第 7 章 信 仰
第5節 その他の信仰
[山の神講]
女性らが赤飯などを持ち寄って集まり、小牛田の 山の神神社の掛け軸を拝んで安産祈願をする。
[出羽三山講]
かつては年に 1 度、出羽三山講として希望者を募っ て旅行がてらの参詣に向かった。向かう際は草鞋を 作って持って行くものとされた。多い時は 30 人ほど で行ったが、昔は 2、3 名の男性が代参したという話 もあり、その妻は水ごりをして道中の無事を祈るもの だった。
[オガミヤ(拝み屋)]
以前、近隣の大崎市古川堤根には、オガミヤ(拝 み屋)と呼ばれる宗教者がいて、悩み事を聞いて祈祷 してくれた。オガミヤはカミサマと呼ばれることもあ る。相談内容は多岐にわたり、その年の吉凶、結婚適 齢期、病気の事なども相談した。
ある家では、母が息子夫婦をオガミヤに連れて行 き、息子の将来を相談したところ「将来黄金の御殿を 図 7-27 カマ神
図 7-28 カマ神
建てる」と言われ、その後仕事が上手くいって実際に 家を建て替えるに至ったため母が非常に喜んだとい う。
[民間療法]
①腹痛
腹痛には囲炉裏などで温めた石を当てて患部を温 めると良い。ただし腹痛の原因が盲腸の場合は破裂を 引き起こすので、良くない方法だとも言われる。また、
ネコアシ(ゲンノショウコ)と呼ばれる植物の若葉を 噛む、もしくは乾燥させ煎じて飲むことも腹痛に良い とされた。
②マムシ
精力付けにマムシが良いとされ、焼いたものを食 べる、粉に挽いて飲む、焼酎に漬けて飲むなどされた。
マムシに限らずヘビの肉を食べると目が良くなるとも 言われる。マムシの毒は、少量を摂るのは薬になるが、
多く摂ると中毒となって山へ入ってマムシをとって食 うようになるとされる。粉にしたものを服用する場合
は少量までとされ、また 3 日以上続けて飲んではな らないと言い、これ以上摂ると前述の中毒になる。マ ムシを漬けた焼酎を飲む場合、1 年ほど漬け込むとマ ムシが酒の中に毒を吐き、また焼酎が丁度良いくらい に薄まるので良いとされた。またマムシの焼酎漬けは 虫刺されに塗ると良いとされた。
③歯痛
古川に歯痛を治す人がいて、年寄りに薦められて これを頼ることがあった。痛む箇所に触りながら歯に 話しかけると痛みが治るというもので、歯痛以外は治 せなかったと言う。御礼に金でなく酒などを渡すもの だった。
④その他
家に植えたトチの実を焼酎に漬け、棘が刺さった 時などに塗り薬にするという話や、ビワの葉を煎じて 飲むとひきつけに効く、摩り下ろしたジャガイモを患 部につけると火傷に効くという話もある。また、子ど もが夜泣きするときは蓑をつるすと良いとされる。
本報告書の総括として
東北学院大学文学部教授 政岡伸洋
(1)調査の経緯と調査体制
[博学連携事業と本報告書の刊行]
本報告書は、東北学院大学民俗学ゼミナールと東 北歴史博物館の博学連携事業として実施した、宮城県 大崎市三本木新沼地区の共同調査の成果である。これ までにも紹介してきた通りであるが、本事業ではすで に 2005(平成 17)年度から 2007(平成 19)年度 にかけて、波伝谷高屋敷民俗資料館とも協力し、宮城 県本吉郡南三陸町戸倉波伝谷での調査を行い、2008
(平成 20)年 3 月に『波伝谷の民俗―宮城県南三陸 沿岸の村落における暮らしの諸相―』と題して、その 成果を発表している。
今回、新沼地区を選んだのは、最初の波伝谷が養 殖業・漁業を主ななりわいとしている村落であったこ とから、宮城県を代表するもう一つの産業の軸、稲作 農村を対象に、その暮らしの諸相を明らかにしようと 考えたからであった。また、新沼では 6 ブラクで構 成される藩政村の範囲すべてを対象としたこと、ま た政岡が途中で体調を崩したこともあり、2008 年度 から 2017 年度という約 10 年の長期にわたる調査と なった。この間、誤解や間違いのないよう、地元の方々 にあらかじめ見ていただくことを目的に、中間報告書 として、『新沼(上宿・下宿)の民俗』(2014 年)、『新 沼(上沖・下沖)の民俗』(2016 年)、『新沼(中谷地・
北谷地)の民俗』(2017 年)を刊行し全戸配布、ま た 2014(平成 26)年には 2 月 11 日に下宿集会所に て現地報告会、3 月 21 日には東北歴史博物館で成果 報告会も開催した。
この長きにわたる調査の間、新沼のみなさま方に は、お忙しい中、貴重なお時間を割いてまだまだ未熟 な学生の質問にも丁寧にお答えいただいたほか、報告 会へも足を運んでいただくだけでなく、中間報告書に も目を通していただき、こちらの誤解や間違いを正し ていただくなど、本当にお世話になった。その点で、
本報告書は私たちとともに、新沼のみなさま方と一緒 に作り上げた地域の暮らしの記録ともなっている。心 より御礼申し上げる次第である。
[調査体制と活動]
本調査は、東北学院大学文学部歴史学科の 3 年生 配当科目である「民俗学実習」の受講生を中心に、大 学院生がアドバイザー兼調査コーディネーターを担っ て進めてきた。「民俗学実習」の新沼調査は、前期と 後期の毎週 2 コマ連続の授業のほか、若宮八幡神社 春の例祭の日程に合わせた 2 泊 3 日の現地巡検と予 備調査、夏季休暇期間中に 1 週間程度の日程で実施 する本調査、若宮八幡神社秋の例祭および正月、2 月 の補充調査のほか、必要に応じて行事や補充調査を行 なうというものであった。学生は、生業班・衣食住班・
社会組織班・人生儀礼班・年中行事班・信仰祭礼班に 分れ、それぞれにアドバイザーである大学院生が付き、
前期の授業では『民俗調査ハンドブック』や他地域の 市町村史や報告書、時には専門書も参考に、これまで の調査データを洗い出し、抜けている部分やあいまい なところを明確化させるといった夏の本調査に向けて の準備を、後期は本調査で得られたデータを整理し、
必要に応じて行事や補充調査を行ないつつレジュメを 作成、これをもとに文章化する作業を行なうという形 で進めるというものであった。
博物館との地域連携の中で、直接現地に赴き、新 沼のみなさま方のご協力の下、自らが調査を行ない、
大学院生とともに試行錯誤を繰り返しながらそこで得 られた資料をまとめ文章化するという方法は、学生が 中心となって主体的に学ぶことで、自らが考え行動で きる人材育成を目指した、これからの時代の大学教育 の一つのモデルとしても注目され、2015(平成 27)
年 6 月 14 日付『朝日新聞』の全国版教育面「ひらけ!
進路・新路・針路」にも取り上げられ、大学からも高 い評価を得ている。
ただし、これを実施するに当たっては、新沼のみ なさま方の温かいお心遣いがあって初めて成り立つも ので、本報告書が刊行できたのは、ひとえにこれまで のご協力のたまものであることは言うまでもない。心 より感謝申し上げたい。
(2)新沼の暮らしの特質を考える
新沼を含む大崎耕土は、2017(平成 29)年に世 界農業遺産「持続可能な水田農業を支える『大崎耕土』
の伝統的水管理システム」に認定された。このような 中で、本報告書では、地理的・歴史的環境を概観しつ つ、暮らしの基盤ともいえる生業を押さえた上で、こ れまで民俗を考える上で軸とされてきた社会組織、そ してこれを軸に展開される衣食住、人の一生、年中行 事、信仰の順で、新沼を事例として、宮城県の稲作農 村における暮らしの諸相を紹介してきた。本書の報告 した事例のように、イメージと異なるものも多く、数 多くの研究テーマが垣間見えるが、ここでは特に従来 の民俗学の問題点を考える上でも非常に重要である点 をまとめ、日本を代表する農村の特質を考えてみたい。
[新沼の暮らしの歴史的展開]
水田が広がり、その中に浮かび上がった島のよう な集落、各家の蔵、カドッパに見られるように農業用 水路を生活用水に利用するなど、美しい農村景観が広 がる。一見すると日本のどこにでもある稲作農村のよ うであるが、その歴史を見てみると、いくつかの特徴 が指摘できる。
まず、新沼のある大崎耕土は、古代より交通の要 所であったことは現在にも通じるが、もともと鳴瀬川 等の氾濫原で、現在のように穀倉地帯となったのは近 世初頭の新田開発によるものであったこと、ここで生 産される米は自給自足のためというより、江戸の町で 消費される商品作物としての性格をもつものであった ことなどがあげられる。つまり、当地域の暮らしの基 盤は、近世期に形作られたものである点は、押さえて おく必要がある。
ただし、これがそのまま現在に至っているのかと いうと必ずしもそうとは言えず、「安永風土記」の新 沼の姿を見れば、祭祀対象物など現在につながるもの もみられなくはないが、地域社会の構成をみると、各 家は本百姓にあたる「人頭」のほか「名子」や「水呑」、
「借家」 に区分され、「人頭」が没落した「沽却禿」の 存在が示すように社会変動が激しかったことがわか る。その背景には、当地域で生産される米が流通を前 提とした商品作物であったためであろう。また、これ らの「人頭」は「屋敷」という地域単位にまとまり、「小 名」をみても中谷地はそのまま出てくるが、上宿と下 宿が 「宿」、上沖と下沖が「沖」とだけ表記され、「屋
敷」「小名」 ともに必ずしも今日のブラクと一致して いるわけではない。さらに、近代に入ると、新たに「字
〇〇囲」という地域単位も現れ、今日のブラクが自治 会として位置づけられるようになるのは、戦時体制下 の部落会であるなど、歴史的にも大きな変化を経て今 日に至っていることがわかる。
[流通を前提とした稲作の「伝統」]
一方、生業をみると、まず稲作では家を単位に行 なわれ、各作業において独自の創意工夫などがみられ る。また、経営規模や作業の必要性に合わせて、ユイ やテマドリによって労働力の確保がなされているが、
特に興味深いのはユイを行なう際に作業量・作業時間 に差が出た場合、これを金銭で解決し、バランスを取っ ている点である。賃金で雇うテマドリの話も至るとこ ろで聞かれるなど、貨幣経済を前提に農業が営まれて いることもわかる。
このようなあり方は、一般的には近代以降のもの と考えられがちであるが、「安永風土記」の記述を見 ると、「名子」が 5 軒、「水呑」 が 4 軒、「借家」が 44 軒というように、本百姓でない家が 53 軒もあり、
これが「屋敷」の構成員になっていない。当時の米が 商品作物でもあった点を考慮すれば、稲作に関して言 えば、近世期からすでに各家の自立性が高く、このよ うな流通を前提とした農業経営が行なわれていた可能 性が高い。
これに対し、畑作は各家によってその利用のあり 方はきわめて多様である。もともと屋敷畑などで自家 消費用の作物を栽培していたこともあり、稲作に比べ 目につきにくく、見落とされがちであるが、家単位の 農業や食の範囲にとどまらず、真柄侑が卒業論文で論 じたように(真柄 2016)、収穫物は親戚や孫、友人 などにも配られ、またそれを利用した漬物などの加工 品は女性たちの集まりに出され情報交換を行なうな ど、家の枠組みを超えて、さまざまな関係構築の重要 な手段ともなっている点は押さえておく必要がある。
その他の生業についても、畜産や商店、行商、馬 車屋、バクロウ、便利屋のほか、農閑期の藁仕事や出 稼ぎもみられ、戸数の割に商店が非常に多い点も考慮 すれば、流通を前提とした貨幣経済の浸透は新沼の暮 らしの特徴の一つとして押さえてよいように思える。
なお、今日の新沼での稲作を見ると、コンピュー タや IC チップ、GPS など最新鋭の機器を活用した PF 農法や、健康というものがクローズアップされる現代