(1)耕地
[土地]
新沼は、宮城県内でも米どころとして知られる大 崎平野に位置し、南には鳴瀬川、北には多田川が貫流 する。
新沼はたびたび洪水、滞水に見舞われ収穫量が著 しく減少する時期があった。近年では、土地改良区が 組織され、用排水の整備が行なわれたため、年々収量 が増加している。また 1993(平成 5)年から圃場整 備が実施され、圃場の大型化や暗渠用水路が整備さ れた。一方で、水害の多い地帯でもあり、2015(平 成 28)年の台風の際には大きな被害を受けた。また、
新沼は稲作には適した土地であるが、畑作には向かな いという話をよく耳にする。
[土質]
鳴瀬川沿いに位置する上宿や下宿は、砂質の土壌 で一部が粘土質である。粘土質の土壌は、水分を蓄え やすいが、水捌けが悪いため乾燥に時間がかかり、排 水後の圃場で行なう稲刈りは大変であると聞かれる。
砂質の土壌は、米作りに適さないという話がある一方 で、水捌けの良さから米作りに適していると話す人も おり、農法や使用する機械、品種や個人の考え方によっ て土壌への認識には違いがある。例えば、水捌けがよ い田はひとめぼれやササニシキを育てるには適してい るとされ、こうした田を「ザルタ」と呼ぶ人もいる。
上沖や下沖の耕地は、一部は砂質だが多くがマヅ チ(真土)もしくはマヂチと呼ばれる土質(以下、マ ヅチと表記)で、粘土質の成分は少なくやや黒っぽい。
マヅチは土が絡まり作業が大変であるが、肥料の養分 は蓄えやすく、耕作に適している。
北谷地は、粘土の割合が多い埴壌土で、米作りに は最も適しているとされる。しかし、水が捌けにくく、
田植えなどの仕事は大変であったため、特に大きな機 械が必要とされた。北谷地にある大崎市古川高倉排水 機場周辺は大下(オオシモ)と呼ばれているが、この 大下一帯は特に水害に遇う頻度が高く、上流から流れ てくる土砂が堆積する。しかし、その分養分も流れて くるため、肥えた土地となり、美味しい米がとれる土 地でもある。
[農業の状況]
新沼の一般的な圃場は、およそ 1 町歩であり、南 北に長い。なお、新沼における総農家 95 戸のうち、
販売農家は 60 戸、自給的農家は 35 戸、土地持ち非 農家は 84 戸となっている。
[圃場の整備]
鳴瀬川流域の大崎平野における大規模な基盤整備 は、1910(明治 43)年の大洪水をきっかけに行なわ れた耕地整備事業を始まりとし、大正年間にも耕地整 備が実施された。
しかし、圃場が狭かったため、大型機械の導入が 難しい状況にあったことから、圃場の大型化と用排水 路の整備が 1993(平成 5)年から 2000(平成 12)
年にかけて行なわれた。これは県の補助を受けて行な う「高生産性大区画ほ場整備事業(区画整理、地盤整 備)」である。圃場や用排水の整備を行ない、生産コ ストの低減化、耕地の汎用化、農業経営規模による農 業経営の安定化がはかられた。鳴瀬川左岸の国営かん がい排水事業鳴瀬川地区内である、鳴瀬川第 2 地区、
高倉地区、新沼地区、蒜袋地区で大規模な区画整備が 行なわれ、予定通り 2000(平成 12)年に完了した。
以前の圃場は、1 反歩であったが、基盤整備後に 約 1 町歩の区画として整備された。整備には本来 1 反歩あたり 190 万円ほどの費用がかかるが、95 パー セントが補助金で賄われた。
基盤整備の工事中は、あらかじめどの年に誰の田 を整備するのか決めておき、そこに当たった田の所有 者は 1 年間稲作を休んだ。整備中は、稲作を休む家 が偏らないようにした。1 年間作付けができないため、
行政からの奨励金が支給されていたが、収穫量が減る ため、翌年の自家で消費する米を貯蔵していたという 家もある。
総農家 販売農家 自給的農家 土地持ち非農家
上宿 1990年 26 24 2
2015年 21 16 5 7
下宿 1990年 43 39 4
2015年 17 10 7 23
上沖 1990年 22 21 1
2015年 9 2 7 13
下沖 1990年 34 34 0
2015年 13 3 10 23
中谷地 1990年 18 18 0
2015年 15 13 2 7
北谷地 1990年 33 32 1
2015年 20 16 4 11
表 2-1 新沼の農家の状況
世界農林業センサスより
基盤整備後の田は、大型機械を導入するために十 分な広さとなった。また、これまで水を入れる際、用 水路を堰止めると隣の田に水が入ってしまうため、米 以外の生産は難しかった。しかし、バルブ式の用水口 が設置されたことで、田でダイズ・ムギ・野菜の生産 も可能になった。これは、減反政策への対応と説明さ れる。
[換地と換地委員]
基盤整備事業に際し、土地換地委員会が県とブラ クの調整役となった。土地の換地とは、田の面積を広 げる際に、散在していた土地を集約し 1 町歩の田と して再配分することである。
土地換地委員会には、新沼の各ブラクより 3 人か ら 6 人が推薦を受け、換地委員として世話役となった。
中でも、1 人が換地委員長として代表となり、会議の 場を取り仕切った。
換地に際しては、配分される田と家からの距離、
もともとの田への愛着などからトラブルもあったと聞 かれる。これについては、田の面積が少ない人は良い 条件にし、多い人は少し離れた田を分配するなどして 調節した。トラブルが起きた場合、換地委員は夜でも その家に出向き話を聞くこともあった。また当時換地 委員だった人の中には「役員だから」という理由で、
家から比較的離れた場所に田を持った人もいた。
上沖と下沖では所有する土地の大きな変更がなく、
換地に関してもめ事がなかったため、ほかのブラクに 比べ早く進んだと聞かれる。北谷地では、費用がかか ること、機械が入ることで田が壊れることを嫌ったた め、最初はブラクの約半数が基盤整備に反対していた という。土質が良く、品質の良い米が作ることの出来 る場所があったことも、もめた原因のひとつであった とされる。そのため、整備後の田を各家の近くに変更 するなどの対応をして、全員の賛同を得た。
なお土地換地委員会は整備事業の終了とともに解 散した。
[畑作物に利用する耕地]
新沼では、農協へ野菜を出荷するほか、無農薬の 野菜を生産して近隣の産地直売所での販売や通信販売 を行なっている家が数軒ある。また、換金作物となる 米や野菜の生産と並行して、各家庭において自家で消 費する作物の栽培も行なわれている。
自家消費作物は次の 3 通りの土地を利用し、栽培
が行なわれる。①ヤシキバタケ・ハタケと呼ばれる屋 敷地内もしくは屋敷地の近辺の畑、②トオバタケとい う家から離れた場所に作った畑、③苗代を基盤整備後 に活用している畑である。
①のヤシキバタ・ハタケは現在、単にハタケと呼 ばれる。ある家では、家の敷地内の畑の位置によって
「オモテノハタケ(表の畑)」と「ニシノハタケ(西の 畑)」に呼び分けている。
ハタケの面積は 100 平方メートルから 150 平方 メートル程度が一般的である。このハタケでは、10 数種類以上の作物が栽培されていることが多い。野菜 だけでなく、盆で供えるキクやアスターなどの生花を 一緒に育てている家もある。ハタケは、何を植えても 良いものがとれる畑をジョウバタケ(常畑)とよび、
水気が無くても作物がとれる畑をスキッパタケと呼び 分ける。なお、北谷地でも、屋敷地で野菜を栽培する が、この場所に特別な名前はないとのことである。
②のトオバタケは、1965(昭和 40)年頃までは ハタケよりも手が掛けられないことから、陸稲やアズ キ、クワなどを栽培していた。ある家はこのカワラバ タケで自家消費用の作物を栽培している。
②のなかでも、鳴瀬川の沿いにあった畑はカワラ バタケ(カワラッパタケ)と呼ばれる。ここは養蚕に 使うクワが植えられていた場所という話もあり、当時 は各家の畑をクワで区切っていた。また、自転車でリ ヤカーをひいて、鳴瀬川沿いまでクワをとりに行った という話も聞かれた。現在のカラバタケには境を示す クワはなく、代わりに十字模様が刻まれた石が配置さ れ、畑の境を示している。カワバタケは手が回らない という理由で他人に畑地を貸している家が多い。その 借り手は新沼に限らず、加美町中新田あたりにもい る。貸し借りの手続きは、畑を貸す側の人によって異 なっており、話し合いで方法が決められる。金銭的な 図 2-1 圃場整備が実施された田
やり取りが発生する場合もあれば、「荒らさずに使う」
という条件を守りさえすれば料金は取らないという場 合、土地を貸してもらった謝礼としてお歳暮を贈ると いうように、さまざまな方法で個別に結ばれている。
③については、稲作のあり方と関わっている。現 在は多くの家で米の種を育苗箱に撒き、土をかぶせた 後にハウスで育てるが、以前は水苗代という水を湛え た畑で育苗していた。それが 1965(昭和 40)年頃 からハウスでの育苗が増え、苗代の畑は稲作に使用さ れなくなり、同時に減反政策の転作対象地となった。
そのため、敷地の面積や形を残したまま、自家消費用 の野菜を栽培する場所として活用されるようになって
いる。苗代の土地を利用した畑は畦畔から種を投げて 真ん中に届く広さでなければならなかったため、それ ほど広い面積ではない。とは言ってもこの畑は、3 戸 から 5 戸ほどで利用していたため、面積に幅がある だけでなく場所によってはヤシキバタよりも広い。こ の敷地を管理する家は、基本的に稲作に苗代を使って いた頃から変わっていない。野菜を栽培する余裕がな くなった家も除草剤を撒き土地を荒さないようにして いる。
こうした畑地の土壌は弱アルカリ性でなければな らず、酸性になったら作物が病気になる。同じ場所に 同じ作物を植え続けることで土壌が酸性になり、連作 障害といって病気などの悪影響が出る。これを避ける ためには石灰窒素を撒いて中和する場合もあるが、作 物を植える場所を敷地内でローテーションさせる方法 が多くの家で実践されている。さらに、肥料を使うか どうかでも土の抵抗力が異なってくる。こうした話は さまざまあるが、実際は土の成分を分析するよりも作 物を植えてみながら土の状態を確かめる。土質の判断 はホウレンソウを植えることで分かるという話もあ る。
(2)水利
[稲作の水利慣行]
整備される以前の幹線水路は志田江といい、水源 は鳴瀬川で中新田の上流から引かれてきた用水であっ た。幅 3、4 メートルと広い水路で、洪水になれば田 に被害が及ぶこともあった。現在は鳴瀬川土地改良区 によって、上河原用水路として整備された(詳細は後 述)。しかし、現在でも上河原用水路は志田江と呼ばれ、
ここを流れる水が田に供給されている。
基盤整備が行なわれる以前は、田の位置によって は水を平等に使うことが出来なかったため、順番を決 め、どこの土地でも平等に使用出来るようにしていた。
田に水を入れ、それを管理する人をバンスイ(番水)
またはミズヒキ(水引き)と呼んだ。
バンスイは、1 人で行なうこともあったが、4 人ほ どで協力することもあった。その際は、上流で堰を止 められないように見回りをして、午前 0 時から午前 6 時まで寝ずの番を行なう。3 日間寝ずの番をしたとい う人もいる。水路の上流に位置する田に水を入れてい る間は、下流の田に水を入れることが出来ないため、
水路の流れをこっそり変えることもあった。特に水量 図 2-2 ヤシキバタケ
図 2-3 カワラバタケ
図 2-4 苗代の畑