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法律にみる文化財

ドキュメント内 実践的博物館学の研究 (ページ 113-133)

この法律は、文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もつて国民の文化的向上に資 するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的とする。

これは「文化財保護法」(制定:昭和 25 年 5 月 30 日法律第 214 号、最終改正:平成 23 年 5 月 2 日法律第 37 号)の第一章総則第一条(この法律の目的)の一節である。これによ れば、文化財を保存すると同時に、その活用を図ることで国民の文化的向上に資する目的 をもって制定されていることがわかる。さらには、「世界文化の進歩に貢献する」ともして おり、グローバルな視点に立った文化の成長を担うことも目的とされている。

まさに、近年の世界遺産登録の動きとも関連するところであって、“保存”と“活用”

という、相反する性格的矛盾から転じる成果を期待しているともいえる。保存・活用をお こなうには、法的整備が必要である。法の保護をうけて資料は管理されていくのであり、

時代変遷のなかで、法にも変化がみられた。そこで本章では、資料を法的に保護するにあ たって、どのような対策がとられていたのか。欧米派もとより、アジアの動向もふまえて 取り上げていく。

文化財保護法の変遷

文化財保護法が制定される以前に、すでに日本には文化財保護に関する規定があった38

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まず挙げられるのは、文化財保護の草創期にあたる 1871(明治 4)年に制定された「古器 旧物保存方」(5 月 23 日太政官布告第 251 号)である。この太政官布告を受けて、特に近 畿地方の社寺に提出させた「古器旧物」の目録をもとに、1872 年に日本初の文化財調査が おこなわれた。この頃はまだ“文化財”という言葉はなく、「宝物」という表現がされてい る。1888(明治 21)年から 1897(明治 30)年までは、宮内省に臨時全国宝物取調局が設 置され、古文書や絵画、彫刻、書跡、工芸品などが調査されたが、これに携わった人物に は、後述するフェノロサや岡倉天心らがいた。

1897(明治 30)年に制定された「古社寺保存法」(6 月 10 日法律第 49 号)は、16 条と 附則 4 条の計 20 条で構成されている。この法律は、古社寺の建造物ならびに宝物類を維持・

修理するときに、国費である保存金から充当することを定めるとともに、指定物件の概念 を初めて明示した法律である。そこで第 4 条をみると、次のことが明記されている。

社寺ノ建造物及宝物類ニシテ特ニ歴史ノ証徴又ハ美術ノ模範トナルヘキモノハ古社寺 保存会ニ諮詢シ内務大臣ニ於テ特別保護建造物又ハ国宝ノ資格アルモノト定ムルコト ヲ得内務大臣ニ於テ前項ノ資格ヲ付シタル物件ハ官報ヲ以テ之ヲ告示ス

社寺の建造物や宝物類のなかでも特に歴史の証徴(正当性の証明)、美術の模範となるも のは、古社寺保存会に諮詢(問い諮る)して内務大臣が「特別保護建造物」・「国宝」の資 格があるかどうか審議して、要件を満たすものであれば認定する。審議を経て、指定物件 となったら、官報によって告示すると定められている。これにより、特別保護建造物 44 件、国宝 155 件が指定され、以降も建造物は年間 60 棟、国宝は彫刻や絵画を中心に年間 200 件ほどが指定されていった。

罰則規定を設けて文化財保護を図っていることも特筆すべきことである。また、その対 象が、国宝を管理する監守にも向けられており、第 13 条・14 条には、次のようにある。

監守者其ノ監守スル所ノ国宝ヲ竊取シ、毀棄シ、隠匿シ若ハ他ノ物件ト変換シ又ハ第 五条ノ規定ニ違背シタルトキハ二年以上五年以下ノ重禁錮ニ処ス(13 条)

監守者怠慢ニ由リ国宝ヲ亡失若ハ毀損シタルトキハ五十円以上五百円以下ノ過料ニ処 ス(14 条)

これは禁固刑や罰金刑を定めたものになるが、怠慢といった監守の服務にまで踏み込み、

内部規律の強化を図った法律であることがわかる。これらは、国庫支出をともなっている ことから、上記のような国家による強制力をもたせた内容となっているのである。

文物や建造物ばかりでなく、学術上価値の高い動物や植物、地質鉱物などを対象に保護

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する動きのなかで、1919(大正 8)年「史蹟名勝天然紀念物保存法」(4 月 10 日法律第 44 号)が制定されている。これは六ヶ条で構成された罰則規定をともなう法律である。先の

「古社寺保存法」と同じく内務大臣が指定するものであるが、必要に応じて地方長官が仮 に指定することもできた。この法律は、現状保存の原則、そのための必要な方策が明記さ れている。

史蹟名勝天然紀念物ニ関シ其ノ現状ヲ変更シ又ハ其ノ保存ニ影響ヲ及ホスヘキ行為ヲ 為サムトスルトキハ地方長官ノ許可ヲ受クヘシ(3 条)

内務大臣ハ史蹟名勝天然紀念物ノ保存ニ関シ地域ヲ定メテ一定ノ行為ヲ禁止若ハ制限 シ又ハ必要ナル施設ヲ命スルコトヲ得(4 条)

第 3 条は指定された物件に対して、現状変更や保存に影響を及ぼす行為があるときは、

地方長官の許可を必要とすること。第 4 条では内務大臣は指定物件に対して一定の行為を 禁止、もしくは制限する。そして必要な施設を命じることができるとされた。指定当時の 現状維持を念頭においた法規が定められ、第 5 条では内務大臣が地方公共団体を指定して 物件を管理させることを規定している。これは、自然科学系の分野における法制定といえ よう。

先に挙げた「古社寺保存法」を廃して、1929(昭和 4)年に制定されたのが「国宝保存 法」(3 月 28 日法律第 17 号)である。25 条からなる罰則付法律であり、第 1 条には次のこ とが明記されている。

建造物、宝物其ノ他ノ物件ニシテ特ニ歴史ノ証徴又ハ美術ノ模範ト為ルベキモノハ主 務大臣国宝保存会ニ諮問シ之ヲ国宝トシテ指定スルコトヲ得(1 条)

「古社寺保存法」の概念と共通するところではあるが、異なる点として、諮問するのが 古社寺保存会から国宝保存会となっている点。さらに、「古社寺保存法」では内務大臣が指 定するとあったが、ここでは主務大臣・国宝保存会へ諮問して、指定を受けることが明記 されている。国宝保存会は指定にも影響をもつ格上げ組織になった。第 3 条・4 条に定め られる国宝の輸出や移動、現状変更にあたっては主務大臣の許可を必要としたものの、許 可するときは国宝保存会への諮問を定めている。

「古社寺保存法」が神社・仏閣の宝物や建造物を対象としていたが、「国宝保存法」では、

この要件をはずして国有や地方公共団体所有、私有を問わず「国宝」指定が可能となった。

その結果、「国宝保存法」の施行時の国宝指定物件は、宝物類 3,704 件(絵画 754 件、彫 刻 1,856 件、書跡 479 件、工芸 347 件、刀剣 268 件)、建造物 845 件、1,081 棟であった。

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なお、国宝保存法で定める国宝(旧国宝)は、現行法の重要文化財に相当する。

次に 1933(昭和 8)年に制定された「重要美術品等ニ保存ニ関スル法律」(4 月 1 日法律 第 43 号)では、美術品の輸入や移出に関する規則が定められた。全五ヶ条からなるもので、

罰則規定を伴う法律である。第1条をみると次のようにある。

歴史上又ハ美術上特ニ重要ナル価値アリト認メラルル物件(国宝ヲ除ク)ヲ輸出又ハ 輸出セントスル者ハ主務大臣ノ許可ヲ受クベシ但シ現存者ノ製作ニ係ルモノ製作後五 十年ヲ経ザルモノ及輸入後一年ヲ経ザルモノハ此ノ限ニ在ラズ

歴史上もしくは美術上で特に重要な価値のある物件を輸出、または輸出しようとするも のは主務大臣の許可を受けること。ただし、現存者の製作に関係するもの、製作後 50 年た っていないもの。輸入後1年たっていないものは除外されている。この法律は 4 月 1 日公 布、即日施行されていて、極めて性急に制定されている。その背景には、貴重な美術品が 国外流出していた実情に鑑みた緊急措置として発布されたのである。

1949(昭和 24)年までにおこなわれた認定調査では、重要美術品の件数は、美術工芸品 7,898 件、建造物 299 件、合計で 8,197 件となっている。1950(昭和 25)年に「文化財 保護法」(5 月 30 日公布、8 月 29 日施行)が制定され、「重要美術品等ニ保存ニ関スル法律」

は廃止されたものの、文化財保護法附則により効力の有効性を引き続き認めることとなっ た。

以上のように、文化財保護関係法をみていくと、国宝保存法が制定されたことで古社寺 保存法が法的効力を失い、文化財保護法の制定によって、国宝保存法などが統合された。

文化財保護の概念が広まるなかで、指定物件が強化され、新しい法がつくられていったの である。また、このような法律の変遷をみれば、各時期に画期となる出来事が起こってい ることもわかる。「古器旧物保存方」が制定された 1871 年頃は、倒幕を経て明治新政府が 樹立されたなかで、日本の伝統文化を見直す動きが生じた。明治政府による制度改革や外 国文化の急激な流入もあって、文化財の散逸や国外流出もおこっていた。

さらに、1868(明治元)年に布告された神仏分離令は、王政復古や祭政一致などを具現 化するなかで発布された。明治政府が神道を国教とする政策を推し進めるなかで、仏教排 斥を容認するかのような社会風潮となり、寺院や仏像などを破壊する運動が各地でおこっ た。こうした状況を受けて、太政官が「古器旧物保存方」を布告し、「宝物」の保存に乗り 出したのである。

「古社寺保存法」が出される 3 年前の 1894(明治 27)年には、日清戦争(甲午農民戦争)

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