制の見直し
・部内各系統間の連携のほか、部外の諸関係機関との協力体制を確立 (諸外国の鉄道は、防災に関する総合的な対応機関が組織化)
・関係者の職責の内容を従来の考えにとらわれずに検討 (人命尊重を第一とする指揮判断を誤らないこと)
教育訓練等の充実 ・現業機関や養成機関において、防火に関する教育や訓練の充実 (異常時に関係職員が適切に判断し、誤りなく行動するため)
列車運転継続可能時分 を延長するための諸条 件の整備
・列車がトンネル外へ容易に脱出できるように、車両や地上設備の諸条件 を研究して整備
・ディーゼル機関を装備する車両といった構造の異なる車両の列車火災 についても早急に解明
基礎的研究の推進
・火災対策技術は複雑かつ多岐にわたるため、広範囲な分野での基礎的 な研究を推進すること (今後検討すべき主な事柄)
①火災挙動と列車速度との関連
②各種車両の構造・材料ごとの燃焼状況の特性 ③トンネル内における煙やガスの挙動
④火災検知や消火システムの質的向上 ⑤列車火災時に発生するガスの中毒学的な特性 ⑥列車火災時における乗客の心理行動 長大トンネルにおける火
災対策設備の検討
・避難誘導、消火活動、救助などのすべての火災対策活動が円滑に行える 設備を考え、人命の安全確保のための最善のシステムとすること 火災が発生した列車が
トンネル内に停止した場 合の救援体制の検討
長大トンネルごとに最善となる救援体制を検討
(現実に対応した種々の条件を考慮し、すみやかに救助を行える体制)
ていれば、ほぼ 15 分以上はトンネル内を継続して走行可能であることや、乗客は火災が発 生した車両から離れた車内に避難すれば安全であるという結果に基づき制定された(89)。 鉄道火災対策技術委員会は、2 年以上にもわたり大規模火災試験や調査を実施し、総合 的な列車火災対策を確立するために必要な事項を明らかにしてきた。ところが、列車火災 は複雑なメカニズムで発生する場合が多いことから、技術的に解明していく必要のある課 題も数多く残されている。例えば、火災が発生した列車がトンネル内で停止した場合でも、
再度運転が可能な限りトンネル外へ脱出させるように努めることと委員会の報告書は指摘 している。表Ⅲ-13 は、本委員会の報告書に書かれている鉄道トンネル火災対策で残され た課題をまとめたものである(90)。
表Ⅲ-13 鉄道トンネル火災で残された課題
出所: 鉄道火災対策技術委員会(1975 年)、前掲、124~126 頁。
3)現地でのその後の取り組み
事故の一周忌法要が行われた西本願寺別院(福井市)の境内には、全国の国鉄有志から
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集められた基金により、北陸トンネル列車火災事故追悼碑が 1973 年 11 月に建立された。
この追悼碑の左側には、火災事故により三十柱の尊い命が奪われたことが、他方、右側に は犠牲者の氏名と年齢が刻まれている(91)。
北陸トンネルの敦賀口左側にも、1991 年 8 月に木製の「北陸トンネル内列車火災事故犠 牲者の碑」が建立され、定期的に清掃や供花などが行われてきた。その後、慰霊碑の経年 劣化が進んだため、2007 年 3 月には国鉄金鉄局を継承した西日本旅客鉄道(以下、「JR 西日本」という)金沢支社により石製の慰霊碑が改建された。慰霊碑の裏には、三十柱の 尊い命を奪ったことと改建の理由が刻まれている。また、2014 年 8 月には慰霊碑周辺の環 境整備が行われ、その床面は白黒の玉石が敷き詰められた状態となった。
一方、北陸トンネルを管轄する JR 西日本・敦賀地域鉄道部では、長大トンネル内で車両 から降車した際の乗客の不安な心情を社員が理解する目的で、北陸トンネルお客様避難・
誘導訓練が毎年実施されている。この訓練では、鉄道部に属する各系統の社員が参加し、
社員自らがトンネル内で停車させた列車からの降車やトンネル内の歩行を実際に経験する 点で、有意義なものと考えられる(92)。
(7)北陸トンネルで過去に発生した火災事故
北陸トンネルでは、1972 年 11 月 6 日の火災事故以前にも二件の火災事故が発生してい る。
一つ目は、1969 年 12 月 6 日の早朝に発生した火災事故である(表Ⅲ-8 の No.17)。これ は、トンネル内の出口付近で寝台特急日本海号(青森発大阪行、電気機関車+けん引客車 数 13 両)の 1 両目電源車のエンジン付近から出火した事故で、乗務員の判断によりトンネ ルを抜けた直後に列車を停車させたため、幸いにも死傷者は発生しなかった。
二つ目は、その翌年の 1970 年 2 月 2 日に起きたトンネル内で日本海号(青森発大阪行)
が車輪から異常な火花を出しながら走行した事故である(表Ⅲ-8 の No.18)。ただし、その 列車はそのままトンネル内を走行し、敦賀駅で点検を行ったが特に異常は認められなかっ た(93)。
(8)本火災事故で見られた組織的要因
列車火災発生時、当時定められていたマニュアルに従い、消火、連絡、車両切り離し、
誘導などの処置が国鉄職員により必死に行われた。ところが、それまでのハード、ソフト
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両面の安全対策が、長大トンネルにおける火災という事態に十分対応していなかったため に、この事故では被害が拡大してしまった。ここでは、対策の不備につながった背景につ いて考察する。
北陸トンネルの建設では、新工法の採用による工期の大幅な短縮や、建設に直接起因す る死亡事故が皆無であったことなど技術水準の高さが証明された。また、トンネルの開業 は北陸エリアの経済発展に大きく貢献したことから、北陸トンネルの建設は成功体験とし て国鉄に記憶されていた。加えて、戦前の 1934 年に完成した長大トンネルである東海道本 線の丹那トンネル(全長 7,804 メートル)において長年にわたって火災事故が発生してい なかったことで、いわゆる安全神話が生まれ、長大トンネルにおける火災事故対策への構 えが甘くなっていたものと思われる(94)。
その証左の一つとして、『北陸ずい道工事誌』にはトンネル防火対策の記述が一切なされ ていないことが挙げられる。また、当時の国鉄関係者による「きわめて不運な事故」ある いは「悪魔のいたずらといわざるをえない事故」との証言があるが、このことは北陸トン ネル事故が国鉄関係者にとって想定されていなかった事故であったことを示している(95)。 ところで、この火災事故が発生する前に、このような大惨事の発生は本当に全く想定で きなかったのであろうか。既述のとおり、1969 年 12 月に発生した列車火災事故は、北陸 トンネルの出口付近であったため死傷者は発生しておらず、また、1970 年 2 月の出火事故 でも、大きな被害は出ていない。本火災事故の約 4 カ月前の 1972 年 7 月には、モーターの 加熱によりトンネル中央部において列車が約 2 時間立ち往生するという事故も発生してい るが、火災は起こらなかったため、トンネル内の避難は行われなかった(96)。
一方、敦賀市消防署から金鉄局に対し 1967 年 10 月以降、3 回にわたり災害時の救援体 制や消火設備、消防署等との連携、車両の不燃化などの列車火災事故防止に関する要望が なされている。ところが、これらの要望書は全て国鉄本社に上申された訳ではなく、車両 の不燃化という点での対応を除いて、国鉄本社はその実情を十分把握していなかった。消 防庁もこれらの要望に対し 2 年間審議中のままとし、成案を運輸省に申し入れていなかっ た。その背景には、トンネルは防火法で定める防火対象物に指定されていないことにより、
消防庁は国鉄に対し強いて要望を申し入れることができない、という日本の縦割り行政の 弊害が作用したためと考えられる(97)。
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第5節 他の鉄道トンネル火災事故
本章では、北陸トンネル事故後に発生したトンネル火災のうち、本事故と同様にトンネ ル内で走行不能となり、トンネル内の避難誘導が行われた二件のトンネル火災事故につい て述べる。本稿では、これまで国有鉄道時代に発生した鉄道事故を対象に分析を行ってき たが、この時代に同種事故が発生していないことから、ここでは民鉄や JR の火災事故を取 り上げる。
(1)近鉄東大阪線生駒トンネル火災事故 1)生駒トンネル
近鉄の前身である大阪電気軌道は、大阪・奈良間を最短距離で結ぶ奈良線の建設を目的 に、「社運を賭けて」生駒山を東西に貫く生駒トンネルの建設を着工させた。3 年の苦難の 末、1914 年には当時日本一であった笹子トンネルに次ぐ全長 3,388 メートルの生駒トンネ ルが完成した。これまで、笹子トンネルを含む長大トンネルは単線狭軌式が中心であり、
複線標準軌式の建設は生駒トンネルが初めてのケースとなった。戦後、近鉄奈良線の輸送 需要が増大する中、生駒トンネルは断面が狭小で大量輸送が可能な大型車両を運行させる ことが困難であった。そのため、近鉄では奈良線用の新しいトンネルとして断面の大きな 新生駒トンネル(全長 3,494 メートル)が建設された(1964 年完成)。新トンネルの完成 により生駒トンネルは廃止され、後述の東大阪線(現、けいはんな線)の生駒トンネルと 区別するために旧生駒トンネルと呼ばれるようになった(98)。
その後、奈良県北部の急速な開発にともなって激増する輸送需要に対処するため近鉄で は、奈良線のバイパス機能を持つ新線が計画され、1986 年には大阪市営地下鉄中央線と相 互直通運転を行う東大阪線が開業した。東大阪線用のトンネル建設では、図Ⅲ-4 のとおり 東側(生駒側)坑口より 395 メートルは旧生駒トンネルを拡幅改築し、これが利用されて いる。また、旧生駒トンネルとは 1 本の作業坑(斜坑)で結ばれている(99)。