中国社会では,人々は血縁関係の親疎,世代の高低を非常に重視する。宗法制度が崩壊 してから,大宗,小宗という区別はなくなったが,一族の内部の尊卑・親疎関係を重視す る考え方は根強く,特に宗族が共同で祖先祭祀をする慣習は現在まで継承されている。
清水盛光は宗法に基礎づけられた宗族について,「宗族は普通祖先祭祀を共にする親族の 団体であって,この機能の特色をしめすために時に宗教的家族ともよばれているが,宗教 的家族は個々の経済的家族を越え,内部に多くの経済的家族を含むものであるから,ひと は経済的家族の一員であると同時に宗教的家族の成員ともなり,二個の親族集団は,それ ぞれ容積を異にしながら,上下に統属するところの層位的・同心円的連関をしめすのであ
る」(清水1942:179)と説明しているが,彼は恐らく中国全体の宗族をイメージしつつそ
の特徴を述べたものであると考えられる。なるほど,宗族における成員の関係を維持させ ている要因は宗教的なものか経済的なものか,あるいは宗教的なものと経済的ものが相半 ばするのかと問えば,純粋にどちらか一方だけの要因だとすることは難しいであろう。従 って,清水のように双方が「それぞれ容積を異にしながら,上下に統属するところの層位 的・同心円的連関をしめす」(清水1942:179)という説明は無難なものに見える。
しかし,それをいざ具体的な宗族にあてはめようとすると無理が生じる。むしろ,多く の場合は宗教的要因か経済的要因が前面に出るのが普通なのである。従って,中国北方の 宗族について,たとえば,牧野巽が「宗族とは各々別に家を構成している人々がさらに父 方の姓を同じくする親類であるという意味において結合する親類の集まり」(牧野1980a:
122)であると言い,また呂誠之は「宗法為与封建相輔而行之制,誤以其団結不散,為倫理 所当然,且未知古所謂宗,毎年僅合食一次,並無同居之事也」(訳:宗法は封建制と補いな がら存在する制度である。宗族一同が一緒に生活することは倫理的に当然だと思われるが,
それは誤解である。実際は古くからいわゆる宗とは,毎年1回集まって(祭祀)食事をす るだけで,同居することは決してない)(呂 1929:46)と言っているように,一族の人々 は始祖に尊敬の意を表すため,男性リーダーの下に成員が集まって祖先をまつるのであっ て,決して同居共財という生活目的のために結合した集団ではない。血縁集団である宗族 は年に一度祭祀の時だけに集まるにすぎず,常に共同生活をしているわけでもない。経済 的な繋がりが薄いがために,表面的・外面的な結合関係はそれほど強くないように見える が,そのことが中国北方の宗族の特徴であるということになる。
そうであるからこそ,福武直をして華北同族の統属関係の特質について,「成員の関係は 平等であり,中心は動揺的で,従属関係は脆弱である」(福武1976:368)という見方をさ せ,「世界で最も血縁関係の濃厚な国土とみられていた中国における同族組織を,通説に反 して,むしろ日本の同族と比べて遥かに結合度の弱い組織だ」(福武1976:526)と語らせ るに至った理由である。なお,この中国北方の宗族の特徴については,聶莉莉『劉堡―中
国東北地方の宗族とその変容』や秦燕・胡紅安『清代以来的陝西宗族与社会変遷』,さらに 拙著「祖先祭祀の実態にみる宗族の内部構造―中国山西農村の宗族の事例研究」(陳2003)
を参照してほしい。ほぼ宗教的要因だけで結合しているのが中国北方の宗族であり,そこ では血縁関係の有無が最も重要視される。
ただし,先ほど分析したように,中国社会には血縁関係で結ばれた宗族以外に,南方の ような利益関係で結ばれた宗族が存在しているのも事実である。この南方に多い宗族の成 立動機は,父系血縁の名目の下での共同の利益の追求であり,成員が利益をめぐって人為 的に形成される点が特徴であるといえる。
ここでは血縁型宗族と利益型宗族の特徴について6つの項目にわけて比較し,その差異 を明確にしたい。
第1節 同宗の意味と改姓の目的
中国には,「不孝有三,無後為大」という言葉がある。つまり,男性の親に対する最大の 不孝は,跡継ぎがいないことである。男性にとって結婚の重要な目的の一つは跡継ぎを残 すことで,この考え方は今の中国でも根強く残っている。男性が結婚をし,男子が授から ない場合,「過継」,「収養」及び「招婿」の方法で,跡継ぎを探し,子孫を残し,家を永続 させる。慣習的に,「異姓不養」(他姓から養子を取らない)と言う建前があるので,普通 はまず「過継」の方法を取る。「過継」の場合,まず男性兄弟間,男性側近親者,男性側遠 親者から養子になる子を探す。この場合は一族から選出することになるので,特に姓を改 める必要がない。「過継」ができない場合,血縁関係のない他の家から「収養」(養子をも らう)をし,養子を養父の姓に改姓させる。改姓の意味はこの宗族の一員になり,この一 族に帰属することを自覚させることである。娘がいる場合は「招婿」(婿養子をとる)をす る。
これらの「収養」と「招婿」の目的は家ひいては宗族の跡継ぎを残すためであるが,そ のほかの目的で改姓したり改姓させられたりする現象は,華南地域にはかなりあったこと が先行研究で指摘されている。小山正明の研究によると,「収養」や「招婿」以外の方法で 改姓するという事例は明代にすでに存在しており,「主家の姓に改姓することによって主家 の擬制的家族員と見なされ,家父長的規制下の奴隷になって,小作労働者として働かせた」
(小山 1992:280)と,改姓させたことと改姓させた目的が明らかにされている。また,
許華安は,「清代に華南地方に「妄托共祖而聯為族」(共通の祖先を有すると擬制し,一つ の宗族になる)のケース,福建省では,「小姓又聯合衆姓為一姓以抗之」(人数の少ない姓 が同じ姓に名乗って結合し,人数の多い宗族と対抗する)のケース,江西省の「棚民」(ス ラム街の貧民)は「托同姓而結為族」(同じ姓を有することを理由として一つの宗族になる)
のケース,民国になってから「妄聯遠祖以崇門第,異姓合族以増実力的事例更是屡見」(同 じ遠祖の一門だと擬制し,異姓同士が宗族関係を結び,その実力を増すための連合はよく
ある)(許1992:26-7)といったケースがあったと指摘している。
さらに,鄭振満は「清代の康煕30年前後に民間には任意に系譜を擬制し,虚構の宗族関 係を偽造することがあった。清代の中期以降に分散した宗族は同宗の基準ではなく,同姓 の全てが参加できる大姓の間の擬制同姓組織を作っていた」(鄭1992:190)と指摘してい るように,同じ姓のものたちが結合したことや,松田吉郎の指摘にあったように,清代に は,奴僕は自己の姓を捨てて主家のそれを名乗っていたということも多々あったようであ る(松田2002:56)。
そして,このことについてはフリードマンも触れている。
「東南中国のリニージ間ではたびたび械闘が起こる。気にくわないリニージを村から 追い出すことがある。あるリニージが武力の挑戦に対抗し得なければ,屈服を余儀なく されることとなり,休戦条件の一部として敵対したリニージに土地を手渡すことになる。
村を離れることなく退去する方法があった。すなわち,男たちは自らの姓を子供たちに 伝える権利を放棄して,優勢リニージの諸家族に婚入することがあり得たのだ。19世紀 の欧文の資料によって,弱者が吸収されていく過程は,単に姓を変えさせることによっ て行われることもあった。
強力なリニージはよそ者を小作人とし,雇われた小作人たちは絶大な政治力,経済力 をもつ主人に従属した状態に置かれ,衛星村落を形成した。戦いの時,支配者のリニー ジを助けるため,地主を通して徴税(多くは地主の懐に入った)のため,召集を受けた。
ある場合には,従属した小作人は奴隷的な家族の状態に押し込められていた。広東省の ある地方では,全人口約一万人のうち,1930年代にそのおよそ30%が下戸(広東語は下 伕,隷属民家族が存在する)であった(フリードマン1987:17-18)
こうして華南地方では改姓する,あるいは改姓させられる事態がかなり多くあったこと が明らかになった。改姓の理由はすなわち,筆者がすでに別稿で論じたように,「改姓をさ せられた人々はほとんど現地で経済基盤もなく,土地も持たない貧しい人々である。貧し い人々は改姓することによって働く場所を取得でき,ある程度安定した生活の場を持つよ うになる。改姓させる宗族にとっては,その人の従来の宗族を否定し,新しい宗族に帰属 させることによって,経済的にだけでなく精神的にも支配するという関係が成り立つこと から,両者は互いに利益が得られたと思われる」(陳2013:47)。
もちろん,改姓することが父系血縁関係を重要視する中国人の考え方に反することは明 白であり,一度改姓した異姓養子が復姓し,生まれ出た宗族に戻るということは原則とし て許されないとされる。しかし,現実には「異姓養子にとっては父系血縁原理に復帰する 力とメカニズムが常に働いており,社会状況が彼らに有利に変われば,彼らは復姓や帰宗 の行動をとる」(秦 2002:72-4)といった指摘があるように,なんらかの理由で改姓した