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中国歴史に対する両者の認識の相違

第四章 徐復観と殷海光における中国伝統文化に関する論争

第二節 中国の歴史・社会に対する両者の認識の相違

一 中国歴史に対する両者の認識の相違

五千年以上にわたる中国の歴史を如何に受け止めるのかという課題は、中国人にとって、

ナショナリズムやアイデンティティの問題のみならず、中国の経済・法律・社会・政治など の問題が論じられる際、現在でも争点になる問題である。殷海光と徐復観は中国史に対して、

それぞれに考察し、その考察の結果が両者の文化論の構造の重要な一環となったのである。

まず、殷海光の考察を見てみよう。第三章で述べてきたように、殷海光は中国文化の多元 主義の要素が秦代から次第に排除され、とりわけ十四世紀の明朝になると、統治の維持のた めに鎖国政策が敷かれ、多くの事柄に全国画一的な規制がしかれ、結局、一切の批判や異端 を許さない清朝へと発展したと考えている。さらに、経済の発展停滞と不均等な富の分配に

おいて、殷海光はで理性的、道徳的、独立的な新知識人の育成を呼びかけている。

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よる貧困・疲弊した社会環境の下での庶民の「精神生活」の不在について、殷海光は次のよ うに論じている。

伝統中国社会は主に農民の労働力に支えられてきた。しかし、一年中最低限度の生活 のために働く農民に、『精神生活』に従事する余力がどれほどあるだろうか。昔から今 まで、幾千幾万の頭脳が知識や芸術に生かされることはなく、大部分の知能活動は生活 の重荷に帳消しにされ、『法古』思想〔筆者注:古代を模範とする〕に制限されてきた。

残りのいわゆる『精神文化』を語るのは、宝塔の先端にある皇帝一族および周りの補佐 集団以外、おそらく朱熹および人に供養される彼の弟子や孫弟子しかいない320

殷海光は、生活の基底を物質の創造つまり生産としてとらえ、物質生活が豊かにならない 限り、庶民の精神の向上は不可能であると考えた。生産の拡大のために、必要とされるのは 精神の修行ではなく、自然を対象とする科学や自由貿易である。だが、中国の歴史を俯瞰す ると、「文景の治」や「貞観の治」のような平和で繁栄した時代は一時的なものにすぎず、

度重なる易姓革命にもたらされた戦乱と暴政こそが中国の歴史を貫く特徴であると殷海光 は考えている。たとえ、伝統文化が社会の安定を維持する効果があったとして、その安定は 鎖国を前提として実現されたものであり、社会の停滞に依存する安定である321

また、古代中国における「自由」要素の有無について、殷海光は次のような観点を持って いる。

中国人が自由を持つかどうかについては「自由」という言葉の意味による。もし、

その問題の中の「自由」が「制度保障を有する自由および正式に体系化された基本 的人権」という意味だとすれば、歴史始まって以来中国人は一切の自由を持ってい なかった。しかし、もう二つの意味の下、中国人はかなりの自由を享受した。第一 に、統治者が自然を尊び、風俗習慣を重んじ、時に無為を尊び、加えて統治技術の

320 原文:伝統中国社会主要靠農人的労動力来支持。但是,農人終年為了最低生活忙個不停,那有多少余 力従事「精神生活」?自昔至今,成千成万的大腦沒有被発動來努力知識和芸術絶大部分的智力活動被 生活的重擔抵消了,被「法古」所限死了。剩下來的所謂「精神文化」,除了宝塔頂上的皇家以及周圍的 輔治集團以外,恐怕只有朱熹及其受人供養的徒子徒孫才配講。前掲:殷海光(1964)『中国文化的展 望』『殷海光全集・中国文化的展望(上)』,p359)

321 殷海光(1957)「重整五四精神」『殷海光全集 13・学術与思想(中)』p798‐799。『自由中国』巻 16 期 9,1957 年 5 月 1 日号

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未発達によって官府の目の届けない隙間が多くあり、小百姓の「自由」が多いとい う意味である。第二に、権力構造が動揺ないし解体することによって、前の統治機 構がすでに支配力を失い、後の統治機構がまだ確立されてない時期に、統治の隙間 が出現した。322

つまり、殷海光の理解において、過去の中国が持つ「自由」というのは今日で言われる「権 利の自由」と全く異なり、統治の隙間における無秩序な逸脱や恣意的な自由に該当するので ある。ここでの殷海光の考えは梁啓超が言う「野蛮の自由」323と近いと言えるだろう。要す るに、殷海光は中国史を冷たい眼で眺め、貧窮・専制、および階級による差別こそ秦代以後 の中国のすべてであり、裕福・自由・平等は完全に欠如していたと考えている。そして、こ うした状況が生じた原因として儒家思想が深く関わっていると殷海光は考えている。例え ば、次の「五四的隠沒和再現」(「五四の消失と再現」、1970 年)には、以下のようにある。

儒門を主導的価値観念とする中国文化の主導的価値観念は、一つの長い過程にあり、

変化を好まず、果ては変化を拒否した。変化を好まないことあるいは変化を拒否するこ との基本的趣旨は「述而不作、信而好古」324である。孔仲尼はこの価値方向(value orientation)を切り開いたひとりの偉大な人物である。彼は「吾非生而知之者、好古 敏以求之者也」325と言った。まだ彼は「君子有三畏:畏天命畏大人、畏聖人之言」326と 言った。孔子によるこの発端は中国人の崇古を制度化した。327

322 殷海光(1968)「五四的再認識」『殷海光全集 14・学術与思想(下)』p1241)。初出:『大学生活』巻 3 期 5,1968 年 5 月 15 日号。

323 梁啓超「論自由」『新民叢報』1902 年 5 月 8 日 22 日付。同論文は『飲氷室文集』(广智书局 1916 年)

に所収された。本論文では 1998 年に中州古籍出版社が再版した単行本『新民説』を参考した。

324『論語』「述而」子曰、述而不作、信而好古。竊比於我老彭。通訳:古典を受け継いで、創作しない。信 じて、うちこんでいる。ひそかに自分を老彭に比す。平岡武夫著(1980)『論語』,p179,全釈漢文大 系,集英社。

325『論語』「述而」吾非生而知之者、好古敏以求之者也。通訳:わたくしは生まれつき何事をも知っている 者ではない。古典を愛して努力して探求している者である。同上、p196。

326 『論語』「季子」君子有三畏。畏天命、畏大人、畏聖人之言。通訳:君子には三つの畏れるものがあ る。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言葉を畏れる。同上、p470。

327 原文:以儒門為主導価値観念的中国社会文化的主導価値観念,在一長遠過程中,是不尚変,甚至於拒 変。不尚変或拒変的基本義旨是述而不著,信而好古。孔尼在這一価値取向(value orientation)可説 是一個大的開端人物。他説:吾非生而知之者,好古敏以求之者也。他又説:君子有三畏,畏天命,畏 大人,畏聖人之言。他的這一開端使中国人的崇古制度化了。殷海光(1970)「五四的隠沒和再現」『殷 海光全集 14・学術与思想』p1273)。初出:『大学生活』巻 5 期 5,1970 年 5 月 15 日号。

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つまり、儒家思想の根底には、理想的なものが全て古い時代にあり、過去に回帰しようと する復古主義的考えが存在する。このような考えによって、結果的に専制政治を助長し、中 国始源文化の多元性を抑圧することとなったという。それゆえに、儒家思想の下での老朽腐 敗なる実態を暴く必要がある。これは殷海光が伝統文化を批判する動機になっていたと考 えられる。

一方、徐復観は殷海光と同様に古代中国の停滯を問題視しているが、その停滯をもたらす のは儒家を軸とした伝統文化ではなく、皇帝による寡占的な支配体制である「一人専制」で あった。数千年の「一人専制」の持続的な抑圧によって、儒家思想は機能を発揮できず、社 会・文化・経済が全てにおいて発展できなかったと徐復観は考え、皇帝の一人専制は伝統中 国社会が滞留する禍因である328と結論付けている。

また、中国伝統文化における平等思想の存在を主張するために、徐復観は「中国文化中『平 等』観念的出現」(「中国文化における『平等』観念の出現」、1973年)という論文を書き、

中国文化における平等思想の根源について詳細に分析している。徐復観の理解によれば、周 公の平等思想は『詩経』「大雅」の中の「天生烝民、有物有則」329という文に現われている という。孔子においては、平等の理念はさらに「己欲立、而立人、己欲達、而達人」330の段 階まで発展し、自身を民の中に身を置くことを統治階級に要求している。さらに、儒家の平 等観が『中庸』の「天命之謂性」331という言葉で概括されることができると徐復観は指摘し、

「周代の初期以来、すべて人の本質(性)は天に恵まれたものであり、それゆえにすべての 人の本質は同じである。すべての人間の性は同じであるため、すべの人の地位は生まれなが ら平等である」332と述べている。つまり、中国伝統文化における「天の前の平等」という理 念が神の前での霊魂平等ではなく、統治者の下での奴隷としての平等でもなく、極めて明快

328 徐復観「封建政治社会的崩溃及典型専制政治的成立」(徐復観〔2001〕『両漢思想史』p38-p39 華東師範 大学出版社)。初出:徐復観〔1972〕『両漢思想史・第一巻』,香港新亜研究所。

329『詩経』「大雅・烝民」天生烝民、有物有則。通訳:天はもろもろの人々をお生みになった、万物には

(自然とおのおの拠るべき)法則が備わるようにされた。石川忠久著(2000)『詩経(下)』p260,明 治書院。

330『論語』「雍也第六」夫仁者、己欲立而立人、己欲達而達人。通訳:仁者というものは、自分が立場を持 つとともに人の立場を尊重する。自分が成功するとともに人にも成功させる。前掲:平岡武夫著

(1980)『論語』,p177,

331 『中庸』「第一段」天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教。通訳:天が(人間に人間として生きるべき 根本のものとして)命じ与えたもの、これを性というのである。その性に従い行なってゆくところに 成り立つもの、これを道というのである。赤塚忠(1967)『中庸・大学』p199,明治書院。

332 原文:這是周除以來,認為一切人的本質(性)是由天所賦与,所以一切人的本質是相同的。因為一切人 的性是相同的,則一切人的地位,先天便是平等的。徐復観(1973)「中国文化中平等観念的出現」『徐 復観全集・儒家思想与現代社会』、144 頁)。初出:『華僑日報』1973 年 6 月 19 日付。