第 3 章 社会組織
第 7 節 家と本家分家関係
(1)家族
[家長と相続]
戸主のことをダナドノ、もしくはカトク(家督)
と呼ぶが、戸主をダナドノ、跡継ぎのことをカトクと 呼び分ける家もある。戸主は基本的に長男が継ぎ、家 の財産を管理する役割がある。ただし、土地の所有権 は譲らないこともあり、家の財産の全ての権利を得る のは父親が亡くなったときであるという話もあって、
相続は各家の事情による。
相続に関わる儀礼はないが、ブラクの総会や契約 講の集まりの際に、息子に譲る旨を伝えることはあっ た。
[長子相続]
先述の通り、家の跡継ぎは男子という話が多いが 長子であれば男女問わず跡継ぎとしたという話もあ る。長女が家を継ぎ、婿を迎えた場合は、婿も家長と してみなされた。
[家族の呼称]
新沼では、曽祖父、曾祖母を呼ぶ際は、オッピサ ンやオッピツァン、または省略してピイチャンと呼ぶ。
曽祖父、曾祖母双方が健在であることは少ないため、
呼び分けは意識されないが、呼び分ける場合はオッピ ジイサン、オッピバアサンと呼び分ける。
(2)本家分家関係
[本家とベッカ]
本家はホンケ、分家はベッカと呼ばれる。ベッカ からさらにベッカを出した場合は、ホンケはオオホン ケ(大本家)またはソウホンケ(総本家)と呼ばれる。
また、これらの本家とベッカ同士の関係をマケと呼ぶ。
ベッカを出す際には、兄弟などの血縁者に田畑な どの財産を分けて分家する。その際、土地を 2 町歩
譲ることもあったとされ、本家の負担は大きく経営規 模の大きな農家でなければ出せなかったという話もあ る。ベッカとなる家は、同じブラクか隣接するブラク
(例えば上宿から下宿へ)の範囲内に居住することが ほとんどだが、周辺の地区からベッカとして転入して きた家はある。また、戦後の農地改革の際には、1 戸 当たりの農地の所有が制限されたため、当時学生だっ た兄弟に土地を与えてベッカとし、土地を守ったとい う話も聞かれた。
以前ベッカは本家の農作業の手伝いや、新年の挨 拶に行くといったこともしており、本家はベッカの面 倒をみるということが普通であったという話もある。
しかし、近年では本家とベッカの関係は冠婚葬祭の際 に呼び合ったり、盆の際互いに墓参りをする程度と聞 かれ、日常的な付き合いは近隣の家との付き合いと変 わらないとのことである。
[テマドリベッカ]
血縁関係がない、家の雇い人であるテマドリをベッ カに出すこともあり、これをテマドリベッカと呼んだ。
住み込みで働くテマドリに嫁をとらせてベッカとし、
その際は田を分けることもあった。
[ワラジヌギバ]
移住者が独立するまでの間、家に住まわせ、世話 をする家をワラジヌギバと呼ぶ。上宿のある家では、
以前行商を世話していたことがあり、その行商が独立 した際にベッカとしたという事例もある。
(3)屋号
新沼では、同一の姓を持つ家が多く、屋号を用い て家の呼び名とすることもある。屋敷の立地や周囲の 環境から名付けられたもの、先代の経歴から名付けら れたものが多い。一方、屋号を持たない家も多く、旧 家であっても屋号を持たない家もある。また、下宿の 家中組六親講に属する家は、武士の家系であるから屋 号を持たなかったと聞かれる。
『三本木町誌 下巻』では上宿のウシロシンデン(後 新田)、マエシンデン(前新田)(宮城県志田郡三本 木町誌編纂委員会 1966b:252-253)や、下宿のア クヤ(灰屋)(宮城県志田郡三本木町誌編纂委員会 1966b:309-312)、上沖のカネヤマ(金山)(宮城県 志田郡三本木町誌編纂委員会 1966b:312-314)と
いった旧家の屋号が紹介されており、これは新沼全体 で通じる屋号である。他方、ブラク内の屋敷の立地を 示す屋号や、近年呼ばれるようになった屋号には各ブ ラク内でしか通じないものもある。さらに、自家との
屋号 由来
ウシロシンデン(後新田) ――
マエシンデン(前新田)
アクヤ(灰屋) 先祖が灰染め屋を営んでいたため
ヒガシホゲサマ ――
シモタケダ ――
カネヤマ(金山) 先祖が鉱山経営を経営していたため ヤマシロヤ 先代が戦中に山城に乗船していたため サイノカミ(賽の神) 家の敷地に賽の神を祀っていたため
ヒガシガイ(東害) 屋敷のある地番が東害であるため
ドウジリ(道尻) 下沖の東端で、以前はそこから先は道がなかったため
カドッコ 道の角に家があるため
ハワイ ――
アメリカ ――
トウシモ(東下) 高倉村の東端に家があるため カラフト(樺太) 先祖が樺太へ開拓に行ったため
カザッパリ カザッパリは吹子のことで、昔鍬などの鉄を修理して オケアイ(落合) 屋敷の近くに多田川の合流地点があるため いたため
クルマッコ 以前屋敷の東側に水車小屋があったため
カミノイ(上の家) 昔、北谷地には10戸程度しか家がなく最も上(北)に あったため
シンヤ(新家) 以前屋敷があったが、住人が転出し、そこに新たな屋 敷を建てて住んだため
キタムカイ ――
シモノイエ(下の家) ――
(由来が確認できなかったものは―としている)
位置関係から名付けられたものもあり、その家同士で しか通じないものも屋号としている。新沼で確認でき た屋号と由来は表 3-8 にまとめた。
表 3-8 新沼の屋号とその由来