ケース61
○2職までの間のアルバイト
国立大学の医学部の研究室で、最初は試験管洗い。そのうちに、外来診察についていって 処方箋書きの手伝いのようなことをした。
○2職 県立高校の英語教師
担任 15年のほか教務課、生徒課、保健課などを担当した。
自分にとっての転機とはなにか
・教員になったこと。
・女性も経済的に自立していたほうがいいという伴侶と結婚したこと。結婚で一皮むけた。
・娘が高校に入学したときに夫が転勤で単身赴任して子供と2人の生活が始まった。阪神大 震災の年でもあった。3 年たってまだ夫の赴任が終わらない 2000 年に子供が大学進学で 上京。自分が一人になった。いつも明るく前向きなのにガクッときて半年から1年間落ち 込んだ。自分の転勤も重なった。直前の学校は10年いたのでショックが大きかった。
転機に対する家族・周囲の反応
・アルバイト先の上司がよく諭して助言してくれた。よく話をする夫婦で信頼できる相談相 手だ。仕事が忙しかったり、単身赴任をしてもきちんと生活していた。
・落ち込んでいた1年間、自分の様子がおかしいと夫が家に勤務地からよく帰ってきてくれ て乗り越えた。
・基本的に、職場、家庭、両親と周囲の人に恵まれていた。自分は子供の頃から両親にとっ ては期待の娘だった。応援してやるから、頑張れということだった。夫は、頑張って身動 きがとれない部分があるという見方もしてくれる人で楽にやるように助言してくれた。教 員としても信頼できる先輩がいた。
教育・訓練経験・自己啓発など重要な活動
これまでは高校教員は自由な研修で自分次第だった。しかし、去年から文科省からの指示 で英語の教員を対象に、今後5年間、全員が研修を受けなくてはいけないことになった。余 計なこと、うっとうしいというのが現場の教師の実感。英語は毎年、教科書が変わって、二 度と同じ教科書を使わない。毎日の教材研究だけも大変。しかし、やらねばならない。
影響を受けた人・本など
アルバイトをした大学で、若い先生が今の仕事を楽しいと思っているかもしれないけど、
あくまでも補佐に過ぎない。絶対、教員になったら良いといわれた。その先生のご両親が小 学校の先生で、教師は人を育てる仕事できっと向いているといわれた。 ああ と思ったのが 記憶に残っている。そういう後押しがあった。
5つ年上の良い伴侶に恵まれたことは大きかった。結婚のときに「一人の人間としてちゃ んと生きなさい。その家の、僕の妻というだけではなく、自分の人生を生きなさい」といっ て、実際にも生活面で自立して困難な時には支えてくれた。結婚当初、職場の上司との関係 もあって苦労し、体調が悪いときの修学旅行で佐渡島で熱が出て動けなくなって入院した。
佐渡まで、絶対会社を休まない夫が迎えに来てくれて、2人で帰ってきた。夏休みの間静養 して職場に戻った。それ以来頭があがらない。
その他の特記事項
教員の仕事は、生徒の何かをもらうというか、エネルギー、エキスを吸い取ってやる、も らってやるとかいうぐらいの気持ちでいかないとできないと思う。
大学時代はお稽古事をするような優雅な生活に憧れていたが、同時に、人に養ってもらい たくないと思っていた。
教師をしつつ子どもを産んでから思ったのは、女性は経済的に、男性は生活面で自立して いる人同士が結婚したら幸せになれるのではないかということ。それが理想だ。教員は当時 はまだ珍しい扱いを受けている男女平等な仕事だったので、そう思うとどんなに大変でも辞 められない。
ケース62