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第二章 徐復観による「西化派」思想への批判

第一節 中国文化「玄学」説への反論

一 胡適講演への批判

「中西文化論戦」の争点はいったいいかなるものであったのか。徐復観にとってそれは、文 化と関わるすべての問題の背後にある、中国文化ないし東洋文化の精神的価値の有無にま つわる問題である。それについて、彼は次のように述べている。

今回の議論は最初からその姿が崩れてしまったと言える。まず議論のテーマが意識 的に変えられた。つまり、「東洋文明には霊性がある」と主張する人たちが、義和団と 見なされ、西洋文化の受容に反対していると言われてしまった。そのため、東洋文明に 霊性があるか否かをめぐる争いから中西文化をめぐる争いに転化してしまった。しか し、胡適博士を批判する側の人々は、けっして西洋文化の受容について反対したわけで はなかった。82

82 原文:這次討論,可以説,一開始便走了樣。首先是対於討論的題目,有意地移転,既是把主張東方文明 是有霊性的這一面,説成義和団,説是反對接受西方文化;於是把東方文明有無霊性之爭,転移為中西文 化之爭。但是站在批評胡適一方面的人,並沒有人反対接受西方文化。徐復観(1962)「文化討論与政治 清算」『徐復観全集・論文化(二)』,p576).初出:『華僑日報』1962 年 10 月 6 日付.

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では、胡適がいったい何を言ったのか、見てみよう。胡適の西化論では、中国にふさわし い近代化の基盤を作るために、欧米文化=近代文化を基調としつつ、科学的精神による中国 人の思想改造を行うべきであるという主張である。胡適のこの論調は「新文化運動」時代か ら根本的に変わらない。「中西文化論戦」の引き金となる 1961 年 11 月 6 日の「東アジア科 学教育会議」の講演において、胡適は中国伝統文化ないし東洋伝統文化を時代遅れの遺物と し、その徹底的な追い出しを呼びかけ、科学の発展を促進するためには中国人の思想上の変 化と革命を行う必要があると主張した。以下は胡適の言う変化と革命が持つ二つの側面に ついての引用である

消極的な側面として、我々は一つ深く根付いている偏見を捨てるべきである。これ はつまり西洋的物質的(material)、唯物的(materialistic)文明が確かに優位を占 める中で、我々東洋人は依然として卓越した精神文明(spiritual civilization)を 誇っているというものだ。我々はこのような根拠のない自惚れを捨てるべきであり、

東洋文明には精神成分(spirituality)がきわめて少ないと認めることを学ばなけれ ばならない。積極的な側面として、我々は科学と技術がけっして唯物的ではなく、む しろ極めて理想主義的(idealistic)であり、極めて精神的(spiritual)であるとし、

科学と技術が確かに東洋で不幸にも充分に発達しなかった真の理想主義、真の「精神」

を示していることを学び、理解する必要がある83

加えて、進歩に向かって挑戦する活気ある西洋社会に対して、胡適は東洋文明の精神的価 値を否定することで東洋文明が固有に持つ思考様式こそ東洋人の精神的退廃の原因だと述 べ、次のように指摘している。

私は東方のこれらの老文明には精神成分が少ないと認識している。婦女の纏足のよ

83 原文:在消極的方面,我們応当丢掉一个深深的生了根的偏見,那就是以为西方的物質(material)、唯物 的(materialistic)文明虽然无疑的占了先,我們東方人還可以凭我們的優越的精神文明(spiritual c ivilization)自傲。我們也許必須丢掉這種没有理由的自傲,必須学習承認東方文明中所含的精神成分

(spirituality)実在很少。在積極的方面,我們応当学习了解、賞識科学和技術决不是唯物的,乃是高 度理想主義的(idealistic)、乃是高度精神的(spiritual);科学和技术确然代表我們東方文明中不幸 不夠発達的一种真正的理想主義,真正的「精神」。胡適(1961)「科学発展所需要的社会改革」『文星』9 巻 2 期,1961 年 12 月 1 日号,p5,文星書店.胡適の講演の訳文の一部は姜義華著・横田豊訳(1987)

の「胡適と全面欧化論」『史潮 21』,p35-43)を参照して加筆したものである。

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うな極悪非道な行為を千年以上にわたって容認し、ほとんど抗議の声があがらなかっ た文明にどうして精神文明があるなどと言えるだろうか。カースト制度(the caste system)を数千年にわたって容認してきた文明にどれほどの精神成分があると言える だろうか。人生を無意味な苦痛と見なし、貧困と行乞を美徳と見なし、疾病を天災と 見なす文明に語るべき精神的価値があると言えるだろうか84

上の引用で見られる胡適の義憤は、東洋文化が「纏足」、「カースト制度」を生み出したこ とのみではなく、善悪を分別できず、悪行、貧困、苦痛に異議を唱えず、反抗もしない精神 に対するものであった。このようにして東洋文化には精神的価値を見出すことができない、

と胡適は力強く断言し、またそれと正反対のものとして「近代文明こそが人として謳歌すべ き文明であり、人類の智慧でもって種々の生活条件を改善しようと試みる文明であり」85、 最も普遍的な精神価値を有する文明であるというのである。このような理論から中国の近 代化を実現するために最も重要なことは科学的精神の育成であるという主張へと向かうこ ととなる。

科学と技術という新文明は決して西洋の唯物民族の物質文明などではなく、我々が 心中で軽視しながら受容せざるを得ないものであることを我々は認めなければなら ない。この文明こそが人類の最も偉大な精神的成果であり、我々が学び、好み、尊ば なければならないものである。近代科学は人類にとって最も精神的意味を有し、さら に最も神聖的な要素が積み上げられた成果である。その要素とはまさに人間の創造的 知恵であり、実験という厳密な方法を用いて知を追求し、発見を追求し、大自然の精 微な秘密を抽出しようとする知恵である86

中国が近代国家に成り得なかった理由は、伝統文化が科学技術の発展を阻害する伝統的

84 原文:我認為我們東方這些老文明中没有多少精神成分。一个文明容忍像婦女纏足那様惨無人道的習慣到 一千多年之久,而差不多没有一声抗議,還有什么精神文明可說?一个文明容忍“種姓制度”(the caste system)到好幾千年之久,還有多大精神成分可説?一个文明把人生看作苦痛而不値得過的,把貧 窮和行乞看作美德,把疾病看作天禍,又有些什么精神価値可説?同上、p5。

85 原文:近代文明正是歌歌頌人生的文明,正是要利用人類的智慧改善種種生活条件的文明。同上、p5。

86 原文:這個科学和技術的新文明並不是什麼西方唯物民族的物質文明,是我們心裡軽視而又不能不勉強容 受的,我們要明白承認。這個文明乃是人類真正偉大的精神成就,是我們必須去学習去愛好,去尊敬的。

因為近代科学是人身上最有精神意味,而且的確最神聖的因素累積成就。那個因素就是人類創造的智慧,

是用実験的厳格方法去求知,求発見,求絞出大自然的精微秘密的那種智慧。同上、p6。

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考え方を中国人に植え付けてきたということである。中国文化は封建時代の残存で無気力 の産物であり、すでに停滞した生気のない文化であり、現代化のために克服すべき対象とな ったのである。そして胡適は、「あらゆる文明の道具はその文明における精神性を具象化し たものである」87と指摘し、「物質文明」と「精神文明」の一体性を強調し、物質文明がまだ まだ未発達であれば、高度な精神文明が存在するはずがないと主張する。したがって、西洋 の文明は「人の聡明と智慧を充分に利用して真理を追求させ、自然を支配し、人のために物 質を改造し、人の体に必要がない苦痛苦労を免除させ、人の力を数千倍数十万倍に増加させ、

人の精神を愚昧・迷信から解放させ、人類の種々の制度を革新、改造して最大多数の最大幸 福を求める。このような文明こそ高度な理想主義文明であり、真の精神文明である」88と胡 適は述べている。

胡適の発言が1961年12月1日付の『文星』に掲載された後、衝撃を受けた徐復観はす ぐに胡適の発言を批判する文章「中国人的恥辱、東方人的恥辱」(「中国人の恥辱、東洋人の 恥辱」)を執筆し、1961年12月16日に発行された『民主評論』に掲載した。この文章に おいて、徐復観は主に三つの方面から胡適の東洋文化には霊性がないという論調を批判し た。まず、徐復観はアインシュタイン、生物学者であるアレクシス・カレルとJ・B・S・ホ ールデンなどの科学者の立場から見る科学の限界に関する言論を取り上げ、「現在、思想家 の名に値する人たちはみな無批判に科学に対して賛美するわけではなく、反省を行ってい る」89と述べ、胡適の科学万能主義的な発言が時代の思潮に不相応な無知な発言であると喝 破している。

そして、胡適は自然を探求する行為が極めて精神的価値を有することを主張するのみな らず、科学的思考様式に反することが則ち不道徳という結論を導くことにより、中国文化な いし東洋文化の道徳的価値をも否定する。それに対して、徐復観は「科学と技術は唯物的で はなく、高い理想と精神的価値があり、真の理想と霊性を代表する」という胡適の発言を取 り上げ、人間の内なる道徳が、「客観的事実」を研究対象とする科学と性質の異なる知識の 体系だと説明し、今日世界の大国は科学を熱心的に追求することで一致した傾向を示すが、

87 原文:因為一切文明工具都是观念在物質上的表現。同上、p6。

88 原文:這樣充分運用人的聡明智慧来尋求真理,来控制自然,来変化物質以供人用,来使人的身体免除不 必要的辛労痛苦,来把人的力量增加幾千倍幾十萬倍,来使人的精神从愚昧、迷信里解放出来,来革新、

再造人類的种种制度以謀最大多数的最大幸福,這様的文明是高度理想主義的文明,是真正精神的文明。

同上、p6。

89 原文:現代只要配得上是一個思想家当前大家不約而同的是對科学的反省,而不是對科学万能的讚頌。徐 復観(1961)「中国人的恥辱、東方人的恥辱」『徐復観全集・論文化(一)』,p439).初出:『民主評 論』1961 年 12 月 16 日号。