュウリとナスでウマとウシを作り、飾っ ているという家が多い。
棚には仏壇より取り出した位牌のほか、燭台など を並べ、供え物をする。向かって右側に果物、左側に 菓子を供え、その間に食べ物を供える。供え物は蓮の 葉の皿にのせる。ある家では、蓮の葉の上に白飯を盛 り、汁物、煮付け、おひたしを供える。花は朝鮮菊な どキクの花を供える。また、15 日には餅を搗き、餅 を 4 個供える。この餅をオミヤゲモチと呼ぶ。
図 6-22 七夕の笹飾り 図 6-23 上沖某家の盆棚
図 6-24 上沖某家の盆棚
[七夕馬]
タナバタウマ(七夕馬)は、ガズと呼ばれるマコ モを使って作る馬形である。同じくガズで人形を作り、
馬を引かせたり、馬に乗せる家もある。母屋が茅葺き であったときには屋根に飾った。タナバタウマは盆に ホトケサマを迎え、送る乗り物であるとされる。七夕 馬として、ナスとキュウリを使い、ナスで作ったもの をウシ、キュウリで作ったものをウマとする家もある。
この家では、藁を使い人形も作っている。
タナバタウマは、8 月 12 日に作り、屋根の上に飾 り、30 日、晦日まで飾っていた家もある。
[盆供養]
8 月 13 日の午前中、円通院に檀家が集まり、盆の 供養をする。また、盆棚に飾る先祖供養のための供養 回向之証と書かれた札を受け取る。10 年から 20 年 ほど前は、15 日か 16 日に各家を、円通院の僧侶が回っ て盆棚を拝んでいたが、現在では寺に行って、一緒に 供養してもらうようになったとのことである。
[墓参り]
盆棚作りを終えた後に墓参りに行く場合や、円通 院での盆供養が終わると墓参りをする場合がある。墓 参りは入り日の 13 日だけ行くという家が多いが、12 日の朝に先祖迎えとして参る家、13 日と 16 日の 2 回、
迎えと送りとして参る家、さらには 13 日と 20 日の 2 回という家もある。家族揃って参る家が多い。
供え物は蓮の葉を皿にして洗った米と細かく刻ん だキュウリやナスを混ぜたアライアゲを供える。この ほかに、菓子や果物、団子、朝鮮菊を供えるところも ある。また、カワリゴハンを供える家も多い。近年で はカラスにいたずらをされるという理由で、供え物は 片づけたり、その場で食べたりすることがある。
[オタイマツ(盆火)]
8 月 13 日の夕方、カドグチ(家の入口)で麦藁を 燃やし、松明を焚く。これをオデマツ、オタイマツ(お 松明)と呼ぶ。13 日のオタイマツを特に迎え火と呼 ぶこともある。13 日から 15 日までの 3 日間ないし 16 日までの 4 日間焚く。火を付けたときに「オタイ マツ、オタイマツ」と声をかけて先祖を迎えるとする 家もある。別の家では「ホーイホイ」と発しながら火 の周りを回ったとのことである。ムギを栽培しなくな り、麦藁の入手が困難になってからオタイマツを稲藁
に代えた家が多い。また、その機会にオタイマツ自体 を止めた家もある。止めた家では、代わりに盆棚に提 灯を吊し灯明を灯しているとのことである。
[盆の食事]
盆の間は、毎日 1 度シッポク汁(シッポコ汁)作り、
盆棚に供えてから食べる。14 日は赤飯を作り、昼に はシイタケと油揚げで出汁を取ったうどんを食べる。
このうどんは、大きな蓮の上に盛って、ヤナギの箸を 添えて盆棚に供えるという家もある。また、ある家で はこの期間に親戚が集まるという話も聞かれた。
15 日か 16 日には餅を搗く。餅は、以前は杵と臼 で搗いていたが、現在では機械で搗くことが多い。餅 はズンダ餅、ナットウ餅、オロシ餅、ツユ餅にする。
ツユ餅は醤油味でササゲ、ナス、油揚げを入れるのが 定番である。これらの餅は盆棚に供え、家族で食べる。
また、15 日の晩か 16 日にオミヤゲモチとして搗 いた餅を茶碗にいれて、盆棚に供える。ほかに、盆期 間中はいつでも良いが、カワリゴハンを作るという。
[初盆、新盆]
家族に死者がでて、初めて迎える盆をハツボン(初 盆)やシンボン(新盆)という。そのような家では、
盆の期間に円通院の住職が家に来て拝む。この際には、
家族全員ではなく家に居る人が出席すればよいとさ れ、お布施を包む。盆の期間は新盆の仏、無縁仏、先 祖を区別してはならないという。
[盆踊り]
盆踊りは、戦後まもなくには盛んに行なわれてい た。昭和 40 年代(1965 - 1974)には、子どもの 盆踊りがあったが、テレビが普及すると、子どものな かには、「誰かがやるだろう」 と考える子がいて、参 加しなくなったという。
[盆礼]
盆の期間中は親戚を回って歩いた。今は電話や車 など、連絡、移動手段が発達していて、すぐに相手の ことが分かるのでやっていないが、昔は正月や盆、葬 式のときぐらいしか会えないために行なっていたとい う。
[盆棚の片付け]
盆棚の片付けは、ほとんどの家で、16 日に行なわ れている。早朝に盆棚を片付け、供え物を盆棚の敷物 にしていたガズに包み、用水路や鳴瀬川に流す。近年 では、用水路が詰まるということや、川を汚してしま うということから、流さずに燃やすといった家が多い。
また円通院からもらった札も昔は供物と一緒に包み、
流していたが、現在では取っておくか燃やしている。
また、ホトケサマがお帰りの時には、オミヤゲモ チを盆棚にあげているという話も聞かれる。
[二十日盆]
8 月 20 日は二十日盆といって、墓参りをする。墓 に供えるものは、茶と線香のみという家から、カワリ ゴハンを作る家、団子・トウモロコシ・花・果物を供 える家までさまざまである。また、この日まで、盆提 灯を飾る家もある。
ある家では、16 日の朝に飾りを下ろすが、棚自体 は 20 日に下しているとのことである。
[送り盆]
8 月 30 日を送り盆とする家もある。そうした家で はこの日まで提灯を飾り灯すものとされる。送り盆で は、墓掃除を兼ねて、墓参りを行なう家が多い。この 日にカワリゴハンを作る家もある。また、家によって は、この日に盆棚から位牌を仏壇に戻す。また、この 日に最後の送り火を行なう家もある。このように、行 なうことは家によって相違が多いが、新沼ではこの日 までを盆とする家もある。