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日本の大学博物館史

ドキュメント内 実践的博物館学の研究 (ページ 195-200)

日本で大学の“知の拠点”といえば、長く附属図書館が担ってきた。それは大学設置基 準の規定に依拠して図書館が設けられていたためで、近年の大学博物館の設置により、両 施設がその機能を果たしている。附属図書館はその性格上、書籍を主とした収蔵施設に対 して、大学博物館は古文書などの古文献や器物、美術作品、標本などを収集・保管してい る。所蔵する文献や資料が共通するところもある一方、まったく異なることがその利用者 であろう。

附属図書館は在学生を利用対象者とし限定することが多いが、大学博物館は学生はもと より一般への開放のもと設置されているところが多い。つまり、大学博物館は、利用者・

来館者を制限するものではなく、地域社会と融合した公共機関の性格を有する。換言すれ ば、附属図書館は学内、大学博物館は学内を包含した学外を対象とした“知の拠点”であ る。そこで本章では、日本の大学博物館の制度的位置付けをはじめ、大学博物館の変遷と 現状・課題を明らかにしていきたい。

大学博物館の沿革

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日本の大学博物館の最初期は、1877(明治 10)年に設置された東京大学の小石川植物園 である。この起源は、幕府が 1684(貞享元年)年に設けた小石川御薬園になる。小石川御 薬園は、麻布と大塚に設けられていた薬園が統合されて、徳川綱吉の別邸に移設されたも ので、徳川吉宗治世下に整備されていった。1722(享保 7)年には、小石川御薬園内に養生 所が設けられ、治療にあたる施設となっている。

明治維新後、前述したような変遷を経て、小石川御薬園は 1877(明治 10)年5月8日に 東京大学理学部の附属施設となっており15、大学組織に位置付けられ、一般公開されてい る16。現在は、東京大学大学院理学系研究科附属植物園(小石川植物園)となっており、

約 70 万点の植物標本を有している。植物園内には小石川養生所の井戸のほか、甘藷試作跡 など当時の面影を残している。また、由緒ある遺構を保ちながら、日本庭園のように整備 されており、2012 年には国の史跡および名勝となった17

先にふれた幕府時代からの系譜をもつ小石川植物園は、大学設置基準にある薬学部の附 属施設にあたる。おなじく、旧帝国大学である北海道大学(札幌農学校)では 1886(明治 19)年に、京都大学では、1924(大正 13)年に植物園(現在の京都大学大学院理学研究科 付属植物園)が設置されている。また、現在の岩手大学の前身にあたる盛岡高等農林学校 には、開学した 1902(明治 35)年以来、植物園が設けられており、現在は、岩手大学農学 部附属植物園として博物館相当施設となっている18

このように、植物園は 20 世紀初頭には開設をみるが、博物館の前身にあたる資料室・列 品室などになると、動物学者 E.モースが創設に尽力した東京大学理学部博物場が最初期と いえる。モースが大森貝塚を発見したことを契機に、各地で発掘がおこなわれ、これらの 資料が東京大学動物学教室に収集されると同時に、モースが個人的に北海道旅行した際に 収集したものも教室に収められている19。1879(明治 12)年に設けられたこの施設は、学 部直属のものとしてつくられ、学内にあった多くの標本類を整理して、展示された。

また、1902 年に開学した盛岡高等農林学校には、獣医学教育がおこなわれるにあわせて、

「動物の病気標本室」が設けられている。そして、1910(明治 43)年に開学した秋田鉱山 専門学校の列品室を起源とする秋田大学大学院工学資源学研究科附属鉱業博物館が早い時 期に創設されている20。地方の国立大学から陳列室が設置されてきているが、旧帝国大学 のなかでも次の大学には古くから博物館構想があり、組織作りをおこなっている。

北海道大学は 1876(明治 9)年、開校した札幌農学校を前身とするが、開学したクラー ク博士は当初から自然史博物館構想をもっていた。開拓使から植物園とその園内にあった

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博物館を札幌農学校が譲り受けたことが、北海道大学総合博物館の起源となっている。こ れにケプロンが創設に尽力した「博物院」にあたる、1877(明治 10)年創設の札幌仮博物 場も含んで整備されていった。札幌農学校からの自然科学系の学術標本を中心に収蔵し、

現在では総合博物館となっている。京都大学総合博物館は、1897(明治 30)年の大学設置 当初から博物館構想が持ち上がり、一次資料の収集を開始し、1914(大正 3)年に、「陳列 館」が竣工したことに始まる。1955(昭和 30)年に博物館相当施設の指定を受け、1959(昭 和 34)年には陳列館から博物館と改称され、博物館活動を開始するようになった。東京大 学の場合、全体的な博物館としては比較的新しく、1966(昭和 41)年に地理、鉱山、地史 古生物、鉱物、岩石・鉱床、動物、植物、医学、薬学、考古、人類・先史、文化人類の 12 資料部門からなる東京大学総合研究資料館が発足した。1996(平成 8)年 5 月 11 日、東京 大学総合研究博物館が発足し、三つの研究系からなる組織となっている。

私立大学をみてみると、國學院大學博物館は、1928(昭和 3)年に開設された「考古学陳 列室」を前身とする。1932(昭和 7)年には図書館から国史研究室へと移管されて「考古学 資料室」と改称される。1952(昭和 27)年には博物館相当施設に指定され、1975(昭和 50)

年には「考古学資料館」となる。この間、1963(昭和 38)年に「神道学資料室」が開設さ れ、1990(平成 2)年には「神道資料館」と改称、これらが統合されて現在の國學院大學博 物館となっている21。明治大学博物館は、1929(昭和 4)年に設置された刑事博物館が起 源である。1950 年に商品博物館、1952 年には考古学博物館が設置され、これらが 2004 年 に統合されて今日に至っている。

関西では、天理大学附属天理参考館がいち早く活動を開始している。1930(昭和 5)年 の「海外事情参考品室」がその起源であり、大学の前身である天理外国語学校内に設けら れた。これは「支那風俗展覧会」がおこなわれたことがきっかけであり、展覧会事業は 1935

(昭和 10)年にも「海外事情参考品展覧会」が開催されている。1950(昭和 25)年に現在 の博物館名となり、1956 年に博物館相当施設となっている。

このように大学博物館の沿革を通覧していくと、植物園からはじまっており、そして一 次資料収集に着手している。資料収集の成果もあって、「陳列室」が必要となり、資料数の 増加にともない「資料館」と改称、さらに活動の多角化もあって「博物館」となった。組 織改編などを経ながら今日に至っており、現在では、博物館相当施設となっている大学博 物館が増えている。

大学博物館の活動は当初、陳列室として始まり、展示論や博物館教育論を意識したもの

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ではなかった。大学や教員が個別に収集してきたものを、一堂に並べる“陳列”の枠にと どまるものだった。今日では、学生はもとより、公衆を意識した取り組みをおこなってい る。薬用植物園においても、一般開放をしているところが増えているとともに、定期的な 解説会を開催したり、展覧会も実施するなど熱心な教育活動がおこなわれている22。また、

さまざまな説明パネルの工夫もみられるようになり、小石川植物園では、楽しく学びなが ら見学するコースもできている。陳列室から始まった大学博物館も、教育機能を充実させ ていくようになり、学生教育ばかりでなく、一般にも利用される施設へと発展してきたの である。

大学博物館設置の経緯

大学博物館が設置される契機となったのは、1996(平成8)年 1 月 18 日に学術審議会学 術情報資料分科会学術資料部会が発表した「ユニバーシティ・ミュージアムの設置につい て(報告)―学術標本の収集、保存・活用体制の在り方について」(以下、「報告」とする)

である。これは、学術標本の現状と課題に始まり、学術標本の保存・活用の在り方、ユニ バーシティ・ミュージアムの整備からなる報告書である。これにより、大学博物館がどう あるべきか、その指針が出されている。

「報告」では、大学博物館の必要性を学外的かつ学内的な視点から取り上げている。1996 年当時、国際化・情報化・高齢化・多様化の社会となっている状況のなかで、大学に求め られる社会的要請も変容している。そこで、良質な学術情報の発信基地、そして高度かつ 多様な学習ニーズに対応し得る大学としての機能が必要とされた23

大学博物館が良質な学術情報の発信基地となり得るには、大学および大学博物館での調 査研究による成果が前提である。より良質な学術情報を発信するには、教員による日々の 研究蓄積が重要であり、その成果を発信する拠点の確保を大学博物館に求めているのであ る。また、高度かつ多様な学習ニーズについては、「報告」にある“環境問題”や“都市問 題”といった専門分化した特定の学問分野では対応できない問題、さらには、国民の高学 歴化や社会意識の向上による興味関心事の多様化もあって、これに大学が対応すべく、大 学博物館の設置を求めている。

このような社会要請に、大学が応えていくためには、「総合的・学際的な研究・教育体制 を整備すること」が必要であり、その役割を果たすのが大学博物館と位置付けている。ま た、多くの一次資料を有する大学が、進歩した分析法や解析法によって得られた新たな情 報提供をおこなうためには、博物館が有効であると結論付けている。さらには、学術研究

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