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宗族と社に関する分析枠組とその理論的根拠

ドキュメント内 京都女子大学大学院 (ページ 49-60)

第5・6章において,宗族と社をめぐる従来の研究に対していくつかの問題提起をした。

本章は,社会学の集団論を応用して宗族と社を分析し,類型化することを試みたい。社会 学の集団論は,多くの研究者が結合の紐帯や性質などをさまざまな角度から分析し類型化 している。

社会学におけるさまざまな集団類型であるが,その全てを理解し紹介するということは 筆者の能力をはるかに超えることであるので,ここでは青井和夫が整理したものを参考と したい。青井はテンニース以来の社会学の集団類型概念を4つに整理しているが,それを 簡略にまとめると以下のようになる。

①集団発生の契機による類型・・・これには,血縁や地縁などの自然的な紐帯によっ て形成される「基礎集団」と,それから派生して特定の機能を果たすための人為的に形 成された「機能集団」とがある。たとえば,ギティングスの「生成社会(component society)」と「組成社会(constituent society)」や高田保馬の「基礎社会」(血縁や地 縁といった自然的な直接的紐帯による結合)と「派生社会」(類似や利益といった派生的 紐帯による人為的な社会)などがある。

②成員の関心の充足度による類型・・・これには,マッキーバーの「コミュニティ (community)」(生活関心の大部分を充足)と「アソシエーション(association)」(特定 の生活関心のみ充足)という分類があてはまる。

③成員相互の結合の性質による類型・・・もっとも有名なものが,テンニースの「ゲ マインシャフト(Gemeinschaft)」(本質的に結合した共同社会)と「ゲゼルシャフト

(Gesellschaft)」(目的達成のために打算的な意志にもとづいて結合した利益社会)であ

る。

④成員相互の接触の様態による類型・・・たとえば,クーリーの「第一次集団(primary group)」(直接接触の親密な我ら感情の強い小集団)と「第二次集団(secondary group)」

(間接接触の大規模な人為的な大集団)があるが,よく知られているように,「第二次集 団」という表現はクーリー自身が使ったものではない(青井1987:130-1)。

青井が指摘しているように,「基礎集団」「コミュニティ」「ゲマインシャフト」「第一次 集団」と「機能集団」「アソシエーション」「ゲゼルシャフト」「第2次集団」という4つの 集団類型のそれぞれについては,分析視点は異なるものの多くの共通性があると考えるの が一般的である。そのため,集団類型を応用するにあたって,どの類型を選択するかは厳 密には違いがあるものの,その言葉を発案した研究者と結びつけて使うようである。

しかし,中国の宗族を分析する場合にこれらの集団類型のいずれも難点がある。筆者は,

基本的には中国社会の分析に多くのすぐれた業績を残した清水盛光の類型を応用したいと 考えている。彼の集団の類型を理解するために,まず清水の類型の原型となった高田保馬 とテンニースの類型を簡単に紹介しておきたい。

高田保馬の集団類型は,集団を成立させる根拠の違いに着目して類型を設定している。

彼は集団を成立させる根拠として,血縁,地縁,類似,利益の四つの紐帯をあげる。地縁・

血縁は原始的自然的紐帯であり,類似・利益の共通とは派生的文化的紐帯にもとづくもの である(高田 1922:181-85)。そして,原始的自然的紐帯と派生的文化的紐帯の違いにつ いて次のように語った。

「この原始的紐帯たる血縁又は地縁の上には種々たる紐帯が堆積し得る。その上に何 らかの機能という紐帯が加わる時に成れた社会を基礎社会という。その基本たる紐帯は 自然的である。

類似と利益の共通との何れかを根本の紐帯とするところの社会はすべて派生社会であ る。これらの社会は皆文化の発達に伴って生じたものであり,比諭的に言えば大抵あの 基礎社会の内部から漸次に派生られたものである。

血縁と地縁を基礎とする社会でも,その上に何等機能の紐帯が加わらざるものはやは り派生社会の一種に数えるべきであろう」(高田1922:186)。

高田は,結合についても,「結合には内的結合と外的結合がある。……結合は相互の依存 感情と相属感情に存する。内的結合は内部より湧き出るような何事にも促されず,自発的 であり,外的結合は外部の利益に促され,受動的である」(高田1926:282-7)と二つを区 別する。ここでいう高田の「内的=自然的,外的=派生的」結合=紐帯という区別の根底 にあるのは,テンニースの有名な集団の2類型である。そこで簡単にテンニースの集団類 型についてみてみると,成員相互の結合の性質については,「人間結合の本質は,現存する 共同の本質意志,もしくは構成された共同の選択意志にほかならない。本質意志で結合し たのはゲマインシャフト的団結体であり,選択意志で結合したのはゲゼルシャフト的団結 体である。ゲマインシャフト的団結体は自然の産物であって,その起源およびその発展の 条件からすると,おのずから成ったものと考えることができる。ゲゼルシャフト的団結体 は,思惟によって作り出された,あるいは擬制された存在であって,なんらかの関係を結 べる創設者たちの共同の選択意志を表現するために用いられる。すなわちある目的を達成 するための手段・契機として設けられたものである」(テンニース(下)1957初版2011:

173)と論じている。高田保馬とテンニース(時代的には,テンニースの著書が先に出たの であるが,聞くところによると,二人の間には親交があったそうである)が述べる集団成 員の社会結合の類型には相当程度の共通性が見られるといえる。

そのテンニースの類型方法について,清水盛光は,「テンニースが重視したのは,共同社

会と利益社会の一般的差異についての説明中にみられる,結合の性質の違いと,この違い を生む意志の種類の差異であり,その意志がとくに共同的に働くということに,一応団体 と呼ばれるものの特徴が求められているにもかかわらず,その団体を,成立事情の差異か ら,自然的のものと人為的のものとに分ける場合に,テンニースが団体の成立事情の差異 としたのは,やはり,異なる意志から異なる結合が生まれるという,結合の成立の仕方に 関するもの,すなわち共同社会は本質意志から生まれ,利益社会は選択意志から生まれる という主張であった」(清水1972:174)と説明している。

従って,清水は自分の立場がテンニースの見解と似たところがあるとしながら,「集団を,

根源的存在共同の媒介によるものと,特殊関心の共同追求にもとづくものとにわける」(清

水1972:180)とする。清水は,テンニースとの違いについて,次のように語る。

「テンニースは,共同の本質意志に基づく団体,すなわち共同社会的団体と,共同の 選択意志に基づく団体,すなわち利益社会的団体の区別を,そのまま自然に生まれる団 体と,人為的に作られる団体の区別と見るのであって,集団をまず,根源的存在共同の 媒介によるものと,特殊関心の共同追求にもとづくものの二種にわけ,そのおのおのに ついて始めて,自然的のものと人為的のものの存在を考えるといった,われわれの立場 とは明らかに異なっている」(清水1972:181)と語り,さらに,

「集団の成立事情の差異といわれるものの中に,集団の本質をなすもの,すなわち,

われわれのいう目標志向の共同と,その目標を実現するための活動に関して,その成立 が,根源的存在共同の媒介によるものか,それとも特殊関心の追求を共同にするという,

作用共同の立場の選択によるかの差異が問題になる側面と,その成立が,自然的・衝動 的であるか,それとも人為的・意図的であるかの問題の側面の,二つあることを示して いる。そしてこの区別において,第一の場合に問題になるのが,目標志向の共同と,そ れに伴う活動のもつ共同性の成立根拠の差異であるのに対して,第二の場合に問題にな るのは,共同志向の対象にされる目標と,それを実現するために営まれる活動の成立動 機の差異である」(清水1972:181)

清水は自らの集団の分類における立場を説明し,高田やテンニースが集団を一次元的に 分類していたのに対して,自分は成立根拠と成立動機の二つの軸を交差させ二次元的に分 類するという立場を明確にする。さらに別の個所では,

「集団における目標志向とその目標の実現に必要な活動の共同,すなわち作用共同の成 立根拠に求める立場であるが,この差異は,作用共同の原因になる者が,前者の場合には,

根源的存在共同の直接の媒介であるのに対し,後者の場合には,共同の関係にないものを

共同の関係に立たせる,作用共同の選択であるという差異である」(清水1972:183)とし,

「根源的存在共同の媒介によって生まれる集団の目標や活動が存在共同の種類の相違で あり,作用共同の選択によって生まれる集団の目標や活動が特殊目標の共同追求される目 標の種類の相違である」(清水1972:183-4)

と論じた。このような考えに基づき,清水は,まず「成立根拠」の差異による集団の類型 を,①存在共同の媒介にもとづく集団(根源的存在共同)と②作用共同の選択にもとづく 集団(特殊関心の共同追求)に分類し,続いて「成立動機」の差異による集団の類型を,

①自然的動機にもとづく集団と②人為的動機にもとづく集団に分類したのである。

清水は,具体的には,「存在共同の媒介にもとづく集団の中に,血族集団―血の共同を地 盤とする集団,地縁集団―土地の共同を地盤とする集団,国制集団―生活規範の共同を地 盤とする集団がある」(清水 1972:184)と考えている。他方,「作用共同の選択に基づく 集団の中に,体験集団―体験を追求目標とする集団,効用集団―効用を追求目標とする集 団,価値集団―価値を追求目標とする集団がある」(清水 1972:239)とした上で,「存在 共同の媒介によるもの,作用の共同の選択によるもの,これら二種類の集団は,いずれも 成立の動機の自然的なものと人為的なものとを含んでいて,この二つの集団分類は交叉し た関係にたっている」(清水1972:246)と説明している。

さらにみると,「根源的共同を地盤とする集団の血族集団と地域集団と国制という三つは,

おおよそ愛や親和の段階差を示すと同時に,自然的のものと人為的のものとの段階差にも 照応するのに反し,特殊関心の共同追求に基づく体験集団と効用集団と価値集団という三 つは,いずれも,愛や親和の存否によって,自然的のものにも,人為的のものにもなる」

(清水 1972:267)という。清水は,存在共同の媒介による集団の中に成立する動機が人

為的なのは国制集団であると語った。そのわけは,「国制集団は,組織が社会の一部の者に よって考えられ,またその運営が一部の者によって行われるという理由だけで,人為的な のではなく,その成立と存続が,究極において,規範を共同にする包括社会の人々の秩序 維持への自覚的な要請と,意識的な支持にもとづく点でも,すでに自然的でなくて,人為 的であり,意図的である。その意味で,根源的共同の関係にある者の共同の作用には,自 然的,衝動的に起こるものがあるとともに,人為的,意図的に生まれるものがある」(清水 1972:261)と論じた。

清水自身はこの二つの軸にもとづく交叉関係を図式化していないが,図1は筆者が清水 の説明にもとづいて図式化したものである。

ドキュメント内 京都女子大学大学院 (ページ 49-60)