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第三章 殷海光思想の特徴:前世代の「西洋派」の学者との比較を通じて

第一節 殷海光における胡適批判――実用主義から「全盤西化論」へ

二 胡適の「全盤西化論」への批判

この部分では胡適の「全盤西化」という論点に関する殷海光の論駁を中心に考察したいと 思う。『中国文化的展望』の中の「西化の主張」と題する第九章で、殷海光はまず文化観に ついての胡適の著述を引用しながら、胡適の全盤西化を提示した上で、全盤西化に対する批 判を行っている。

殷海光から見れば、中国近代啓蒙思潮における胡適の最も重要な貢献は、精神文明と物質 文明とは不可分の関係にあり、物質の発達が必ず精神の発達に伴随していると指摘したこ とである。また、彼は胡適の「我們対於西洋文明的態度」(「我々の西洋文明に対する態度」・ 1926)を取り上げ、近代における伝統文化の精神価値を高める風潮が西洋の圧迫により損な われた自尊心を満足させるための精神勝利法にすぎないという胡適の指摘に深い共感を抱 き、保守派が持つ伝統文化観の空虚な「自己満足」的性格を論難した223。続けて、殷海光は 西洋文明が科学の領域に限定されず、科学による真理に対する追求が、同様に精神上の満足 と向上をもたらすという胡適の論述を引用した上で、東洋人にとって真の「精神文明」を得 るためには、まず「精神の解放者」にならなければならない、つまり陳腐な古人の教え、老

303 頁。

222 同上、p305。

223 前掲:殷海光(1965)『中国文化的展望』『殷海光全集 2・中国文化的展望(下)』p359)

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旧な風俗習慣、狭い人情と世故などによる精神的奴隷状態から自己を解放されなければな らないと主張している224。また、殷海光は西洋の知的進歩を直線的に道徳的向上に結び付け ている胡適の観点にも同意し、「知識は道徳ではないが、道徳の向上に有益である」225と言 う。

そして、筆者の観点において興味深い殷海光の胡適批判は次の点である。「西洋の近代文 化がことごとく中国より『好い』わけではないし、中国文化が『百不如人〔筆者注:ことご とく劣っている〕』わけでもない」226。「百不如人」とは胡適が好んで使用する言葉であり、

科学技術のみならず、政治・社会・道徳など中国文化のあらゆる面が西洋に及ばないという 意味である。殷海光から見れば、胡適は「どうしようもない楽観主義者」であり、西洋文明 の「薔薇色の一面」だけに目を向け、その暗黒面とりわけ第一次世界大戦後の西洋文明の沒 落を無視した227。それでは、胡適が西洋文化の限界を提起しなかった理由は何であろうか。

殷海光は胡適の「我們對於西洋文明的態度」を引用し、その理由を説明している。まず胡適 の原文を見てみよう。

〔筆者注:西洋近代文明は〕人生の幸福を求めるという基礎の上に作られたもので あり、人類の物質的享受を確かに増進させた。そして、人類の精神的要求も確かに 満足させることができる。〔西洋近代文明は〕宗教道徳の面において、迷信的宗教を 打倒し、合理的信仰を打ち立て、神権を打倒し、平民化する宗教を造りだした。不可 知の天国や浄土を捨て去り、『人世の楽園』、『現世の天国』を造るために努力してい る。いわゆる個人の霊魂不滅への追求を捨て去り、人間の新しい想像力や新しい智 力を用いて、充分に社会化された新宗教と新道徳を推進し、最大多数の最大幸福を 図ろうとしている。228

224 同上、p362 頁。

225 原文:知識並非道德,但知識有助於増益道德。同上、p365 頁。

226 原文:西洋近代文化並非事事比中國文化「好」、中国文化也並非百不如人。同上、p373。原文:西洋近 代文化並非事事比中國文化「好」、中国文化也並非百不如人。

227 同上、p366。

228 原文:(西洋文明的)的這一系的文明建築在求人生幸福的基礎之上,確然替人類增進了不少的物質上的 享受;然而他也確然很能滿足人類的精神上的要求。他在宗教道德的方面,推翻了迷信的宗教,建立合 理的信仰;打倒神権,建立人化的宗教;抛棄了那不可知的天堂淨土,努力建設「人間的樂園」「人世 的天堂」;丟開了那自稱的個人靈魂的超拔,尽量用人的新想像力和新智力去推行那充分社会化了的心宗 教与新道德,努力謀人類最大多数的最大幸福。胡適「我們対於西洋文明的態度」、1926 年 6 月 6 日付

『改造月刊』、同論文は『胡適文存・第三集』(上海亜東図書館、1930 年)に収録された。

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この引用について殷海光は、「胡適が指し示した我々の進むべき道は世俗化であり、彼は みんなに『最大多数の最大幸福に努める』ことを呼びかけ、『現世の天国』を実現しようと した」229。アメリカの影響を強く受けた胡適から見れば、アメリカ人は開国してから、この

『主義』を全力で執り、確かに機械により『人間天国』を実現している。そのため、アメリ カと同様の方法――つまり功利主義を採れば、中国の近代化も実現できると確信したので はないかと殷海光は推察している。

しかし、果たして外国学者の理論をそのまま中国に適用するのは妥当なのであろうか。殷 海光は、中国においてベンサムの「最大多数の最大幸福」が民国初期に受容されてから、中 国知識人が魅せられ、幅広い支持を引き起こしたと述べた上で、実は「最大多数の最大幸福」

がスローガンとして振りかざされ、「耳あたりのよい空論に過ぎない」、「実際の政治問題と 社会正義を解決することができない」230と批判する。そして「最大多数の最大幸福」が徹底 して強調されることで、かえって「数の暴力」(tyranny of the majority)が生じてくる、

と殷海光は指摘するのである231。人間により作られた社会である限り、必ず不完璧的な社会 である。人々がそれぞれの価値観を持っているため、もし「現世の天国」を作ろうとしたら、

その過程では必ず人々の価値観を統一させ、個人の活力が抑圧され、厳しい統制が行われる。

中国近代化の挫折は、このような偽理想主義を氾濫させた結果であり、中国思想界が過度の 人道主義に浸透にされたことを殷海光は課題と提起している。

さらに、殷海光は胡適の唱えた「全盤西化」的リベラリズムを中国の現実から遊離した空 虚な概念と見なして批判を展開させる。『中国文化的展望』の第十二章「民主与自由」で、

殷海光は中国において「自由」が曖昧で多義的に濫用されてきたことを問題視し、「自由」

をめぐる諸概念の整理、修正を提起している。

殷海光はポパーの『推測と反駁――科学的知識の発展』(1963)における自由主義的諸原 理を説明した箇所に注目し、その中の第六の原理すなわち「自由主義的ユートピア――つま り、伝統のない白紙のうえに合理的に考案されるある状態――は実現不可能である」232とい う箇所を引用した後、「彼ら〔筆者注:近代中国の急進的知識人たち〕は既存の全てのものを 嫌悪し、『伝統のない白紙の上に一つの国家を作りたい』」と述べ233、このような知識人が文

229 原文:胡適所要大家走的路,就是世俗化。他要大家「努力謀人類最大多数的最大幸福」,来実現人世的 天堂。同上、p367-368。

230 同上、p480。

231 前掲:殷海光(1965)『中国文化的展望』『殷海光全集 2・中国文化展望(下)』p479-480)

232 同上、p522。原文は Karl.R.Popper(1963)『Conjectures And Refutations』の中のものである。日 本語訳文は藤本隆志ほか訳(1980)『推測と反駁』(法政大学出版局、p646-647)を参照したものであ る。

233 原文: 他們厭悪既有的一切,「想在無伝統白紙上建立起一個国邦」。前掲:殷海光(1965)『中国文化的 展望』『殷海光全集 2・中国文化的展望(下)』p522)

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化進歩の貢献になるどころか、彼らは一度挫折を味わうと、すぐ幻滅してしまうと痛烈に批 判している。ここでは、胡適の名前が明示されてはいないが、胡適を含む「全盤西化論」者 に対する非難であることは間違いない。

続いて、殷海光は下記のようなポパーの論述を取り上げて訳し、中国におけるリベラリズ ムの受容のあり方を示唆している。

自由主義の原理は、社会生活上重要とされる各人の自由の制限はできるだけ最小限 かつ平等にされるべきであると主張する。だが、このようなアプリオリな原理をどのよ うにして現実の生活に適応できるのか。このような問題はすべて、現存の伝統や風俗、

法律、慣習に訴えることによってのみ、はじめて実際に解決できるのである。234

殷海光はこの観点を深く受け入れ、社会の基本枠組みを維持しながら、個人の自由の度合 いを模索しなければならないと考えている。彼は「空理空論的リベラリズムはリベラリズム が失敗した原因である。我々はリベラリズムを実践するために、それが存在する社会の文化 状況に配慮すべきである」235と述べ、中国にリベラリズムを導入するために、中国文化と社 会の特質とは何かという真剣な考察が不可欠であると主張している。

要するに、殷海光は、文化革新における方法は実践に先立って予め決まっているものでは なく、中国の社会環境で具体的問題とともに確認され、修正されていくべきものだと指摘し ている。

以上で見てきた殷海光の胡適の西化論批判の根底には、やはり実用的思考が働いている ことが理解できる。

第二節 中国文化の本質の捉え方――陳秩経との比較

陳序経(1903-1967)は复旦大学を卒業後、1925 年からアメリカのイリノイ大学に留学し、

政治学博士の学位を取得したが、彼は政治学のみならず、歴史学・社会学・文化学・民族学 および東南アジアの地域研究など幅広い分野で研究に励んでいた。そして、1933 年に、彼 は中山大学で「中国文化之出路」(「中国文化の出路」、1933 年)と題する講演を行い、「全 盤西化」を提唱し、それによって全国に及んだ「中国本位文化論戦」の幕が開いた。

234 同上、p522。日本語訳文は前掲の藤本隆志ほか訳『推測と反駁』を参照したものである。

235 原文:空談自由主義乃自由主義致敗之由。我們要實踐自由主義,必須顧到它所在的社會文化情境。同 上、p522。