前章において,社会学の集団理論,特に清水盛光の集団理論を援用しつつ,宗族集団に みられる成立動機の差異を検討することで,本論の分析枠組みを設定した。本章では,最 初に,同姓・同宗という言葉のもつ意味を考察し,血縁集団としての宗族の成立根拠をも う一度明確にする。次に,本論の分析枠組に基づき,これまでの先行研究を使って,血縁 型宗族と利益型宗族の成立動機とその歴史的変遷をおさえ,そこにみられる具体的な差異 を考察したいと思う。
第1節 宗族の成立根拠と成立動機
血縁型宗族にしても,利益型宗族にしても,父系血縁関係を有する証拠は同姓である。
同姓が血族であるという根拠はどこにあるのか。この点について,加藤常賢は,次のよう な見方を示している。すなわち
「生とは血気という肉体的のものを意味しているから,母胎から血肉を分離したる子 を生を以って称するは当然であるのみならず,その子及孫に至るまで血肉の連繋を認め て,之を生を以って称するは理解できぬことではない。如何に無知な原始民族でも出生 が母胎からの分離であり,この事実に血肉の連繋の観念をもたないものはない筈である。
この点から見れば同生とは同血の意であることに誤ないであろう。同血が同姓であれば こそ同姓が同祖であり得ることになる」(加藤1941:13)。
「血族系統が百世連綿として断絶しないから,姓号を命名して其子孫を繋属し,以っ て其血族関係を表示するのであり,同血族人の恩愛親誼を重厚ならしめるものであり,
血族人が相愛し相哀しむことに依って血族人相互間の人倫が生じて来るのである」(加藤
1941:13)として,さらに,「姓が血族の表示である以上,血族最古の祖先を尊ぶことは
考えられるのである」(加藤1941:35)
加藤は,中国の人々が古代から血統に対する思いがあること,血族人の間に愛と親和を 大事にすること,同姓の重要性および祖先に対し尊敬の気持ちを持っていることを示して くれている。そこで,次になぜ同姓を宗族と呼ぶようになったのかの理由を見てみよう。
宗の意味について,劉節は,「甲骨文字の中に「宗」という文字がある。「宗」という文 字のウ冠は屋根に似ているから宗祠を意味し,下の「示」という文字は,祖先崇拝の儀礼 の意味である」(劉1937:7)という。
一方,銭杭は,「宗は二つの意義をもつ。一つは祖廟の中の「先祖」の神位をさす,つま り,祖廟の中の祖先像あるいは位牌である。「宗,人之所尊也」といわれている「宗」は,
祖先の神位に対する尊敬の意をもっているのが二つ目の意味である」(銭 1994:35-8)と
東漢の班固の説を引用し,説明している。
加藤常賢も,「宗の意義が被祭祀者及その廟を意味する」(加藤1941:70)と考えている。
加藤,劉,銭の三人の研究に共通するのは,宗の最初の意味が祖先と祖先を祭る宗廟のこ とだという点である。従って,宗族の「宗」はまさに祖先を大事にする気持ちを表す言葉 であり,祖先祭祀を表す言葉であるということが分かる。
宗族が血縁集団の意味をもつ時期について,加藤は,次のように述べている。
「宗の原始的意味は周代における宗組織の意味でない。周代に及んでは之を一言に約 して謂へば,始祖の廟を中心とする血族的祭祀団体の組織となったのである。血族的団 体組織(姓組織)は本来の型から謂へば祖廟なくしても存在し得た所謂生人のための組 織であったのであるが,周代に及んでは祖先崇拝―それは封建制度にあって必須的なも のであるが――と合体融合して始祖廟を中心とする祭祀血族団体組織に変形したのであ る。宗は死人のためのものであるという一方論の存するは是がためである。従って封建 制度下において最も発達したる氏組織も合流して遂に周代の宗組織となったのである。
…周代の宗組織は前代からの諸種の社会組織の変遷に応じて融合発達した一つの血族組 織なのである」(加藤1941:70-1)1)。
加藤の研究からは,宗の意味が時代とともに変化し,宗族が血族を意味するようになっ たのは周代からだということが分かった。
周代の宗族の特徴は,陶希聖の研究によると,「周代の宗族のもっとも重要な特徴は 5 つあり,①は父系的である。支那の漢族は,父系をもって親属を計る。②は父権的である。
父の身分と権利が子に伝わることを「父権」という。③は父治的である。一族の権力が父
(一族の最尊長者)にあり,あるいは子女が父の支配を受けることをいう。この三つのほ かにも,④は族外婚制である。⑤は長子(筆者注:一般的には嫡長子)相続制である」(陶 1939:5-7)とのことである。このような特徴をもつ宗族には組織法があり,それが宗法で ある。清水盛光は宗法について,次のように述べる。
宗の原義が祖廟であるが,宗法の宗が統制者の意味もある。これは多分,統制者が祖 先の正体として祖廟を祭り,祖宗の神威によって,族人を支配するからである。従来の 宗法が嫡庶の系に大宗,小宗の系統を立てていたが,周代になると,さらに出生の前後 秩序,上下尊卑の価値観念をともない,統属関係が生まれると同時に,統制範囲にも広 狭の相違が生じてきた。大宗の地位は父から嫡嫡長子に伝承され,族に対する最高統制 者は始祖の長子だけに握らせている。始祖の庶系中の長子系は小宗となって,他の庶系 に対する統制権をもつことができる。そして,大宗と小宗の間には統属関係が行われて いた。大宗の族に対する統括範囲は,別子(諸侯の庶子)の子孫が遠近の別なく永遠に
できるのに対し,小宗による族の統括範囲は族兄弟までに限定られ,族兄弟の子(同姓 親)はその父の属した小宗の支配を離れるのである。
族人の統制だけではなく,祖先祭祀の範囲も大宗の場合は始祖の遠祖までできるのに 対し,小宗が祭祀できるのが高祖までと限定されていたのである。宗法は祭祀を中心と する族統括の原理である(清水1942:187-192)。
つまり,簡単に言えば,宗法を作った目的は族人を統制するところにある。この宗法制 度が周代以降に崩壊し,大宗,小宗という区別がなくなり,族人を統制することもなくな った。しかし,祖先祭祀の範囲の原理が,つまり遠祖を祭るのが天子と諸侯などで,士大 夫以下の人々が四世前の高祖までということが永く後世にまで残った。南宋時代に朱子が 祠堂で遠祖を祭ることを提唱しはじめたことから,庶民も遠祖を祭ることができるように なり,それ以降に宗族が発展し,庶民層まで広まり,明清時代,特に清末に発達したと一 般に言われている。この説から,一般的に言われている宗族とは遠祖を祭祀する周代の大 宗の範囲のことであり,高祖まで祭祀する周代の小宗の範囲のことではないと理解できる。
しかし,遠祖を祭祀する集団ではなく,高祖までを祭祀する集団こそ宗族と称すべきだ と主張する研究者がいる。たとえば加藤常賢は,「宗族組織は小宗の族組織の範囲其者であ
る」(加藤 1941:179)と考え,「同姓の語は伸縮性があり,大宗あるいは氏と同じ意義に
用いられる時もあり,四世以内の小宗に用いられる時もある。小宗の場合は即ち一層親密 な宗族親であり,宗族的血族範囲が四世に限定されていたのである」(加藤1941:179)と 述べている。長くなるが,宗制度の中身に関して加藤は次のようにも言う。
「宗制度は之を族制の点から考察する時には,周代においてはじめて起こった周代特 有の組織であるとは謂い得ないのである。封建制度に基づく適子相続制が周代の特色で あって,族制は前代のそれを継承したものであると言わなければならない。宗制度の族 制が殷代以来のものであるならば,従来言われている如く,宗制度は小宗の族制に関す る限り諸侯の子弟の卿大夫たるものに限って行われたとは謂い得ないのであろう。…原 来兄弟終身共財同居を行いつつ,封建的世襲即ち家系の父子継承を行うとした所に,父 子伝承の強調と適子の尊重(第二子以下に対する制限)が起こってくるのは当然な成行 であると思われる。これが文献に見えている一般に宗法と謂われるものの内容である。
余の見る所を以ってすれば,この継承法を宗法の主要内容とみるのは一面観に過ぎぬと 思う。この一面観に膠着する限り,宗制度は卿大夫に限られたものと見ざるを得ないの である。家継伝承の問題を離れて唯族制の面のみから観察すれば,宗の制度は身分の如 何を問わず行われたとみて誤はないと思う。…民については之を文献に,五世則遷之宗 為小宗,則通於斉民,此経雲得民とあり,小宗と謂っている民の一字を見逃していない。
…宗組織と謂へば文献では封建宗族に就いて論ぜられているから,直ちにそれに基づい