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血縁集団―宗族の歴史と現状

ドキュメント内 京都女子大学大学院 (ページ 118-152)

第1節 宗族の起源と現状

華北農村の宗族の起源に関して,その多くは山西省洪洞県から移住してきたと伝えられ ている。しかし,ほとんどは伝説で,はっきりとした根拠がない。筆者が調査した宗族も 同じで,祖先の出身地については言い伝えによって語られてきた。村に住んでいる宗族は ほぼ18世代前後にわたって継続していて,始祖から現在までの間にいくつかの支派に分れ たのが一般的である。村民は同じ支派に属することを「一股子」といい,支派に分かれる ことを「分股子」という。それゆえ,「どの支派に属しているか」と質問をする時に「你是 哪个股子的人?」と尋ねると,だれでもすぐ答えることができ,当人の所属もはっきり分 かる。筆者が調査した三つの宗族の内では閻氏宗族と馬氏宗族も支派に分れている。唯一 李氏宗族は分派することがなく,一つの宗族集団として継続している。以下で,各宗族の 起源と現状を見ていく。

1-1 閻氏宗族

言い伝えによると,閻氏の始祖である閻湯は洪洞県から交城県田家山に移住し,その後,

現在の平地――段村へ移住してきた。そのため毎年の旧正月1日に祖先を祭祀する時には 西北方向,つまり田家山の方向に向かって祭祀する決まりがある。閻氏は支派に分かれて おり,いつ頃から分かれたのか,どのような理由で分れたか,族員たちもはっきりとは分 からないようである。かれらは支派のことを「股」とよび,閻氏には東股・西股・南股・

北股という四つの支派がある。ちなみに筆者が調査したのは東股・西股である。

閻氏は,段村の中で唯一祠堂が残っている宗族である。祠堂は東支派の裕福な商人が出 資して建てたもので,閻氏宗族の共有財産である。文化大革命中に村の倉庫として転用さ れたが,改革開放後に閻氏に返却され,現在は閻氏が管理している。普段は物置で,旧正 月1日に祖先の祭祀行事はここで行う。祠堂は閻家街の道路沿いにあり,外観的には普通 の民家と変わらない。閻氏宗族の多くの族員は祠堂にある閻家街に住居を構え,そこに住 んでいる。その他に,閻氏宗族が共有する「老神子」1)があり,また東股に「小神子」2)

と族譜と帳簿があり,西股にも「小神子」がある。両支派の「小神子」は1980年代以降に 族員からの募金で作ったもので,東支派の帳簿は1986年から記録しはじめた収支簿である。

共有する「老神子」は古いもので,緑のシルクの生地に黒文字で亡くなった族員の名前が 書かれている。これも文化大革命の時に押収され,舞台の幕として利用されたが,その後 返還されたと聞いている。保存状態は良くなく,かなり傷んでいる。東股が現在所有して いる族譜は「老神子」に書いてある名前を参考に新しく作ったもので,系譜関係は書かれ ていない。

写真14(左)閻氏祠堂の外観 200182日 写真15(右)閻氏祠堂の建物 200182

1-2 馬氏宗族

段村に馬という姓をもつ村民は多く,彼らはほぼ同じブロックに住んでいることから,

馬家街と馬家胡同ができた。馬氏は「南馬」と「北馬」に分かれており,人々は自分がど ちらに属しているかをよく理解している。

調査によると,「北馬」の人は少なく,2 つの支派に分れ,活動はあまり活発ではない。

一方「南馬」に属する人は多く,4 つの支派に分かれている。ただいつ分かれたか,なぜ 分かれたかなどについて知る人はいない。調査では「南馬」の3つの支派が対象となった。

便宜上,本稿以下ではこれら三つの支派を馬氏A,馬氏B,そして馬氏Cと記す。

3 つの支派の内,馬氏Aには族譜があり,族譜に馬氏宗族の起源と移住の歴史が記録し てある。族譜のはじめに「馬氏旧跡於陝西美次県蒺針坡自始祖能与暁翁遷於段村属交邑鄭 段都」と書いてある。この記録によると,彼らの始遷祖は馬能と馬暁で,陝西省美次県3)

蒺針坡から交邑の鄭段都に属する段村(現在の段村)に移住してきたと考えられる。

写真16(左)馬氏A族譜表紙 2012823日 写真17(右)馬氏A族譜 2012823

移住してきた時期についての記録はないが,この族譜を編集した年代と族員の世代から 逆算すると,およそ500年前,明代の後期に移住してきたと思われる(族譜図は付属資料

5を参照されたい)。族譜に馬能と馬暁は兄弟だとの記述がある。馬氏の族員のうち「南馬」

に属している人は,自分たちは馬能の子孫であり,「北馬」に属している人は,自分たちは 馬暁の子孫だと言っている。

また,馬氏A,馬氏B,馬氏Cいずれも「神子」を持っている。すべて1980年代以降に 作られたものである。馬氏Aには祖先祭祀復活後の一族の収入と支出を記録した帳簿があ る。

1-3 鉄門李氏宗族

李氏宗族の始祖は元々山西省交城県城内の李家巷に住んでいたが,明代の末に家族全員 を連れて段村に移住してきたと言われている。始祖の名前は李執中で,李氏宗族の族員か らは太祖とよばれている。李氏は村の中でも珍しく始祖から現在まで支派に分かれたこと がなく,子孫は現在15世代まで継続している。しかし,ある族員が自分の祖父(9代目)

以下の子孫を記録した家譜を筆者に見せてくれた(付属資料6を参照されたい)。それによ れば,李氏宗族に支派はないが,内部的には血縁関係の近い人々がより強く結合する傾向 があると思われる。

李氏宗族の古い族譜は文化大革命の時に没収され,紛失したが,各世代の名前だけ書い た簡易な族譜があったため,これを参考に1980年以降に族員がお金を出し合い,新しい「神 子」を作った。しかし,この「神子」も破損したため,その後再び作りなおした。「神子」

のほか,李氏宗族には1898年から1964年までの「銀銭流水帳」という出納帳簿3冊,「李 家戸」,「人工雑記帳」と「輪留社首帳」という帳簿各1冊も保存している。文化大革命で 古い記録類が焼失した中で,革命前の帳簿類が保存されているのは極めて貴重である(「銀 銭流水帳」の収支内容は付属資料4を参照されたい)。また,1991年から祖先祭祀などの 収支が書かれたノートもある。

写真18(左)銀銭流水帳① 2012823日 写真19(右)銀銭流水帳② 2012823

写真20 銀銭流水帳③ 2012823

写真21(左)輪流社首帳 2012823日 写真22(右)人工雑記帳 2012823

2001年の調査時における閻氏,李氏,馬氏宗族の族長と戸数の構成は,下記表2に示し た通りである。

閻氏宗族の東・西支派の成員は自分たちが同じ祖先の子孫であるという共通認識を持ち,

祖先祭祀は一緒に祠堂で行うが,その他は支派ごとに活動をし,交流はほぼない状態であ る。そして,祖先祭祀に利用される「神子」は,東支派は1980年代に,西支派は1990年 代にそれぞれ新しく作ったものであり,東支派の始祖は6代目,西支派の始祖は5代目で ある。両支派とも15代目まで継続している。

李氏宗族の場合,村には60戸の族員世帯が住んでおり,15代目の子孫がいる。前述し たように李氏宗族は村の中でも珍しく,始祖から現在まで分派することがなく,一つの大 きな宗族として現在まで継続している。祖先祭祀活動も宗族全員が集まって行う。

馬氏の三つのA,B,C支派はともに「南馬」に属し,馬能の子孫であるとの共通認識を 持っている。ただ,共同で祖先祭祀を行うこともなく,支派と支派の交流もない。馬氏A の族譜にもとづいて族譜図を描いたところ,この支派の始祖は8代目であるとわかった。

馬氏Bには族譜がないため,族員に「この支派の始祖は何代目ですか」と尋ねたが,「分

からない」という。「神子」の記入欄から,この支派が始祖としているのは9代目であるこ とが分かった。

馬氏Cも族譜がなく,「神子」に支派の始祖が何代目であるかを明記していない。「神子」

を保管している族員に「この祖先は何代目ですか」と尋ねたが,やはり「分からない」と のことである。馬氏Aが所有している族譜に同一人物がいるかどうか調べてみたが,いな かった。ただし,馬氏Aの8代目と同じ排行字「尚」が使わっているから,始祖としてい るのはおそらく8代目であろうと推測され,当時に同じ排行字が使用されたと考えられる。

馬氏三つの支派はいずれも,現在の支派の始祖以降は分派することなく続いており,19 代目までの子孫がいる。3支派の戸数と人数は2012年もほぼ変わっていない。ちなみに現 在の村長の馬WXはこの馬氏Cに属する。

「なぜ支派の始祖とされる世代が異なるか」と馬氏宗族と閻氏宗族の人に尋ねたところ,

「分神子」4)の後,父親を始祖とする場合と祖父を始祖とする場合があり,そのため支派 の始祖の世代のずれが生じたとの回答をえた。従って,宗族が分派した後,各支派のつな がりがそれだけ薄くなることが分かる。

表2-被調査宗族2001年の実態

宗族 家長 年齢 世代 戸数(約)

「神子」を保管する場所 名前 年齢 世代 閻氏(東股) SL 80歳 12世 26戸 SL 80歳 12世 閻氏(西股) ZT 65歳 13世 45戸 祠堂

鉄門李氏 GQ 38歳 11世 60戸 BS 30歳 13世 馬氏(A) XH 68歳 16世 19戸 XH 68歳 16世 馬氏(B) RZ 75歳 17世 32戸 XC 49歳 18世 馬氏(C) CL 75歳 15世 18戸 LS 50代 15世

注:聞き取り調査より。筆者作成

第2節 宗族成員間の関係と宗族機能 2-1 宗族成員間の関係

2-1-1宗族族長とその役割

宗族にはそのリーダーとしての族長がいる。従来の華北の宗族研究の中でも,族長につ いての分析はあるが,その役割については見解が異なる。福武直は華北農村の族長につい て,次のように述べた。

「一般には,貧富も賢愚も問われず,ただ最高輩の年長者たるにすぎない。この故に

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