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中国文化における自由のあり方に対する徐復観の模索

第二章 徐復観による「西化派」思想への批判

第二節 西化派の政治思想への批判から見る徐復観の文化観

二 中国文化における自由のあり方に対する徐復観の模索

徐復観は張仏泉の自由論に対して、「給張仏泉先生的一封公開信-環繞著自由与人権的諸 問題」(「張仏泉先生への公開状-自由と人権の諸問題をめぐり」、1954)を書いて反論を試 みた。彼は「自由すなわち権利」という主張を明確に否定した立場に立ち、自由が権利のみ 持つものではなく、極めて豊富な意味を有するため、その意味を無視する限り、権利を実現 することはできないと力説している。文章における張仏泉に対する情緒的批判を除けば、議 論の展開として、徐復観は張仏泉が単なる西洋学説の受け売りだとし、自由と伝統文化との

143 雷震・殷海光・張仏泉・徐復観(1954 年)「自由的討論」『民主評論』5 巻 6 期,p183,1954 年 3 月 20 号。張仏泉の「自由日談真自由」が掲載された後、徐復観は張仏泉と『自由中国』の編集長である雷 震に手紙を送り、「心の自由」と「国家の自由」も「個人の自由」と同じ重要な問題として検討すべき 課題であるという主張を表した。1954 年 2 月 14 日に殷海光は『自由中国』編集部の名義で返信を執 筆した。

144 同上、p183。

145 殷海光(1955)「自由的真義」『殷海光全集 9・政治与社会』p866)。初出:『祖国週刊』巻 9 期 4、

1955 年 1 月 24 日号。

146 同上,p866。

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関係を正確に把握していないと揶揄している。彼はまず張仏泉が中国伝統思想に対する理 解を欠いていることを批判し、張仏泉に「吃人的礼教」(「人を食うが礼教」)とされて攻撃 された「存天理去人欲」(「天理を存し人欲を去る」)に対する解釈を行う。徐復観によると、

「存天理去人欲」は「自由意志」と関わる課題であり、その意味が「人欲」を完全に否定し て抑制しているわけではなく、「人の意志によって道徳の選択を行う」ことであるとしてい る147。儒家がそれを提唱する目的は日常生活を規制することではなく、抗日戦争のような重 大な危機に直面した際に人に正確な選択を行わせることにあった148。以下に徐復観は張仏泉 が中国伝統道徳を服従主義の道徳と見なして批判した所論を取り上げている。

我が国の社会史はイギリス学者メイン(Maine)149が指摘したように、ただ身分社会 にとどまり契約社会までの発展を遂げなかった。尊卑主従の関係のみが重視されてお り、個人の平等が極めて少ない。それゆえ倫理関係の中で、権利に触れずに仁義しか言 わない。「礼運編」の中で取り上げた『父慈、子孝、兄良、弟恭、夫義、婦德、長惠、

幼順、君仁、臣忠』という十義はまさにそのもっともよい証拠である。「尚辞讓、去争 奪」150という礼治精神は個人の権利の概念と異なる時代のものであり、両者を同じに 扱うことはできない151

引用文の張仏泉の主張に対して、徐復観は道徳の範疇で権利について言及せず義務のみ を要請する『礼記』の主張はカントの義務論と同じ立場を取る倫理観であると述べ、さらに、

「礼運」が言ったのは特殊な関係から生じる一方的義務ではなく、関係者に対等な義務が課

147 徐復観(1954)「給張仏泉先生的一封公開信-環繞著自由与人権的諸問題」(李明輝編『徐復観雑文補 編・思想文化巻(下)』p63,中央研究院中国文哲研究所籌備処,2001)。初出:『民主評論』第 5 巻第 15 期、1954 年 8 月 16 日号。

148 同上、p64。

149 サー・ヘンリー・J・S・メイン(英: Sir Henry James Sumner Maine, KCSI、1822-1888)は、イギ リスの法学者・社会学者・政治評論家。イギリスにおける歴史法学の創始者とされている。代表作

『古代法』(1861 年)『民衆政治』(1885 年)

150『礼記』「礼運」故圣人之所以治人七情。修十義。講信修睦。尚辞讓、去争奪。舍礼何以治之。通訳:

それゆえ聖人は、七情が適度に表出され、十義が正しく実践され、人びととの間に信頼と親睦が深め られ、譲り合いが尊ばれ、争奪が行われないように人びとを教え導くのであるが、そのためには、礼 という物を用いないでは、治めることができない。竹内照夫著(1979)『礼記』p235,新釈漢文大系,明 治書院。

151 原文:我国社会史蓋似英儒梅因(Maine)所謂只発展至身份階級而未至契約階級;只重尊卑主關係,而 很少個人平等,故在倫常関係中,只言仁義而不談権利。礼運篇中所挙父慈、子孝、兄良、弟恭、婦 聽、長惠、幼順、君仁、臣忠的十義,即為最好的證據。這種「尚辞讓、去争奪」的裡治精神,與個人 權利觀念,完全是屬於兩個時代的,真所謂不可同日而語。同上、p64。筆者は張仏泉の原文も参照 し、徐復観の引用と一致である。

52 されていたと次のように指摘している。

道徳の中では権利を語らず、義務だけを議論する、それはカントが主張した義務だけ を議論する実践理性の原理と同じである。このような義務は人権の権利という概念と 何か衝突があるだろうか。そして、「礼運」の「十義」は、明らかに対等の義務であり、

一方的義務ではない。それはすなわち『中庸』が言うところの絜矩之道であり、その内 容は極めて簡潔である。「所求乎子、以事父」、「所求乎臣、以事君」、「所求乎弟、以事 兄」、「所求乎朋友、先施之」152。中国文化における人格平等の精神は日と月のような昭 然たるものであり、人からの侮辱など許せるものではない153

儒家が提唱する道徳は平等の概念に立脚し、律他的ではなく、自律的である。こうした儒 家倫理観の自律に対する徐復観の強調は 1955 年 6 月 16 日に発表された「儒家在修己与治 人上的区別与意義」(「儒家における修己と治人との区別およびその意義」)にも示される。

この論文において、徐復観は従来同一視される「修己治人」(己を修めて人を治む)を「修 己」と「治人」に分けてみる。つまり、「修己」は「学問の法則」として為政者の「自然生 命」を超越する「徳性」を求めることであり、「治人」は「政治の法則」として「民の自然

152『中庸』の第三段・第二節:君子之道四。丘未能一焉。所求乎子、以事父、未能也。所求乎臣、以事 君、未能也。所求乎弟、以事兄、未能也。所求乎朋友、先施之、未能也。庸徳之行、庸言之謹、有所 不足、不敢不勉、有余不敢尽、言顧行、行顧言、君子胡不造造爾。現代訳:「君子の行なうべき道は四 つある。だが、わたくし丘はそのうちの一つさえも行かないえていない。第一に、わたくしが子に対 してかくあってほしいと望むところ、それをもって、わたくし自身が父におつかえすることはまだ十 分にできていない。第二に、わたくしが臣下に対してかくあってほうしいと望むところ、それをもっ てわたくし自身が君主におつかえすることは、まだ十分にできていない。第三に、わたくしが弟に対 してかくあってほうしいと望むところ、それをわたくし自身が先に兄につかえることは、まだ十分に できていない。わたくしが友人に対して望むところ、それをわたくし自身が先に友人に対して行うこ とはまだ十分にできていな」と。(忠恕はたやすい実践の方法であるけれども、それを完全に実践する ことは、孔子のような聖人でさえも及びたいとされることであって、たえざる努力を要するのであ る。(されば、人々は、)自分自身に対しても、他人に対しても、常に一定の徳をば行かない、またと こあることばをばを謹みまもらなければならない。自分から反省して足りないところがあれば、努力 せずにはおかないし、他人よりも余力があれば、自制して他人をしのがないようにする。そして、も のごとを言い出そうとすれば、そのことを実行しおおせるか否かをよく考え、また、ものごとを実行 しようとすれば、それが正しい考えに合っているかどうかをおもんぱかって、言と行との一致につと める。このようであるから、君子であろうと志すものは、常におそれつつしんで身を修めずにはいら れないのである。赤塚忠著(1979)『大学・中庸』p229,(新訳漢文大系,明治書院)

153 原文:在道徳中不談権利,只談義務,這与康德実践理性之只言義務正同;這種義務与人権的権利概 念,有什麼衝突?而『礼運』的十義,很明顕是対等的義務,並非片面的義務。即中庸所謂絜矩之道,

内容説得非常清楚,如「所求乎子、以事父」「所求乎臣、以事君」「所求乎弟、以事兄」「所求乎朋 友、先施之」。中國文化中的人格平等的精神,昭如日月,豈容人稍加誣衊?前掲: 徐復観(1954)「給 張仏泉先生的一封公開信-環繞著自由与人権的諸問題」『徐復観雑文補編・思想文化巻(下)』p64)

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生命」に基づかなければならないとする154。続いて、徐復観は「子曰无欲而好仁者、无畏惧 而恶不仁者、天下一人而已矣。是故君子議道自己、而置法以民」155という『礼記』「表記」

のなかの言葉を引用した上で、次のように述べている。

仁は儒家思想の中心であり、人生の最高の基準である。ただそれは修己の基準でしか なく、政治上で人民に要求する治人の基準とされてはいけない。『議道自己』の『道』

は仁に基づいた正しい人間になるための基準を指す、これらの基準は、自ら実行する際 に求められる要求である。『置法以民』の『法』は社会一般の人の生活の規則である。

この規則に基づいた基準は修己の道ではなく、最も低い基準である156

つまり、儒家は、道徳と法律の区別を強調し、両者を峻別し、前者は個人が自由意思に基 づいて自律的に追求するものであり、後者は階級、民族、教養などにかかわらず、平等の原 則に基づいて一般の人が達成しうる規範である。そして、儒家のこの原則は時空を超えた現 代民主政治の原理を含め、民主主義と接触したことがない中国人のために、民主主義を理解 する上で適切なイメージを提供すると徐復観は指摘する157。すなわち、民主政治の原点は政 治による人々の生活への干渉を最大限に排除しようとするところにあり、人々の行為・思想 を一つの基準によって規制してはいけないとし、それは「修自」と「治人」を区別する儒家 の見方と一致する158。このような考えを踏まえて、徐復観は自分の独自的な民主政治への理 解を次のように述べている。

民主政治において多数決により決められた統一的な行為は、一種の極めて限定的な 行為であり、人々の大部分の行為は、多少の共同した傾向があり、若干の共同した標準 規約を認めているにもかかわらず、伝統・習慣・教育・文化などに由来し、政治の多数

154 徐復観(1955)「儒家在修己与治人上的区別与意義」『民主評論』6 巻 12 期、1955 年 6 月 16 日。『徐 復観全集・儒家思想与社会』,p61。

155『礼記』「表記」子曰无欲而好仁者、无畏惧而恶不仁者、天下一人而已矣。是故君子議道自己、而置法 以民。現代訳:孔子が言った。徳がなくて仁を好む人、もしくは、何の恐れもなく不仁を憎む人は、天 下に二人といない。それゆえ君子は、道義に関して考えるときには自己を本位とし、法令に関する処 置は人民本位とするのである。前掲:竹内照夫著(1979)『礼記』p812-813。

156 原文:仁為儒家思想之中心,亦即人生的最高標準。但這只能作個人修己的標準,不可因此而便作政治 上治人的要求於人民標準。「議道自己」的「道」指的是根拠仁以樹立的做人標準,這種標準,只能要求 從自己下手去作。「置法以民」的「法」,是社会一般人的生活規約。制度這種規約,則不是用修己的標 準而言,這是最低的標準。同上、p62。

157 同上、p71。

158 同上、p72。