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胡適思想における実用主義の再発見

第三章 殷海光思想の特徴:前世代の「西洋派」の学者との比較を通じて

第一節 殷海光における胡適批判――実用主義から「全盤西化論」へ

一 胡適思想における実用主義の再発見

晩年の殷海光が下した胡適に対する評価はかなり冷淡であった。殷海光の弟子である陳 鼓応によると、殷海光は周りの人に胡適について言及した際、しばしば「早年の胡適に八十

187 重慶市市長、上海市長、台湾省政府主席、保安司令など要職を歴任した呉国楨(1903-1984)は 1953 年アメリカに移住した後、蒋介石・蒋経国父子の独裁体制を批判する言論を何度も公表した。

188 1960 年、『自由中国』の編集長である雷震は野党結党のために奔走した。9 月は逮捕され、軍事法庭に て無実の罪で懲役 10 年が宣告された。雷震が逮捕されたあと、殷海光は雷震の無罪を主張した文章を 発表し、胡適の援助を求めたが、結局胡適から直接な対応をもらいなかったため、胡適に大きな不満 を抱いた。

189 張忠棟(1990)『自由主義人物』p67,允晨文化。

190 同上、p69

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点を付けられる、中年の胡適は六十点、晩年の彼はただ四十点しかない」191と語り、「私を 胡適の同類と見なす人が結構いる。早年の胡適は確かに輝きを放つ人であったが、晩年の胡 適は世俗的な人間に沈淪してしまった。彼は人が自分にこびへつらわないことを恐れ、現実 の権力に逆らうことを恐怖し、思想も一歩一歩と後退していた」192と酷評した。

ここで殷海光が述べる「思想の後退」とは何を指すのか。それは胡適がかつて自分の主張 した「実用主義」から外れたことを指すのではないだろうか、と筆者は考えている。この問 題を確認するために、筆者はまず殷海光が描いたリベラリズムの旗手にふさわしい理想的 な胡適像を説明し、その上で殷海光による現実的な存在としての胡適に対する批判を取り 上げ、こうした賛美と批判の交錯の中で、殷海光における胡適に対する評価の意味を明らか にしたい。

胡適は近代中国の啓蒙思想家の一員であり、白話運動の先駆として名高く、「五四新文 化運動」を代表する人物であった。胡適はジョン・デューイからプラグマティズムと清代 考証学の「経世致用」・「実事求是」を融合する形で中国に容易に受け入れさせる実用主義 を造りだした193。現実の問題解決を目標とし、あらゆる物事に懐疑を持ち、科学的方法を 用いて経験事実のみを研究するという考え方は彼の文学改革論、中国古典文献研究、社会 改良論を貫いていた。殷海光もこのような実用主義を胡適思想の中核として捉えている。

1957 年、殷海光は胡適の誕生祝いを機会に「胡適思想与中国前途」(「胡適思想と中国の 前途」)を発表した。その文において、殷海光は胡適思想を「中国リベラリズムの核心」と 表現している。そして彼は胡適思想の特徴を「漸進的」「具体的」「反教条主義的」「個人主 義的」「懐疑主義的」「実証的」「啓蒙的」という様々な点から考える194。その中で、「漸進的」

「具体的」「実証的」という点はすべて実用主義に属するものであると考えられる。これか ら、これらの特徴についてそれぞれ説明したい。

漸進的

191 原文: 早年的胡適可打八十分,中年的胡適可得六十分,晚年的胡適只有四十分。前掲:陳鼓応(2004)

「殷海光先生所留下的」『殷海光学記』p295)

192 原文:早年的胡適確有些光輝。晚年的胡適簡直沉淪為一個世俗的人了。他生怕大家不再捧他,唯恐忤逆 現實的權勢,思想則步步向後溜。同上、p295。

193 胡適の実用主義思想について検討した研究として余英時の『中国近代思想史上的胡適』(聯経出版事 業,1984)、羅志田の「思想与方法」『再造文明之夢--胡适伝』p195-206,社会科学文献出版社,2015)

などがある。

194 殷海光(1957)「胡適思想与中国前途」『殷海光全集 14・学術与思想(上)』p792-793)初出:『慶祝 胡適先生六十五歲文集』中央研究院,1957 年 1 月 1 日。

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1958 年 4 月、胡適が「中央研究院」院長に着任する前に、国民党当局指示の下に、胡適 を攻撃する『胡適与国運』(『胡適と国運』)という本が刊行された。それに反論するために、

殷海光は同じ題目で「胡適与国運」(1959)という反論文を執筆し、文章の中で彼は「五四 運動」の指導者の二人である胡適と陳独秀について比較を行っている。急進的・玄学的な思 想に支配された陳独秀は政治、経済、社会などあらゆる問題を「一元論的解釈」を行い、一 つ根本的な問題を解決すれば、すべての問題が解決されるという考え方に縛られ、実際状況 から出発して「漸進」的行動を取る姿勢が終始的に欠けていたのである195。それに対して、

胡適の思想は「独立的」・「漸進的」性格を有するものであると殷海光は指摘する196。その中 で「漸進」の意味について、殷海光は「可運作的程序之先後陳列」(the sequential order of operational procedures)と「技術的可能性」(technical possibilities)という二つ の言葉で説明を行っている。いずれも聞き慣れない言葉であるが、簡単に言えば、問題の解 決はまず優先順位を考え、そして実現につながる技術・方法の有無も考慮しなければならな い、ということである。中国の近代化がまず急進的思想を克服し、「漸進」の道から再出発 しなければならないと殷海光は主張している197

具体的

殷海光といえば、「五四運動」精神、いわゆる「民主」と「科学」の後継者として、積極 的に評価する見方が一般的である。「五四運動」が国民党当局のイデオロギーに排斥される にもかかわらず、彼は生涯にわたって「五四運動」を謳歌する文章を書き続けた。1958 年 の「五四運動」記念日の前に、発表された「跟著五四的脚步前進」(「五四の足取りに従って 先進すべし」)において、殷海光は胡適を「五四運動」の科学的精神の代理人と見なし、「五 四」精神と胡適思想を重ねて論じている。

文章の冒頭で、殷海光は中国の近代史を回顧し、そこにみられる問題点を指摘する。つ まり、「科学」と「民主」の欠如により、大衆は「盲目的」であり、「盲目的な大衆は簡単 な口号、耳あたりのよい教条、きれいな約束、遥か遠くの景観現象、玄妙幻想な主義ある いは過去に対する追憶に容易に引きつけられてしまう」198と述べ、近代史に現れた種々の

195 殷海光「胡適与国運」『殷海光全集 14・学術与思想(下)』p925)。初出:『自由中国』巻 20 期 9、

1959 年 5 月 5 日。

196 同上、p926。

197 同上、p927。

198 原文:盲目的人衆最容易被簡単的口号,動聽的教条,美麗的諾言,遙遠的景象,玄幻的主義,或對過 去事物的回憶所吸引。殷海光(1958)「跟著五四的脚步前進」『殷海光全集 13・学術与思想(中)』p

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空論には実証性を有するものが皆無だと排撃している。

そして、「五四運動」における中国伝統文化に対する破壊が中国近代の動乱を引き起こ したという論調に対して、殷海光は伝統文化批判と動乱との直接的な関係性を否定する。

彼はこの論調を持つ人物つまりすべての問題を分析せずにその責任を文化になすりつける 者を「汎文化主義者」と名付ける。そして「汎文化主義者はこの世のあらゆる問題の発生 を、すべて文化に起因したものと見なすというような過ちを犯した。この過ちを犯した原 因はヘーゲルの混沌とした思想の毒によるものである」199と指摘する。ここにおける「ヘ ーゲル思想の混沌な思想」を殷海光がどのように捉えているのかは注目に値する。

「ヘーゲル思想の混沌な思想」は殷海光の著述の中に散見される用語であり、よく「玄 学」と一緒に使われ、ヘーゲルを代表とするドイツ流の形而上学に対する批判の意味を持 つ言葉である。『思想与方法』(1964)の中の「運作論」(「操作主義」)という論文の冒頭 において、殷海光は「イデオロギーの時代」(The Age of Ideology)と呼ばれる 19 世紀 の代表的な哲学がヘーゲル哲学だと提示し、「ヘーゲルは世界を一つの『絶対理念』の展 開と見なす。この展開は弁証法の法則に従うものである」と簡潔にヘーゲル思想をまとめ る200。そして、20 世紀に入ると、哲学はヘーゲル思想のような「玄学」を批判した上で展 開し、その最新の発展がパーシー・ブリッジマンの操作主義(operationalism)201だと殷 海光は指摘する。続けて、殷海光は「操作主義」がアメリカのプラグマティズム思想の伝 統に由来していると説明した上で、「操作主義」が人類の知識から神話、神秘主義、玄学 など前科学的あるいは非科学的なものを弁別して排除し、科学を浄化する思想であると評 論している202

殷海光が批判しようとした「玄学」とは何であろうか。「胡適与国運」(「胡適と国運」)

で、胡適思想と対極する落伍した思想として次のように定義している。「玄学はただ宇宙 情緒(cosmic feeling)や統合の感(sense of integration)を満足させるが、認識意義

856)初出:『自由中国』18 巻 9 期,1958 年 5 月 1 日。

199 原文:泛文化主義者對於人間任何問題之発生,都帰因於文化的因素,就是犯了這個毛病。這個毛病之 所以発生,係因中了黑格爾的混亂思想之毒。同上、p 858。

200 原文:黑格爾將世界看作一「絕對理念」底展望。這一展現底程序是辯證的程序。殷海光(1964)『思想 与方法』『殷海光全種 12・学術与思想(上)』p389)。初出:殷海光(1964)『思想与方法』文星書 店。

201 パーシー・ブリッジマン(Percy Williams Bridgman,1882 年- 1961 年)アメリカの物理学者であ る。高圧の研究で、1946 年ノーベル物理学賞を受賞した。操作主義とは科学上の諸概念を、それらが 実験の場においてもつ意味に基づいて理解しようとする立場。廣松涉等編(1998)『岩波哲学・思想事 典』「操作主義」p970,岩波書店。

202 前掲:殷海光「運作論」『殷海光全種 12・学術与思想(上)』p415-416)