• 検索結果がありません。

女性  50 歳

ドキュメント内 untitled (ページ 188-191)

現在  開業し鍼灸治療に従事   

現状と今の仕事 

現在、B県の市の中心部で鍼灸治療に従事している。同時に、週末はC県の市でも治療を 行っている。但し、仕事には6割程度の時間配分で、4割は登山やお寺巡りなど旅行などに 充てて公私のバランスを取るように努めている。 

 

これまでの主な経歴 

A県にある大学に入学し、法学部で少年犯罪心理学を専攻した。父親が会社の経営者で、

自分は高校時代からソロバンで経理の手伝いもしていたので、法律の必要性を感じていたこ とが法学部進学の理由である。しかし、親戚のおばさんの影響で鍼灸師への道を選択してい たので、それを実現するために、大学での勉学と並行して、B県にある鍼灸の専門学校(夜 間)に3年間通学し卒業した。28歳の時にC県の市で開業以来20年以上にわたり数千人の ケースをこなしてきた。途中、31歳の時に中国に3ヶ月間留学して現地の治療法も身につけ た。32歳の時にB県の現在の治療所に本拠を構えた。 

 

初職への移行 

大学卒業と同時に鍼灸師の道へ直行しており迷いのない職業人生を歩み続けている。 

 

仕事内容 

鍼灸師の仕事は身体の不調を治す以上に、実態は「心を見るウエイトが半分以上を占めて おり」カウンセラー的な活動のウエイトが高い。『心療内科では患者の話を聞くだけでアドバ イスをしないのが問題である。話をきいてあげるだけで治る人は、そもそも病気にならない 人である。「相手の立場から考えたら?」「違う角度から考えたら?」と患者にサジェスチョ ンすることが必要だと思う』との発言に見られるように、カウンセラー機能に重点を置いて 仕事をしている。これまでに身につけたものは「人間を知ること」であり「病気と共に病人 も治す」をモットーに仕事に取り組んでいる。 

 

自分にとっての転機とは何か 

中学から高校へ進学する時点で、今で言う「人生設計」を考えていた。そして、高校進学 時には既に、鍼灸師への道を歩むことを決めていた。中学時代の先生からは大学受験を勧め られたが、自分は「自主的な人生を歩みたい」との思いがあった。親戚のおばさんが腕の良 い鍼灸師で、大変流行っているのを子供の頃から見ていて「自分の行く道はこれだ」と思わ

せる強い影響を受けている。

転機に対する家族・周囲の反応

「大学と専門学校の学資は両親が負担してくれた。だから、一生懸命に学んだし、分らな いことがあれば質問したので、大学の先生からも可愛がられた」と、本人が言うように家族・

周囲は常に本人の意向を尊重し、自主的な進路選択に委ねた経緯がある。これだけの熱意が あり、相当の努力をしていれば、「思うとおりにさせてあげたい」と考えるのが人情として当 然であろう、と感じさせるものがある。

教育訓練経験・自己啓発など重要な活動

専門学校で教えていた先生に卒業前からお願いして勤務した2年間の勤務経験が重要な 活動のトップにあげられる。年代は聞きそびれたが、修行時代のある時期に、3ヶ月間、無 報酬で毎日 18 時間も働いたことがあり、その過労が原因か、ヘルペスに罹りお蔭で「病人 の気持ちがわかった」ことが治療者としての自分にとって大きな意味のある出来事であった、

と感じている。それまでの自分は「カミソリ」と呼ばれ、治療者の「切れ味の鋭さ」を売り ものにしてきたキライがあったが、「患者の立場」を体験したことで治療姿勢に変化が生じる 契機となった。

影響を受けた人・本など

親戚のおばさんが腕の良い鍼灸師で、大変流行っているのを子供の頃から見ていて、自分 も鍼灸師になろうと思った、と言うとおり「人生のキーパーソン」の第一は鍼灸師のおばさ んである。第二の重要人物は、大学卒業後に2年間勤務したところの先生である。その先生 から学んだ「治療者としての心構え」のポイントは「愛」あるいは「慈しみ」で、この人の 治療者としてのバックボーンとなっている。先生の「病気を見て病人を見ずはダメ」という 教えが、以後に大きな影響を与えている。

自分にとっての仕事の位置づけ

前述のとおり、仕事に6割、プライベートに4割の配分を行っている。私的生活の中心は 登山に置いている。登山は、リフレッシュに役立つだけでなく、自然の厳しさや自己責任の 大事さを教えてくれる。また、登山家にはフェミニストが多く、荷物が多いと代わりに持っ てくれる優しさを感じることもうれしい。登山の他に、西国・坂東・秩父など札所巡りも頻繁 に行っている。西国八十八箇所は3回巡ったし、秩父は100観音を巡った。こうした登山や 旅行の予定は、予め計画を立てておき、治療の予約より先にスケジュールを入れるようにし ている。関東のお寺巡りは、C県時代の友人宅が千葉にあるので、そこに宿泊させてもらっ て行った。阪神大震災の頃から独学で水墨画を習い始めた。また、若い頃にバイオリンなど

弦楽器をやりたかった思いを実現するべく、4〜5年前から胡弓を習い始めて続けている。

これまでの職業経歴を振り返っての評価

「敵は千万人と言えども我行かん」という性格なので、お茶汲みやコピー取りが中心の OL のような仕事は自分には向かないと思った、と言うとおりで若い頃から自分を良く知っ ている。親の言うことも一応は聞いて大学に進学し、一方で自分の本命である鍼灸師の道に 進むべくA県からB県まで毎日1時間半をかけて二重通学した実績は心からの尊敬に値する。

本人の並はずれた努力もさることながら、両親に経済力があり子供の自主性を尊重する人で あったことが幸いしている。中学時代にブラスバンドのクラブ活動を創始し部長を務めるな ど若い頃からリーダーシップを発揮した実績がある。鍼灸専門学校の同級生30数名のうち、

鍼灸師の収入だけで生計を立てているのは5名のみであり、成功者の一人と評価できる。

将来・今後の展望

今の仕事は年齢に関係がないので、今後ともできるだけ長く続けたいと思っている。鍼に は治療者の人格が表われるので、弟子を取っても「言葉で教えられるものではない」と考え て弟子は取らないで来た。弟子に教えるより、その努力のエネルギーを自分の能力の向上に 向けたほうがプラスが大きいと考えている。若い頃から人が見えすぎて、自分にも他人にも 厳しかったので、カミソリのニックネームがついた。それが結婚できなかった理由の一つで ある。また、自分はリーダーシップがあるが、自分がリードしなければいけない人はイヤな ので、そういう条件を満たす男性はこれまで現れなかった。

健康について(本人と家族)

職業柄、腰を曲げる姿勢や力を入れる動きが多いために、腰痛があることと肥満気味なの が健康上の問題点と自覚している。これらに対しても、食事の8割はベジタリアン方式にし ており、カラオケでストレス解消を行い、登山に出かけてリフレッシュすることを心がけ着 実に実行している。

ケース66

ドキュメント内 untitled (ページ 188-191)