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大韓帝国の外交にみられる国際主義的戦略

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日本の韓国併合をめぐる国際環境と大韓帝国外交の挫折 161

ディアから注目を浴びた9)。1909年10月の安重根による伊藤博文暗殺事件もまた、ロシ アと日本による満州利権の閉鎖的独占をめぐり欧米列強の関心が集中していた時に起こっ たものであり、世界世論が大きく注目することになったのである。

伊藤暗殺の背後に対する米メディアの報道によると、スチーブンス狙撃事件や伊藤暗 殺事件の計画はすべて「ソウル」において行われ(宮中の前皇帝と密接な関係にある官 僚、もしくはそれ以外の人間により)、実行主体の本部はウラジオストクにあり、この団体は サンフランシスコやホノルルなど各地に支部を持っているとある。また専門家の意見を引用 し、彼らの目的は、外国の注意を引きつけ、日本に反対するよう仕向けること10)、列強、

特に米国が日本による韓国主権の併合を阻止するため、干渉に乗り出させることにあるとし ている11)

伊藤暗殺に対する米メディアのもう一つの関心は、伊藤のハルピン訪問の具体的な目 的を把握することにあった。伊藤がロシア財務相ココフチョフ(Kokovsoff, V.N.)とハルピ ンで会見し、合意を試みた内容とは何だったのだろうか。満州へ向かう前、伊藤が純然 たる個人旅行だと言明したにもかかわらず、もし会見が行われていたならば、ロシアと日本 は北満州と南満洲での鉄道利権を互いに承認し、共同で満州鉄道の独占を試みようとし たという推測から、満州鉄道問題に対する米国の尋常ならざる関心があらわれている12)。 このように米メディアは、既に日本によって欧米列強が主張してきた満州のopen door policyが破られつつある状況で、ロシアとある種の妥協を試みた伊藤が暗殺されたこと は、今後の日露関係もしくは日清関係にどのような結果をもたらすのかに注目していた13)。 すなわち日本が清から得た南満洲鉄道の利権を死守するためロシアと妥協することにより、

満州open doorの閉鎖を図った秘密計画が、伊藤の死亡により一旦中止された点、それ が英米資本による満州鉄道付設計画にいかなる影響を及ぼすのかについて、多大な関心 を寄せていたのである。

興味深いのは、そうした観点、すなわち米国の満州門戸開放政策が中断される危機 が、伊藤暗殺によって救われたという観点から事件を眺めていたため、日本のビスマル ク14)、あるいは近代日本を作った張本人として高く評価される15)伊藤を暗殺した韓国青年

9) The Sanfrancisco Chronicle 1908.3.25 10) New York Times 1909.10.29

11) Los Angeles Times 1909.11.2 12) Special to the New York Times 13) The Washington Post 1909.10.27 14) Outlook 1909.11.6

に対する非難は、ほとんど見いだすことができない点である。親日言論人として有名で あったGeorge Kennanが、無知で妄想に陥った一部の韓国人が、韓国の真の友人を 暗殺したと報道した例はあるが16)、ほとんどの記事は、韓国の現状に同情し、暗殺の動 機に対する理解を示していた。近代的観点からみれば、対応の遅い韓国が怠惰であるよ うにみえるかもしれないが、それが日本の行動を正当化するものではなく、日本もわずか二 世代前には同じような状態であり、彼らを眠りから覚ますのに、外国列強による征服は必要 ではなかったと論評した。この記事は、日本にみられるような文明化の過程とは、韓国にお いて、その自治権を破壊せず、皇帝を幽閉することもなく、日本の官僚を韓国全域に配置 せずとも可能だとし、韓国人に自分たちの国と政府を残してやるべきだったという内容に続 いている。暗殺事件に加担した韓国人に対しては、彼らは後進的ではあっても、非常に熱 烈な愛国心の持ち主だと評価しており、日本の支配に屈服しない数万名の韓国人が、自 ら山に入り、日本への抵抗に加わっていることを伝えている。貧しくて微弱な韓国人が、強 い日本に対抗するのは無理だが、彼らは義憤の心を燃やし、暗殺という手段に訴えている と同情した。さらに日本が満州においても韓国と同様の政策を取るのであれば、韓国人よ りも従順的でない満洲人と、どれほどの大きな困難を経験するかもしれず、そうなれば東洋 問題に終わりが見えなくなるだろうと警告している17)

このような米メディアの報道態度を見ると、安重根事件を計画した側18)の意図は、満州 問題をめぐる欧米列強と日本の葛藤関係を把握し、日露交渉に乗り出した伊藤を暗殺する ことにより、結果的に満州の門戸開放閉鎖を阻止し、列強の理解を代弁しただけでなく、

事件に全世界の耳目が集中したことを利用して韓国問題に対する国際社会の関心を喚起 させることにあったと考えられる。また安重根の「東洋平和論」にあるように、議題を韓半島 問題に限定するのではなく、東北アジアの平和体制構築という、より大きな枠組を提示する ことにより、韓国併合が単なる韓民族の運命に限定される問題ではなく、将来東アジア全 体の平和を脅かす問題にもなり得るという点を明らかにしたものと考えられる。

だが日本もまた、こうした大韓帝国の国際主義戦略の危険性をよく把握していたため、

15) New York Observer and Chronicle 1909.11.18 16) Outlook 1909.11.27

17) Los Angeles Times 1909.10.27

18) 安重根の伊藤博文暗殺事件の背後には、沿海州一帯の義兵勢力だけでなく、高宗皇帝の密 使として米国で活動し、サンフランシスコでスチーブンス暗殺事件を主導した鄭在寛などが介 入していたことが、最近の研究で明らかになった(李泰鎮「安重根のハルピン義挙と高宗皇帝」

『安重根の東洋平和論と東北亜平和共同体の未来』、安重根ハルピン学会・東北亜歴史 財団主催「安重根義挙100周年記念国際学術会議発表資料集を参照」。

日本の韓国併合をめぐる国際環境と大韓帝国外交の挫折 163

併合断行の時期を急遽早め、それも日進会を全面に掲げて併合請願書を提出させること により、韓国民が自発的に合併を請願しているように見せかけ、韓国併合に対する列強介 入の可能性を極力避けようとしたものと考えられる。

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