家族形態 夫、子ども2人
現在、スーパーマーケットの食品売場青果部のパートリーダー インタビューの場所 対象者の自宅
現状と今の仕事
7年前から、氏は自宅から自転車で約 10 分の距離にあるスーパーマーケット(以下、A スーパーと記す)に勤務しており、現在、食品売場青果部のパートリーダーである。同スー パーは、ここ数年の業績不振を打開するため最近外資系スーパーマーケットの傘下に入り、
現在、社員削減等の経営再建策を実施中である。この影響は同氏の仕事にも及び、以前は社 員が行っていた、例えばパソコンによる発注事務等も同氏が担当するようになった。一方、
同氏の私生活において、2人の子供は両者とも成人したものの、夫は意識を回復しないまま 長期間入院療養中である。また、インタビューを実施した9月上旬は、住んでいた団地の建 て壊しのため転居を迫られていた同氏家族が、ようやく転居を終えたばかりの時期であった。
これまでの主な経歴
氏は昭和 49 年に公立高校商業科を卒業後、新卒として大手証券会社(以下、B証券と記 す)に就職した。同社における入社時から結婚退職するまでの3年半、同氏は一貫して営業 推進部にて勤務。退職後、同氏はアクセサリー作成の内職を行ったりするものの専ら家事を 主としていたが、平成2年、長女中学校入学時からパート勤めをするようになった。最初の パートは都市銀行(以下、C銀行と記す)において集金業務と商品販売を行う営業で、約1 年半勤めた。その後、昼間は銀行で清掃業務を行った後、夜間は友人の店で接客業務を行う というパターンのパート勤めを3年間、次に、平成7年から生命保険会社(以下、D生命と 記す)の保険外交員を2年間行った。そして、平成9年から前述のAスーパーに勤務するよ うになり、現在も継続している。
職業生活への移行
高校卒業後の進路について、勉強好きではなかったものの、氏は、当初短大または専門学 校への進学を希望していたが、実家の新居購入と重なったため進学を断念し就職を選択した。
当時靴屋を営んでいた両親の同氏の進路に関する想いについて同氏は次のように語った。「母 親は一人っ子である同氏に靴職人と結婚して家業を継いでくれることを期待していた。一方、
商売の厳しさを知っている父親は同氏に苦労をさせたくない思いからサラリーマンと結婚す ることを期待し、同氏に就職を勧めた」。
同氏が就職活動した昭和 49 年の就職環境は、同氏の学んだ商業高校において8割の生徒
が希望どおりに就職できる状況であった。同氏は、就職先会社の選択にあたって、職種や業 種に特定の希望を持っていなかったため、友人が一緒に受験しようと誘ってくれたことや、
通勤の便利さを考えてB証券の就職試験を受けることを決めた。実際のところ、同氏は同社 や証券会社の仕事内容等を全く知らない状況であったが、同氏は同社受験希望者5人の中で 学校推薦枠2人のうち1人に入ったため、同社を受験した。
就職後の職務と生活履歴
○初職
B証券に入社後、氏は営業推進部に配属された。同部は本社にあって、3課で構成されて おり部員数は約 40 人。同氏の同期新入社員のうち男性は株式部に配属され、営業本部や人 事部等の本社に配属されたのは女性のみで同氏を含めて8人であった。その学歴をみると、
高卒は同氏を含め5人、他3人は短大卒、および大卒であった。
(仕事内容と研修内容)
B証券営業推進部で勤務した3年半の間に同氏が担当した仕事は概ね次のとおりであっ た。同証券は、当時、入社後の半年間を学歴に係らず新入社員研修期間としていたが、同氏 も入社後半年間は研修を受講し、その後に新聞スクラップ、コピー、お茶だし、そして掃除 などの雑務をこなした。その後、先輩社員のアシスタントとして支店長会議で使用される新 商品の企画資料等の作成を担当した。この仕事は知識のない同氏にとって難しいものであっ たが、同氏はいろいろな人の協力を得てやり遂げることができたという。なお、当時、事務 機器を用いた業務といえば、ファクシミリを使って全店に資料を伝送するくらいであった。
また、同証券は、同氏の職層に対して自社研修所を使って1泊2日の研修を年2回実施し ていた。その内容は、実務研修といよりも事業所の異なる社員同士が交流しながら「今後ど ういう営業をすべきか」とか「社員としてのあり方」といったテーマを一緒に考えるような 内容であった。
(同氏の生活ぶり)
仕事に慣れてくると忙しい日が続くようになり、帰宅するのが午前1時、2時ということ もあり、加えて早朝出社するときは2、3時間の睡眠で午前6時には家を出るようなことも 経験した。また、当時、同証券の休日は日曜日と隔週の土曜日であったが、休みの日ともな ると同氏は友人と連れ立ってサーフィンに出かける等いろいろ遊んだとのことである。
同氏は前述どおり入社後3年半で結婚退職したが、当時、同証券広報推進部の業者担当者 が取り持った縁によって同部の出入業者であった夫と結婚したとのことであった。
○2職 (パート) 以降
B証券退職後から長女の中学校入学までの間、同氏は家事を主としながらアクセサリー作 成の内職を行った。これは、同氏がリーダーとなって供給材料を各人の作業ペースに応じて 作業者5人に配分して指定された期日までに商品を完成させ納品するという内容であった。
○2職
同氏は平成2年からパート勤めを始めた。最初はC銀行における集金業務と商品販売を行 う営業。同氏は、担当区域が生まれ育った場所であったことや、仕事内容が人と係る仕事で あったためこのパートを面白く感じたという。しかし、同パートの賃金(当時)は扶養範囲 内を前提としていたため、より多くの収入を希望していた同氏は約1年半勤務して辞めた。
○3職
その後、昼間は2時間ほど銀行で清掃業務を行った後、夜間は友人の店で接客業務を行う というパターンのパート勤めを3年間行い、次に、平成7年にD生命の保険外交員となった。
保険契約に関する月々のノルマを常に達成する同氏にとって保険外交員の仕事は極めて順調 であったが、平成9年、同職を辞し、現在も勤務するAスーパーで勤務するようになった。
これは、この時期に現在も入院中の夫が発病したため、夫の容態が変化したら直ぐ帰宅でき るように自転車通勤できる区域内での勤務を同氏が希望したことが理由であった。
○4職
Aスーパーにおいて、同氏は食品売場青果部のパートリーダーとして勤務している。職場 は、同氏のみが40歳台、他は50歳台の7名で構成されている。これらの人々の勤務時間は 始業から 12時半までの人、17 時までの人に分かれており、同氏は 18時、あるいは遅くな った場合20時まで勤務することもあるという。
前述のとおり社員削減等による経営再建を進めている同スーパーの雰囲気について、同氏 は「店舗全体の雰囲気はよいとはいえないが、自身の職場は連携よくやれている」とみてい る。また、同スーパーの経営再建策の影響は同氏の仕事内容にも及び、商品ディスプレイを 売れ行きに応じて変更するエリア管理、パソコンを用いた発注事務等かつて社員が担当して いた業務も同氏は行うようになり、加えて、会議へも出席するようになった。このような現 状について、同氏は、大変であるが自身で売場を作れることを楽しく感じながら仕事をでき ると評価している。しかし、サービス残業が禁止されていること等決められた以上のことを していけないという同スーパーの方針について、同氏は納得できない状況にある。
職業に対する想い
○自信や誇りを持っている事柄
同氏は「どんな仕事にも誇りを持っていたい」と語った。以前同氏が1ヶ月間入院したた め同スーパーを休み、その後職場復帰した際に同氏に寄せられた「姿が見えなくてやめたの かと心配していた」、あるいは「1日1回あんたの顔を見ないと、わしゃ元気でないよ」等の お客様の言葉は、青果部に勤めていることに対する同氏の誇りの支えになっている。
○印象的な事柄
同氏は、子供の学校における役員、町内会の役員、子供会の役員、そしてボランティア等 仕事以外のことにもいろいろ係ってきた。これらの係を通じて、同氏は、「リーダーになれば
責任を負わなければならないが、自分なりに時間の配分ができるようになる。そして、一所 懸命にやった役員の人たちとは長く付き合うことができる」と考えるようになった。
また、パートの仕事を長く続けられた理由を同氏は次のように考えている。一つは、パー ト勤めを始めたころ、同氏は時間配分をつかめなくて子供との交流も難しくなったとき、そ れを補うために交換日記を始めたこと。同氏は子供からの返事の有無に係らず毎日欠かさず 日記を書き続けた。他の一つは、仕事と家庭だけの生活に埋没しないように、チームを作っ てビーチボールバレーを始めたこと。連盟に所属する同チームは、日々トレーニングを行い 試合に臨んでいる。このことは、パートから帰宅した同氏が直ぐに練習に向うためには、食 事準備等のすべきことを片付けなくてはならないため愚痴を言う暇をなくした。また、練習 が同氏の気持ちを「明日も頑張ろう」と切り替えるのに役立った。
○職業において求められる能力
職業場面に応じて自分なりの工夫をすることの大切さについて同氏は語った。例えば、ア クセサリー作りの内職において、余った材料を使って作ったものを納品の際に添えたことに よって、それが商品化されたこと。スーパーのパートリーダーとして楽しみながら主婦とし ての自分のアイディアをもとに売場を作り「斬新でいい」と言われたりしていることなど。
○職業を通じた目標、希望
同氏は「人を頼りにするのではなく、人に頼りにされる自分になりたい」と語った。また 頼りにされるということについて「何かあったときに、悩んでいることを分かり的確にアド バイスできることである」と同氏は語った。また、現在、同氏は老人介護のボランティアを 行っているが、これは同氏が介護福祉士のスーパーバイザーの仕事に将来就くために実務経 験を積むことを考えてのことであるという。
○人生における職業の位置づけ
同氏は職業について「生きていくための糧であり、自分の能力を発揮できるような職業に 出会えれば自分を高めることができ、人生観を変えることができる。また、そういうチャン スの場でもある。このような職業にめぐり合えるかどうかは自分の努力次第だと思っている」
と語った。また、同氏は、満点を100 点とすればこれまでの自分の人生を80点と評価する という。足りない 20 点はやり残している部分であり、これからこの部分をやることによっ て、自分が亡くなるときに100点をつけたいと同氏は語った。
その他の特記事項
Aスーパー内で社員に対して発信された経営トップからのメッセージ「会社のためとかい う日本人的な考え方が会社をだめにした」について同氏は次のように感想を漏らした。「日本 人的な考え方っていうけど、あなたも日本人じゃないの」「いけないんですって、会社のため に仕事をしたら。そういうのが日本人的な考え方だって」。同氏の率直な感想は、労働者のメ ンタリティーが国毎に異なることを的確に突いているのかも知れない。このことは個人のキ