前節では、第2回知的協力国内委員会総会において、ICICによる国際知的協力事業 が国民文化を基礎単位とした相互理解・相互交流として概念化されたことを見た。ただ し、この会議の重要性は、単に各国国民文化の特殊性とその意義が確認されたことにとど まらない。なぜなら、いくつかの国内委員会が「地域的」知的協力についての報告書を提 出し、知的協力における「地域」の問題が第2回総会における主要なアジェンダの一つと なったからである。
地域的知的協力を扱った報告書は、対象地域によって主に4つに大別できる。第一 に、バルト三国地域に関する、ミコラス・ロメリス(Mykolas Römeris)の「バルト三国 間の知的協力」(”Inter‐Balkan Intellectual Co‐operation”)18)。第二に、ラテ ン・アメリカおよび南北アメリカについて、ミゲル・オゾリオ・デ・アルメイダ(Miguel Ozorio de Almeida)の「ア メ リ カ諸 国間の知的協 力」(”Inter‐American Intellectual Co‐operation”)19)。第三に、バルカン地域に関して、ジョルジュ・ツィ ツェーカ(Georges Tzitzeica)の「バルカン諸国間の知的協力」(”Intellectual Co‐
operation between the Balkan States”)20)。そして第四に、新興国、遠隔地の 国々について、ケネス・ビンズ(Kenneth Binns)の「新興国、遠隔国家における国内 委員会の活動」(”The Work of National Committees in Young and Outlying Countries”)21)。
これら報告書に共通してみられる特徴は、それぞれの地域的結合の根拠を文化的共
18) ロメリス(1880‐1945)は、戦間期のリトアニアを代表する法学者であり、当時ヴィータウタス・ マグヌス大学学長、リトアニア知的協力国内委員会委員長。
19) ミゲル・オゾリオ・デ・アルメイダ(1892‐1953)は、ブラジルの生理学者であり、当時ブラ ジル知的協力国内委員会委員長。
20) ツィツェーカ(1873‐1939)は、ルーマニアの数学者であり、当時ブカレスト大学教授、ルー マニア・アカデミー事務局長、ルーマニア知的協力国内委員会委員長。
21) ビンズ(1882‐1969)は、オーストラリアのライブラリアンであり、当時オーストラリア知的協力国 内委員会の委員。
通性に求めている点である。例えば、ロメリスは、バルト三国が地域として結びつく理由を 次のように述べている。
「・・・そこでは、誠実な合意に対する大きな障害は全く存在しない。この地域の三国 は、同じナショナリティの原則に基づいて成立している。その間には、いかなる種類の 紛争もなく、間を引き裂くような性質の主張もない。互いを恐れさせるものは全くなく、三 国の力は全く同等である。三国は、非常に類似した条件で、国民的・政治的解放を 獲得した。ラトビアとエストニアは、ほとんど共通の歴史、同じ統治機構を有しており、
同じ法制度の下で生活してきた。また、ラトビアとリトアニアは、同じ人種的起源を有し ており、言語も非常に似ている。三国とも、同じロシアの統治に従属し、同じような環 境で闘ってきたのである。それらの社会構成、重要問題の大半、そして最近のそれぞ れの憲法の展開さえ、実に著しい共通性を示している。三国の日常生活に必要なも の、知的な活動もまた、概して同じである。実際、全てのものが三国を真の理解へと 促しているのは、自然で確固とした連帯の基礎がここにあるからである。22)」
ロメリスが述べるように、バルト三国はさまざまな点で共通性を持っており、それが地域 的一体性の基盤をなっていると言えよう。また、こうしたバルト三国の地域的結合が可能と なるのは、バルト三国が地理的に限定され、三者間のパワーが均衡し、さらに多くの文 化的共通点を有していたからと考えられる。その意味で、それは偶然の産物とさえ言えるか もしれない。しかしながら、地理的により広範囲であり、パワー関係も複雑である地域にお いても、バルト三国と同じく、文化の共通性のロジックを用いて、地域的結合を根拠付ける 主張が見られた。それが、アメリカ地域の議論である。
「アメリカは、全体として、一体化、相互支援のための組織化へと向かっている。 人々は、ヨーロッパ精神やヨーロッパ文化と同じように、アメリカ精神やアメリカ文化を 語れることを望んでいる。ヨーロッパと同じくアメリカにおいても、そうした表現を一つ の明確な意味に帰することは不可能である。人々は、言葉で表現されるものよりも、肌 で感じることのできるものを扱っている。ヨーロッパ諸国間に大きな相違点があるのと 同様、アメリカ諸国間にも大きな差異が存在する。しかし、ヨーロッパもアメリカも、
こうした全ての相違の背後には無数の共通点が存在しているのである。アメリカ諸国が 22) League of Nations, Proceedings of the Second General Conference of National
Committees on Intellectual Cooperation, Paris, July 5th‐9th, 1937, p.38.
1937年知的協力国内委員会総会における日本と中国 - 国民文化、地域、国際的文脈
-共通に持ち、アメリカ諸国だけが持つ点こそ、アメリカ諸国間の協力の精神的基盤を 形作るにちがいない。23)」
ミゲル・オゾリオ・デ・アルメイダの報告書に見られるこの言葉は、第2回知的協力国 内委員会総会において見られる地域主義的言説の特徴を集約しているように思われる。す なわち、第一に、地域の存立基盤として文化の共通性が強調される。一方で、既に見た バルト三国地域の議論に比して、アメリカ地域は、「一つの明確な意味に帰することは不 可能」な「アメリカ精神」、「アメリカ文化」といった抽象的な概念を用いている。それは、アメ リカ地域が地理的に広大であること、スペイン語圏、ポルトガル語圏、英語圏、フランス 語圏など言語的に多様であり、文化的にも相違があること、アメリカ合衆国という突出した 大国を含んでいることなどから、その一体性を主張するためには抽象度の高い概念を用い る必要があったからと推測される。しかしながら、他方で、そうした多様性よりも共通性の 方が本質的なものとして語られるのである。また、こうした地域主義的言説の第二の特徴 は、このアメリカ地域に関する発言に見られるように、他の地域主義的動きと共振関係に あったということである。ここで参照項とされているのは、単に歴史的なヨーロッパの文化的 一体性だけではない。同時代的文脈を踏まえれば、このアメリカ地域の議論の射程に は、当時リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーを中心に展開していた汎ヨーロッパ連合
(Paneuropean Union)などヨーロッパの地域主義運動をも含まれていたと考えられる のではないだろうか。少なくとも、ヨーロッパの一体性が、アメリカという別の地域の一体性 を正当化する論理として用いられていることに注目する必要があるだろう。
したがって、第2回知的協力国内委員会総会でみられた地域主義の主張は、それぞ れ排他的なものではなく、相互に結びついており、そうした地域間の結び付きを保証するも のとして「普遍的」な知的協力機構としてのICICが必要とされるのであった24)。バルト三国 地域の知的協力を論じたロメリスは、地域とICICとの関係について次のような問題を提議し ている。
23) Ibid., p.27.
24) 会議においては、上記のバルト三国、アメリカ以外にも、地域的知的協力に関する興味深い 議論が見られた。紙幅の関係上、詳しく紹介することはできないが、例えば、オーストラリアの ビンズは、地理や文化に規定された地域と同時に、政治的に形成された「地域」(具体的には 英連邦)における知的協力の可能性を検討している(Ibid., pp.42‐45)。また、報告書は提 出されなかったものの、エジプトのフセイン(Taha Hussein)は会議において、エジプト、シ リア、イラクの間で実践されているアラブ世界の地域的知的協力活動について発言を行ってい る(Ibid., p.71)。
「地域的取り決めのシステムを、政治問題にも応用できるものとして、そして国家間の 弾力的な連合を設立する手段として、純粋な知的協力にも適応させることは可能では ないだろうか。ICICとIIICが全世界の国々に向けて設立されたときに、知的協力の考 えが国際社会全体に広がったならば、地域的な取り決めを媒介としてそうした協力を実 施する中間的組織を設置することは、いっそう妥当ではないだろうか。我々は、両極―
―一方は孤立したナショナルな『ユニット』、他方は世界大の包括的枠組みを代表す る『諸ユニット』の主宰者――のどちらかに必ず限定しなければならないのか。知的協 力の特殊な、より限定された問題――すなわち、ある集団に共通であり、より身近な連 帯によって、世界規模の協力という普遍的な次元よりも、その集団内においてうまく解決 されるような問題――を見込んだ地域的な機構、あるいはその他の組織を通して、こうし た世界計画へと到達すること方が良いのではないだろうか。25)」
このように、地域的な知的協力組織の設立が提案され、それは普遍的機構としての ICICと各国国内委員会を媒介するものとして位置づけられた。言い換えれば、それは、
前節で確認したICIC/各国国内委員会、「普遍性」/個別国民文化の間を媒介する論 理として提示されていると考えられるであろう26)。こうして第2回知的協力国内委員会総会 では、地域の文化的自立化が主張されると同時に、ICICによる知的協力理念に「地域」と いう新たな次元が加えられ、知的協力の普遍性と個別性を媒介する「地域」の重要な役割 が意識されるようになったのである27)。
3 . 日本と中国にとっての知的協力と 「 地域 」
このように国際知的協力の概念に大きな変化が見られた第2回知的協力国内委員会総
25) Ibid., p.38.
26) こうした地域主義的主張が、主に「中小国」からなされているのは注意すべきである。またそれ らが地域としてまとまることによる地政学的意図も看過されるべきではない。他方で、アメリカ、 フランス、イギリスなどの発言の中に地域に関する議論を見出すことはできない。
27) 1920年代に新渡戸稲造の下、国際連盟職員としてICICの事務を担当した、ポーランドの歴史
家オスカー・ハレツキ(Osker Halecki, 1891‐1973)は、ICICの理念において最も重要なも のの一つとして、「文化的地域主義」(Cultural Regionalism)を指摘している(Osker Halecki, Intellectual Cooperation in the Post‐War World, New York: New Europe, 1943, p.3)。