ケース18
全般を任かされた。社長がワンマンで、わがままが多く、対応に苦労した。税務申告等のノ ウハウを取得。経営者が自社ビルを売りに出し始め、経営に将来性が見えず見切りをつけ退 職。
○3職 簿記の専門学校で教務担当
ビジネス塾での経験を買われ、試験免除で簿記の専門学校に採用された。8学科あり、1
学年1,000人の大規模専門学校。情報経理学科に教員として配属されたものの、教務の仕事
が中心で、カリキュラム編成や時間割を組むことが主な仕事だった。専任、非常勤合わせ90 名の講師陣の時間割作成は、コンピューターでもむずかしく、パズルのようなものだった。
阪神大震災の直後には、学科長代理となり、学生の安全確保のために、震災時のマニュアル を作り上げた。その後、学生が減少し、経営の見直しが行われ、新規事業として、教材を書 籍として販売することになった。管理職も営業活動が課され、4県を担当し、2年間学校や 本屋にセールスして回った。さらにリストラが進められ、管理職の降格人事が行われ、抗議 のかたちで7人の管理職が退職の意思表示をし、自分も行動をともにした。一年半失業が続 いた。
○4職 コピー会社で事務・営業
小さな会社のため、時間があれば何でもしなければならなかった(経理、総務、管理、営 業)。印刷のノウハウや紙についての専門知識を習得。経営者が会社を身売りし、給料の高い ものから人員整理された。
○5職 宅配便の下請けをしながら化粧水の代理店準備
友人が製造している「水に溶ける絹」の入った化粧水の販売(卸)を始めている。需要先 の市場調査等を行っているがあまり期待できない現状。生計はアルバイトではじめた宅配便 の仕事で立てている。精神的には半失業状態にある。
自分にとっての転機とは何か
今から考えると、大学を卒業し、安易に、ビジネス塾に就職したことが人生の躓きに思え る。もっと慎重に仕事を選ぶべきだったということ。もうひとつの転機は、簿記の専門学校 を辞めた 43 歳の頃。何か自分で商売をと考えたが次男が生まれたばかりで、悩んだ末に安 定した就職する方を選択したこと。
転機に対する家族・周囲の反応
第2の転機のときは自由な選択ができなかった。
商売を始めようと思ったが、次男が生まれたばかりなので、リスクが負えなかった。
教育・訓練経験・自己啓発など重要な活動
簿記の専門学校時代(30 代)、毎年1回、ミドルマネ―ジャー研修や上司・部下の人間関
係研修等を受講。阪神大震災の後、学生の安全を守るために震災避難マニュアル作成の責任 者となった。東京都の災害対策や、参考書で都市型災害時の避難対策について勉強した。
影響を受けた人・本など
高校の先生で初職の経営者と不動産管理会社の社長。特に不動産管理会社の社長からは、
反面教師で多くを学んだ。ワンマンでわがまま。人のいうことを聞かない。盲目ながら活動 家で頭が切れた。ビジネスに強欲で、守銭奴のようにお金に執着する。記憶にある印象深い 言葉として「人間ミスはする。それをどのように処理するか、その処理能力が大切だ」。
これまでの職業経歴を振り返っての評価
躓きが多いので、50点。最初の職業選択の甘さを後悔している。
将来・今後の展望
これからはしたいと思ったことはチャレンジするつもり。
健康について(本人と家族)
特に問題なし。
後輩へのアドバイス
仕事探しでは最初の見極めが大事。頼りになる人に相談して、慎重に決めてほしい。転職 には早目早目の決断が大切。決断したら即実行。
ケース19