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第六章 徐復観の知識人論――殷海光の比較を手がかりに

第三節 知識人への期待

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人に対する失望である。そのため、中国の近代化に貢献するために、知識人は自らの人格を 高める努力が重要であると、徐復観は次のように主張している。

人格の尊厳に対する自覚は、中国の政治問題の解決に向けた起点であるだけではな く、中国の文化問題を解決する起点でもある。一個の人間は、一旦、自身の持つ固有の 尊厳を意識すれば、同胞に対して、先祖に対して、先祖が積み重ねた文化に対して、同 様に一種の尊厳ある存在として感じる。人類の共有する人格尊厳の地平に立ってこそ はじめて、中西文化は互いに正視しあい、理解しあうようになる498

徐復観の大衆観に対して、殷海光は「血縁重視」や「同調性」という中国庶民が持つ封建 的恭順の国民性を批判するとともに、近代に発生した大衆運動の過激さを危惧している。そ れゆえに、殷海光が大衆に直面した際、念頭に置いたのは、前近代的な大家族の中の「恭順 的愚民」と大衆運動の中の「過激的大衆」という両極化的「大衆」像である。そして、殷海 光はこうした非理性的な集団という大衆の本質を捉えたうえで、知識人が知の優位を保持 するために、大衆との距離を保たなければならないと主張している499。したがって、徐復観 が大衆を被動的な存在として扱い、軽視しているに対して、殷海光は大衆そのものに不信感 を持ち、警戒しているのである。

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を決めるのであり、それは学術思想の本質である」500と述べている。

それに対して、政治は、「質」ではなく、「量」で決定する制度である。つまり、「どんな 偉い哲学者や科学者でも、彼の一票は普通の人と同じであり、ただ一枚の票と見なされるだ けである」という501。政治の基本は国民の多数によって政策が決められることだとしている。

こうして、徐復観は現代政治における大衆が治権を享有することを認めるが、それは大衆が 知識人と同等な政治能力を有するという意味ではない。徐復観は民主政治の一つの利点と して少数派の権利も保障されることを強調し、「質」的な意見を持つ知識人がやるべきこと は自らの言論自由の権利を利用し、言論活動の活躍により大衆の支持を勝ち取ることであ ると主張している502。つまり、政治における知識人の役割は、直接に政治活動に参加するこ とではなく、言論で民意を誘導し、それを通して権力者に圧力をかけ、政策決定に影響を与 えるのである。また、知識人が言論の機能を発揮すれば、多数者の専制も抑制することがで き、「このように、政治上の量の背後には依然として学術上の質が機能している」503と徐復 観は結論付けている。

こうした知識人観を持つ徐復観は、社会に無関心であることを純粋な学術研究とする一 部の知識人への反感とあいまって、生涯にわたって積極的に社会に向けて発言し続ける。

さらに、近代化の過程における知識人の位置付けをめぐり、徐復観と殷海光は相似する主 張を見せることになる。殷海光は、知識人が知識と道徳との優位性を活用して近代化を主導 すべきだと主張している504。その一方、徐復観も殷海光と類似した意見を示し、彼は知識人 が特定の階級の代弁者でなく、知識の伝播者となるべきであるとして次のように述べてい る。

中国知識人の責任は、種々の正確な知識を求め、悲劇的な危険を冒し、逃避せず、詐 欺虚偽もしない、自分が考える正確かつ現実に必要とされる知識を社会まで影響させ、

社会への干渉の中で自身を試し、自分が求める知識の性能を試し、それを通して我々の

500 原文:一万個普通人対哲学的意見,很難趕上一個哲学家的意見。一万個普通人対於科学的知識,沒有方 法可以趕上一個科学家的知識。這裡是質決定量,這是学術思想的本性。徐復観(1953)「学術与政治之 間」『徐復観全集』p141)初出:『民主評論』第 4 巻 20 期,1953 年 10 月 16 日号。

501 原文:任何偉大的哲学家或科学家,他所投的票依然和普通人一樣,只能當作一張票看待。同上、p 141。

502 同上,p141。

503 原文:這様,政治上的量的後面,依然是由学術上的質在発生作用。同上、p141。

504 この課題については拙稿「殷海光の知識人論について」の p11-p12 という内容を参照できる。

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国家・人類に必要とされる知識をいっそう建立・発展させる505

また徐復観は、知識人たちが社会を改革する責任があるとして、改革の先頭に立つべきと 主張する他に、知識人としてのあり方や国家建設の関与をめぐる責任について次のように 論じた。

徐復観はまず、一つの偉大な国家は『中庸』で言う所の「博厚、所以載物也。高明、所以 覆物也。悠久、所以成物也」506の如き社会統合の前提となる気迫を備えなければならないと 指摘する。そして、この「博厚、高明、悠久」が「至誠の徳」であり、そして、「至誠の徳」

が「仁」と「智」から由来するものである、と彼は解釈している。さらに、人が「仁」と「智」

の境地に達せば、自然万物とつながる回路が開通され、物と一体になり、自ずと「博厚、高 明、悠久」を獲得できる507。ただ、権力を扱う者は行為の基底にある侵略性・衝動性による

「仁」と「智」を保つことができない。そのため、「現実の政治人物はそのような気迫を持 つことができない。そのような気迫は知識人の文化思想によってしか表わせない」508とし、

つまり、政治を司る人物がやるべきことは知識人が創った文化精神に則って、至誠の徳に接 近することである。政治を司る人物は、知識人が築いた文化精神に反しない限り、平和な国 を創り上げることができると徐復観は断言している509

このように徐復観は、伝統文化を基に国家の性格の創出を知識人に求める。もちろん、国 家の性格を創り出す前に知識人自身が「仁」と「智」の境地に到達する必要がある。したが って、知識人の精神は知識人個人のものではなく、社会的に共有されているものであるとい う。

おわりに

505 原文:中国知識分子的責任,乃在求得各种正确的知识,冒悲劇性的危險,不逃避,不詭隨,把自己認為 正確而為現実所需要的知識,影響到社会上去,在与社会的干涉中考験自己。考験自己所求知識的性 能,以進一步発展,建立為我們国家,人類所需要的知識。前掲:徐復観(1968)「中国知識分子的責 任」『徐復観全集・論智知分子』p266)

506 『中庸』博厚、所以載物也。高明、所以覆物也。悠久、所以成物也。通訳:博く厚いことは、(地があ まねく)物を載せて生いたたせている徳である。高く明らかなことは(天が)物をおおって長大させ ている徳である。はてしなさと永久とは(天地が無限に)物を完成させている徳である。前掲:赤塚忠

『中庸・大学』p290。

507 徐復観(1955)「文化上的重開国運―読『人文精神重建』書後」『徐復観全集・論文化(一)』p 223)『華僑日報』1955 年 5 月 5 日付。

508 原文:現実的政治人物,不可能具備這樣的規模気象。這種規模気象,只能通過知識分子的文化思想中表 達出來。同上、p223。

509 同上、p224。

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徐復観の「民」に対する理解は独特である。彼の「民」には、二つの意味があると言える。

一つは儒家の「民本主義」における抽象的な「民」の概念であり、もう一つは今日社会の主 体とされる「大衆」である。

まず、徐復観の「民本主義」は、彼の独自の「民」の概念に基づく理念である。徐復観に よると、儒家が語る「民」は「士・農・工・商」として構成された「国民」から由来した言 葉であり、皇帝貴族と対立する階級を指すのである。そして、徐復観の解釈によると、儒家 は社会秩序の維持を図るとともに、君主の権限を制限しようとしたため、儒家の「民本主義」

の主旨は君主を道徳の模範として祭られる一方、「民」すなわち「士大夫」の知恵で国家を 治めることである。従って、徐復観の「民本主義」に対する解釈は決して大衆迎合主義では なく、むしろエリート主義が潜在し、そこから知識人の指導的立場の正当化がなされている のである。

もう一つの「民」である「大衆」は、工業化による人間性の疎外と官僚政治の台頭に抵抗 するために、人が結成した集団を指し、人は集団に依存して追従するとともに、独立の思想 を捨ててしまったという。そして、徐復観は「大衆文化」の侵食を受けた大衆の精神が堕落 していく様相を検討し、「大衆文化」の氾濫を急速な工業化がもたらした悪果と見なしてい る。この二重の原因により、「大衆」は自らの思想を放棄し、周りに盲目的に従うようにな ってしまったのである。ところが、彼は大衆に対する批判というより、むしろ同情が多く、

「大衆文化」の氾濫に対して無抵抗となる知識人こそ彼の批判の対象となっていた。

このように徐復観は、殷海光ほど啓蒙の対象にあたる大衆に対して強い警戒心を持って いないが、知識人が知識と道徳を用いて大衆を率いるという主張は殷海光と一致すると言 える。彼らによる「知識人」と「大衆」との結びつけ方を考えると、両者はともに強いエリ ート意識を持つと言えるだろう。この考えが中国大陸時代に国民党と密接な関係を持つ知 識人として大衆運動と対峙した経験につながっていると考えられる。

そして、徐復観と殷海光はともに文化革新の担い手が一般人ではなく、権力を握った人で もなく、知識人であるという認識を強く持っている。両者の中ではこうした知識人への期待 があったため、知識人の道徳的人格の育成を通して民族に対する自らの責任を求めるべき という同様な主張を展開させるのである。

その一方、両者は一般大衆から乖離し、彼らの文化変革の主張も現実性に欠けているよう に見える。「民主」と「科学」で東洋と西洋の「道徳」を整合させるという殷海光の主張と、