第 5 章 人の一生
第 5 節 葬送
(1)葬式前
[死の予兆・言い伝え]
カラスが喉に餅が詰まったように鳴くとき、ある いはだらしないような鳴き声のときを、「カラスの鳴 き声が悪い」といい、死の予兆と捉える。また、友引 の日に誰かが亡くなったり、亡くなった人が夢枕に 立った、風もないのに窓が鳴った、金縛りにあったと いったことも、不吉なこととされる。
[魂呼ばい]
魂呼ばいをしたり、同年齢の者が亡くなった際に 耳をふさぐといった習慣は聞かれなかった。
[枕直し]
亡くなった人は、カミザシキ(上座敷)に北枕に して寝かせ、顔に白い布をかけ、花を供えた。花の種 類は特に決まっていない。頭の上に、屏風を逆さにし て置いておくこともある。
[知らせ]
死者が出ると、喪家は所属する講の講長に連絡を する。講長は、訃報を知らせる連絡役に連絡するか、
自らが各家を回って、死者の氏名や葬儀の準備のため に集まる日時等を知らせて回った。
訃報を知らせる役を、連絡係、ワザビト、トウバ ン(当番)などという。講員は 2 人 1 組となり、徒 歩や自転車で、ブラク内外に住む死者の夫ないし妻の きょうだい、おじやおば、生家など、死者の親族等へ 死去の知らせをしに行った。ブラク内の連絡係が来 ることが分かっている家では、喪家で葬儀の準備を手 伝っていても、連絡係を茶や酒でもてなす用意をする ため一旦家に帰った。
上宿の六親講では、喪家から連絡を受けた講長は 副講長に連絡した後、班長に連絡し、班長が班内の各 戸に連絡して講員に訃報が伝達される。上宿では、こ の役を連絡係もしくはワザビトという。10 年ほど前 までは、講員は喪家に集まり分担して準備をしていた が、現在は喪家の負担を軽減するため、集会所を使用 して作業するようになった。そのため、講長と副講長 は、集会所の使用の可否を確認して集合時間を決めて から、班長に連絡を回す。円通院にも講から連絡する。
下宿の六親講では、訃報の連絡役を連絡係といい、
喪家は講長と連絡係に死者が出たことを知らせる。連 絡係は東北自動車道を挟んでブラク内のカミ(西側)
とシモ(東側)に 1 人ずつ置かれ、直近に不幸があっ た家が務める。これは、自分の家で葬式を行なう際に、
皆に手伝いしてもらったからであると説明される。連 絡係は、講員に集まる日程も知らせて回るが、ブラク 内を回るときには、1 軒ずつ伝えて歩くのではなく、
班の中の 1 軒に伝えそこから全軒に連絡を回しても らった。
下宿の家中組六親講では、講員の家族に死亡者が 出た場合、講長まで死亡者の氏名と死亡時刻を通知す る。講長は連絡役であるトウバン(当番)に連絡し、
トウバンが講員に死亡者の氏名と死亡時刻を伝える。
上沖の上沖契約講と天神契約講では、初めに講長 に連絡が行き、講長はそれを講員に伝える。下沖の契 約講、中谷地の契約講、北谷地の六親講でも、講員が 2 人 1 組になって死者の親族の家に知らせに行った。
北谷地の契約講は解散しているため、現在は区長に連 絡をする。
(2)葬式の準備
[日取り]
葬儀の日程は円通院の住職や所属する講の講長ら と相談して決める。近年は火葬場の都合も考慮される。
友引に葬儀をすることは道連れになるといって避け る。死後 4 日目も、死という語呂から不吉といって 避けられた。寅の日も避けるが、どうしても重なる場 合は若宮八幡神社の神職にトラガエシの(寅返し)の 祈祷をしてもらう。
上宿と下宿では、講から円通院の住職に連絡をす る。下宿の六親講の講員は枕経とその後の葬儀の日程 の相談にも立ち会う。上沖と下沖では住職を喪家に呼 び、枕経をあげてから葬儀の日取りを決めた。中谷地 では、喪主が講長と日程を相談し、講長がそれを踏ま えて円通院に行って住職を呼び、枕経をあげてから詳 しい日程を決めた。
[戒名・位牌]
死人が出た日か、枕経の次の日に、円通院に御布 施を持って行き、住職に戒名を付けてもらう。入棺の 日までに白木製の仮の位牌(白位牌)を用意する。こ れは家に安置するものと、葬儀の際に持ち出すものの
2 つがある。白位牌は四十九日に墓に埋め、新たに芯 入れをした正式の黒い位牌を受け取る。白位牌は、墓 に埋める以外に、寺で処分してもらう場合や、そのま ま家に残す場合もある。近年では葬儀社が位牌の用意 をすることもある。
普通は 1 つの位牌に 1 人分だけ戒名が書くが、1 つの位牌を夫婦の連名の位牌とすることもあり、この 場合は法事の時には供養しない方の戒名を白い紙に 貼って隠す。
死後 50 年経つと、円通院に納め、家代々の位牌に まとめる。
[入棺]
入棺をニッカンもしくはヌカンという。土葬の頃 は遺体に座禅を組ませたような体勢でいれるタチカン
(立ち棺、座棺)が主流であったが、火葬になってか らは寝棺が主流になった。タチカンでは、遺体が固く なる前に座禅の体勢をとらせる。タチカンの棺桶をガ ンバコといい、大工が作った。大きさは 3 尺程度で、
運ぶための棒を通す場合もある。
入棺の前に死者の体を拭き、鼻と口に詰め物をす る。これを湯灌といい、死者の家族や兄弟が行なう。
湯灌を済ませたら、遺体の髭を剃るなどして死化 粧を施し、死装束を着せて、草履か草鞋を履かせる。
死化粧はその家の嫁や娘、もしくは床屋が行なった。
死装束を着せるのは男女どちらでも構わないが、男性 の役割であるとも言われる。死装束は、手甲、足袋、
草鞋も含めて隣組の女性たちがサラシで仕立てる。縫 うときには、死者がこの世に帰ってこないようにとい う意味込めて、返し針はしない。物差しも使用しては いけないという。草鞋は講員の男性たちが作る場合も あった。死装束を着せる際に脱がした故人の衣服は、
北向きにして 1 週間干しておく。
死装束に着替えたら僧侶が枕経をあげる。枕経は 枕上げということもある。その後、ナカマ(中間)か カミザシキ(上座敷)で入棺する。故人の懐には魔除 けとして刃物を入れる。刃物は家にある鉈を使うが、
葬儀社に借りることも出来る。懐に入れずに棺の上に 置く場合もあり、置き方に決まりはなかった。遺体に 履かせた草履は脱げないように紐で縛る。
棺にはワタシセン(渡し銭)として 10 円硬貨を入 れる。主に死者の親類が入れるが、これに限らない。
火葬になってからは、渡し銭は冷ました後に参列者に 渡す。参列者はこれを適当な場所に複数に分けて保管
する。渡し銭は一般の金銭として使用する人もいるが、
使うべきではないとも言われる。
棺の蓋を閉める際は、1 度に全て釘を打つのでは なく、死者のきょうだいなどの親類が、1 本の釘を 3 回に分けて交代で打った。
[供え物]
枕元には死者が生前使っていた茶碗と箸を使って 作った一杯飯(枕飯)を供えた。
20 年ほど前まで、上宿では一杯飯に使用する飯を 生者とは別に用意した。喪家の庭に、六親講の講員が カマドを設けて飯を炊いたが、後にはカマドは別にせ ず、朝に一杯飯の分だけを炊いた飯を用いていた。
中谷地では契約講のなかで飯炊きが上手い男性が 用意し、北谷地では女性が用意した。一杯飯は用意し ないという家もある。
一杯飯は、飯を高く盛ることから高盛ともいう。
作り方は、死者が生前使っていた汁椀の縁に米粒を一 周貼りつけ、これを糊代わりに茶碗を重ねて、茶碗の 縁にも飯粒を貼りつけ、その上に皿を重ねて飯を盛っ た。飯には、死者が生前使っていた箸で、飯の真上と 真横から十字になるように刺す。もしくは、茶碗に直 接飯を盛ってその上から和紙をかけ、その上から亡く なった人の箸を一本縦に突き立てる。前者を正式、後 者を略式の作り方と捉える。
一杯飯のほかに仏前に団子を供える。この団子は、
最初に作った人が初七日までの1週間作らなければな らない。団子は毎日作って供え、前日の分は捨てる。
団子は火葬や埋葬の時にも持って行った。
[講による手伝い]
上宿の六親講では、葬式当日の午前 7 時か 8 時頃 に喪家に集まり、講長の指示で役割分担を決めて葬式 の準備をした。土葬の場合は穴掘り、六尺、オモヤク(重 役)などと呼ぶ穴掘り役を順番に務めていたが、これ は喪家と親族関係がない家の講員が担った。
下宿の六親講では、東北自動車道の西側(カミ)
で不幸があった場合はカミの家が、東側(シモ)で不 幸があった場合はシモの家が準備を手伝う。葬式が午 前ならその前日、葬式が午後なら当日の午前中に集ま り、葬列を組むときに使うねじり花や三角の被り物な どを作る。この時の食事は、親戚やトナリグミの女性 が、ショウガをすって醤油をかけたうどんを準備する。
葬式の司会進行は講長が務めるが、都合が悪い時は葬