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女性  50 歳

ドキュメント内 untitled (ページ 169-173)

ケース58

仕事の内容

○初職  家事手伝い

昭和50年〜昭和52年まで自宅でピアノとエレクトーンを子どもたちに教えていた。

○2職

昭和52年〜昭和54年4月の結婚するまで音楽教室の講師として仕事をしていた。

○3職

昭和 54 年4月に結婚で近県の社宅に住むことになったのでそこの音楽教室で翌年に中近 東に行くまで音楽講師をしていた。

○4職

中近東から帰国して自宅で子どもたちにピアノを教えていた

○5職

昭和 61 年に東南アジアから帰国して自宅と近隣のレッスン場で週2回ピアノを教えて現 在に至る。

自分にとっての転機とは何か

・中学時代から音楽教師になりたいと思っていたが、ならなかったこと。

・短大卒業後も就職せずにピアノと声楽のレッスンを受けながら自宅では子どもたちにピア ノを教え、残りは家事手伝いをすることを選択したこと。

・夫との結婚。

・中近東と東南アジアでの生活。

転機に対する家族・周囲の反対

・音楽教師にならなかったことは、既に教師になっていた姉が「むいていない」と反対した ので、ならなかった。

・夫の転勤で中近東や東南アジアにいくことは当然のことなので実家の両親は反対をしなか った。

教育・訓練経験、自己啓発など重要な活動

・ピアノを教えるために音楽教室のグレードを取得し音楽教室の講師となった。

・音楽教室の講師をしている時に研修などで幼児へのピアノの指導の方法や教材選択など。

影響を受けた人・本など

・夫が海外転勤でも義父や義母と同居をしながら子育てをしていた。同居先に、共働きをし ているからという理由で夫の弟の子どもを預かることになった。義理の両親の手前、自分 の子どもと一緒に保育をした。同じ年齢だったので、子ども同士で喧嘩をすると、自分の

子どもを叱って預かっている子どもを叱ることはできなかった。こんな辛いこともあった ので実家の両親に相談をすると「自分の子どもを自分で育てることができるんだからいい んだよ」と言われて「ああ、そうかなあー」と納得した。このように実家の両親には随分 と影響を受けている。

・嫁ぎ先の義母(実家の母親と違った女性としてのモデルである)。前向きな女性である。

・実家の姉(教師にならない方がいいと言った。夫が留守の間の子育ての相談)。

・子どもの頃、お稽古に行っていたピアノの先生。

・子どもが通学していた小学校の校長先生。

自分にとっての仕事の位置づけ

・ピアノ教師という仕事は、周囲から見るとOLとは違って遊んでいるという捉え方をされ ることもあり、卒業後はこれでいいのかと悩んだ時期もあったが、現在は週2回のレッス ンが支えとなっている。

これまでの職業経歴を振り返っての評価

・中学生の時に抱いた音楽教師には、ならなかったが音楽教室の講師や自宅でピアノの教師 をしている。しかも結婚で地元を離れ、さらに夫の転勤で中近東や東南アジアに行ってピ アノ教師を途中で中断する時期があっても現在まで継続できていることは自分にとって 重要な意味をもっている。夫の転勤で中近東へ行く時にピアノ教室を閉鎖しようと思って いた時に、友人が帰ってくるまで代わりにレッスンを続けてくれた、お陰で中近東から帰 ってからすぐに教室をすることができた。東南アジアへの転勤でもそうだった。周囲の人 に助けられて好きな仕事を継続できていると思う。何と言っても協力して続けられたこと。

将来の展望

・義母が70歳でお琴を始め練習をしている姿を見てきた。現在81歳になっているが勉強を しているので自分も80歳くらいまで細々と何かの曲を弾けるようにしたい。

健康について(本人と家族)

現在のところ自分も夫もそして実家の両親、嫁ぎ先の両親ともに病気知らずに元気である。

しかし、単身赴任が長かった夫が定年して一緒に暮らすこと、夫婦の再構築をどのように一 緒にしていくかという大きい課題がある。

また、実家、及び嫁ぎ先の両親の介護の問題が、いずれ出てくると思うので、どうすれば いいのかと心配をしている。

趣味・スポーツ等

・週2回ピアノのレッスンを受けている。また、自分も生徒に週2回レッスンをしている。

この教えてもらい、教えるということがいい感じになっている。

・2年に1回のピアノの発表会を姉や友人と共催で行っていること。両家の両親や周囲の人 が喜んでくれているので継続したいと思っている。

・エアロビ。

ケース59

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