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殷海光の見た「中国文化危機」――近代化を阻む復古主義者への批判

第四章 徐復観と殷海光における中国伝統文化に関する論争

第三節 「中国文化危機」の成因と解決方法

一 殷海光の見た「中国文化危機」――近代化を阻む復古主義者への批判

伝統文化とは何かについて、殷海光は、「伝統はほかでもなく、コミュニティ生活におけ る経験の積み重ねである。経験の積み重ねはその後の生活に対する導きあるいは参考とな る」356と説明し、伝統文化が一種の経験的実在として捉えている。具体的に言えば、伝統文 化は集団生活の経験が伝えて来た思惟方法や生活習慣に過ぎず357、固守すべき神聖的存在で はないし、打倒すべき「食人」の倫理でもない358。我々の伝統に対する態度も、絶対至上の

「父親像」(father image)ではなく、コミュニティ生活のために奉仕する道具とすべきで

356 原文:伝統並不是別的東西,只是社群生活之經驗的累積。経験的累積。対於後来的生活而言,是一指引 或借鑒。殷海光(1955)「伝統底価値」(『殷海光全集・学術与思想』p761)初出:『祖国週刊』巻 9 期 8,1955 年 2 月 21 日。

357 同上、p764。

358 同上、p761。「食人」の倫理とは魯迅の儒教批判を趣旨とする小説『狂人日記』(1918 年)による言葉 である。昔の中国では孝子賢婦の肉を食べると、病気を治せるという迷信があった。魯迅は「食人」

の風俗を儒教倫理の虚偽・腐敗のシンボルとして暴きだし、儒教の支配により人々が人間性を失って しまたことを強烈的に批判した。

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ある359。伝統は変化するコミュニティ生活の暫定的な習慣にすぎず、常にコミュニティの内 外の変化に伴って進化すべきである。したがって、殷海光は以下のように述べている。

伝統が修正されるべきか、保存されるべきか、あるいは変更されるべきか、全ては人 生に適合するか否かによって決まる。もし、これを標準とすれば、伝統は修正可能、保 存可能、変更可能であり、いささかも沈滞しなく、まったく拘泥しない360

このように殷海光は伝統が時代の変化とともに変化するものであり、人間が伝統維持の ために生活を犠牲にするのは過ちである、と考えている361

伝統文化は一種の客観的実在である限り、優れた点と劣った点を同時に持っているはず である。中国伝統文化は優れた部分を有している以上、歴史の成り行きに任せても、変化す る環境に適応し、ともに発展できるはずであり、人為的努力による維持は必要ではない。

こうした立場から、殷海光は中国文化の中の大部分の要素がもはや新しい世界情勢に適 応できなくなってきたと指摘し、その根源を、尚古思想、変化を拒む傾向、自給自足などと いう中国文化に根ざす特殊な価値観に求めている362。それゆえに殷海光から見れば、一部の 人が今になって伝統文化を高揚しようとする行為自体が世界発展の進路に逆行するものに ほかならない。

では、中国の伝統文化から生じる古風な価値観は、具体的にどのように中国の発展を妨げ ているか。例えば、殷海光が 1958 年に発表した時論「世界的膨張」(「世界の膨張」、1958 年)

の中では、20 世紀の対立・戦争を招いたのは人口の爆発的な増大であると指摘している。

人口問題はすでに中国の重要な現実問題となっているが、これは多産を奨励した農業社会 的孝道を固守したため、人口の「質」の増大を阻害しているためだと彼は言う363

このように殷海光は、今日まで伝承されてきた伝統が、閉鎖的国策や農業社会などの特殊 な環境のもとで、中国社会の安定を維持するが、今日のグローバル社会において通用しない と強調する。それゆえに、近代化を目指す中国人にとっては、まず伝統至上主義による価値

359 同上、p765。

360 原文:伝統是否可以修正,是否可以保存,或者是否可以更改,全視是否適合人生而定。如果以此為標 準,那麼伝統修正可,保存可,更改也可,豪不黏滯,毫無拘泥。同上、p766。

361 同上、p765。

362 前掲:殷海光『中国文化的展望』(1964)『殷海光全集・中国文化的展望(下)』p419)

363 殷海光(1958)「世界的膨張」『殷海光全集 13・学術与思想(中)』p841-p843)。初出:『祖国週刊』

第 21 巻 8,1958 年 2 月 17 日。

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観を打ち破り、中国文化を異文化との接触・競争に参加させることが緊急の課題であろう364。 そうすることで、自然淘汰によって、伝統文化の更新を行うことができると殷海光は次のよ う主張している。

中国の固有のあれこれはもはや生命と内容を失ってしまい、空虚な形式だけが残っ ている。トインビーの研究365が我々に教えることは、文化と文明の昇降が歴史上よくあ るということである。こうした変遷の中において、〔筆者注:伝統に〕固執することには さほど意味がない。もし自分の文化に価値のある若干の要素(essence)が本当にある ならば、最終的に採用されないことを恐れないし、復活できないことも恐れない、将来 の世界新文化の一つ重要な要素になれないことも恐れる必要はない。もし、我々が中国 文化の価値のある要素を存続できるのなら、むしろ思い切って手放さねばならず、大胆 に世界文化の大潮の中に飛び込み、中国文化に大きな変容を起さねばならない。死んだ イエスは復活を通して新しい力を得て、キリスト教にさらなる影響を発揮させたので ある366

以上の引用は、殷海光が 1952 年に新儒家たる牟宗三による「真の自由の人が伝統文化か ら精神の力を獲得する人のみである」367という言論を批判するために、書いた「我所認識之 真正的自由人」(「私が知る本当な自由人」、1952)の一部である。このような認識はその後 の文化論でも一貫している。ところが、殷海光は植民地支配による過激な変革に反対し、「科 学的人文主義」368の社会を目標とし、民主と科学の原則に沿った漸進的改革を主張している。

いずれにせよ、殷海光から見れば、伝統文化が一種の客観的存在であり、克服されるべき

364 前掲:殷海光(1965)『中国文化的展望』『殷海光全集 2・中国文化的展望(下)』p420)

365 アーノルド・ジョゼフ・トインビー(Arnold Joseph Toynbee、1889 年- 1975 年は、イギリスの歴史 学者。殷海光が翻訳した J.G. de Beus の『The future of the West』の中には、トインビーの『歴史 の研究』について論じられる内容があるので、ここの「トインビーの研究」は『歴史の研究』を指すだ ろう。

366 原文:中国那套固有的東西早已失去了生命和内容,只剩下空虚的形式了。陶英貝的研究告訴我們,文化 與文明的升沉在人類的歴史上是常有的現象。在這一演変中,膠執是沒有大用的。如果自己的文化果真具 有價值的若干要素(essence),那末不怕不終為別人所採取,不怕不能復活,不怕不能在將來世界的新文 化中成一重要的因素。如果我哦哦們要能延続中国文化之有価値的要素,必須放手,大膽地讓它在世界文 化大流中起一個大的形変(transformation)。死過了的耶穌復活過来,得到了新的力量,使基督教更能 発生影響。殷海光(1952)「我所認識之真正的自由人」『殷海光全集 13・学術思想(中)』p653-654)

初出:『自由中国』巻 6 期 2,1952 年 1 月 16 日。

367 牟宗三(1952)「一個真正的自由人」『自由人』一期p20,1952 年 1 月 2 日号,香港自由人雑誌社。

368「科学的人文主義」(scientific humanism)とは、『中国文化的展望』の結論の部分で殷海光が展望し た社会進化の最高段階であり、すなわち人間が持つ道徳と理性を完全に発揮できる社会である。

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か保存されるべきかについては近代化の過程で新しい文化要素との競争によって自明とな ることである。したがって、伝統文化復興の名義で行われた活動は、さほど重要ではなく、

寧ろ伝統をうたう人は下心がある復古主義者に過ぎない。殷海光は復古主義者について、著 述の至る所で批判しているが、中でも最も鋭く批判したものは 1957 年の「五四運動」を記 念するための「重整五四精神」(『五四精神を立て直せ』・1957)である。この文章において、

殷海光は復古主義者の特徴について以下のように指摘している。

復古主義者には一つの基本的な信条があり、彼らは古い物事がいつも良いものだと 考えている。彼らは古代に対する懐かしい感情で古い物事を神聖的色彩に染めている。

プラトンおよび東洋の聖人、彼らの理想とするところの社会は古の静止した社会であ る。彼らは古代を一つの黄金時代と夢見る。黄金時代はすべてのよい「要素」を保有 する。社会が変動すればするほど、その「要素」から遠くなる。その「要素」と離れ るほど、社会は衰弱していく。このような静態的社会を維持する安定的な要素こそが 権威である369

殷海光は復古主義者が伝統を宣伝した動機の内実を疑っている。つまり、彼から見れば、

復古主義者の伝統鼓吹は実は権威を賛美することに重点がある。中国が科学や民主など新 思想に門戸を開くことに反対する復古主義者の動機は、民族の純粋性を確保しようとする のではなく、単なる過去への迷信に過ぎないとし、さらに深く分析すると科学と民主がもた らす懷疑精神や実証精神を恐れているからに他ならないと殷海光は批判している370。それは 何故かと言うと、科学の発達は必ずしも権威に盲従せず、事実を自ら検証する批判精神が並 存している。そのため、新思想の定着は権威の崩壊を起こし、連帯的に権威に依存する復古 主義者の失墜を意味するのである。つまり、復古主義者が権力者と親密な協力関係をもち、

庇護者たる権力者の付属物としてあり、彼らの主張は政治的な権威の主張にすぎない。

また、二年後の 1959 年 5 月 5 日発表された「五四運動」の記念文「胡適与国運」におい て、殷海光は復古派の中の二つの類型を抽出して、それぞれが如何に中国の進歩を妨げるか

369 原文:復古主義者有一項基本信条,他們認為屬於古的事物總是好的。他們憑藉對古代的懷念之情吧古 的事物染上一層神聖的色彩。柏拉図,以及東方的聖人,他們所理想的社会是一個如古的靜止社会。他 們夢想古代是一個黃金時代。黃金時代保有一切好的要素。社會愈是変動,則離此要素愈遠。離此要素 愈遠,社会就益衰弱。維持這種靜態社會的穩定要素就是権威。前掲:殷海光(1957)「重整五四精神」

『殷海光全集 13・学術与思想(中)』p800)

370 同上、p800。