ケース43
初職・第2職への移行経路
初職は高専の卒業式の日、就職するつもりはなかったのだが、先生から紹介してやると言 われ、1 日か2日ですぐ就職試験を受けて決まってしまった。本人の意思とは関係なしに決 まった感じである。
第2の勤務先であるA大学へは、学会誌で偶然見つけた公募のチャンスに応募した。3回 目の応募で採用されたが、その背景に、大学での指導教官と大学院で研究の指導をしてくれ た研究者がA大学の教授と知り合で、後押ししてくれたことがあった。
仕事内容
○初職 橋梁の設計会社
最初の4年間は技術営業で、営業の手伝いと製品を施工する際の技術指導を担当。問題な く施工されているかをチェックする仕事である。大学院修了後に復職してからの仕事は設計 で、専門に勉強したことを生かせる分野ではある。
○2職 A大学土木工学の助手
30歳代後半には、内地研究員制度により他大学に行って学位取得のための研究に専念でき た。40歳代初めには学位を取得して、助教授に昇進した。現在は、講義を2コマから3コマ 分受け持ち、雑用ばかりであまり研究ができない。研究をしているときは趣味をやっている ような感じである。助教授になってからは自分の研究はしたいが時間がとれず学生を指導す る教育者という側面が強くなった。3年生のインターンシップの世話や JABEE(日本技術 者教育認定制度)の認定申請の仕事もある。
自分にとっての転機とは何か
高専のときに大学の先生になりたいということが分かったこと。
転機に対する家族・周囲の反応
親に対して、大学の先生になりたいということは一度も相談していない。大学に行くこと も自分で決めた。大学の学費は親が払ってくれると思い込んでいた。実際は、入学金は出し てもらったが、授業料は自分で払った。大学院は入学金で貯金がなくなったので、授業料は 親(代が変わって実際は長兄)に出してもらった。親の考えが「親の出来ることは金を出す くらいだ」というので、親に出してもらうことに全然抵抗はなかった。
教育・訓練経験・自己啓発など重要な活動
1年間の内地研究員での研究は指導教官について研究した。その後、ドクターをとるまで、
自分の研究とドクターをとるための研究と両立させてかなりハードな時期があった。研究を 一生懸命できた時期はこのころである。
影響を受けた人・本など
中学生のときの担任の先生から「大学の先生になったら」と言われたことが最も大きい。ま た、高専で数学の先生から地盤が今一番面白く難しい分野だと聞いたことが方向を決めるの に大きかった。一時、物理や歴史に進路変更ようと思ったこともあったが、大学で先生にな るには、やはり土木だと思った。
自分にとっての仕事の位置づけ
仕事は、生活の糧を得るものだが、以前は、自分の能力を発揮できる場所というイメージ だった。今はどちらかというと勉強だと思っている。人生という勉強。
人生のピークを自分の研究が一生懸命できた時期だと考えると学位取得あたりがピークだ ろう。今は縦軸が変わっている。言い表せないが違う軸をとればピークを過ぎたわけではな い。
今も研究をしたい気持ちはあるが、業績を上げようとして研究しようとすると、学生を自 分のペースに引き込んでやらないといけない。そうすると学生は反発して、だから、本当に 研究している人なんかは、いつも学生を怒鳴っている。そういう自分のペースに学生を合わ すことに疲れてきて、むしろ、学生がこれをやりたいと言って来たらそれを手助けするので いいのではないかというふうに変わってきている。研究者としてはある意味、落ちこぼれだ と思う。
将来・今後の展望
そんなに先のことは考えていない。
健康について(本人と家族)
健康。
結婚
結婚はしたかった。しかし、付き合った女性の家系にユタの人がいて、自分はすぐには結 婚できないことを告げられて、それが理解できたから、今はぜんぜん焦っていない。時が来 るのを待てばいいと思っている。
ケース44