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名程の学生を擁している豊富な人材が博物館を支えている。

ドキュメント内 実践的博物館学の研究 (ページ 186-195)

第1章 海外の大学博物館

博士 20 名程の学生を擁している豊富な人材が博物館を支えている。

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蘇州大学博物館

蘇州大学博物館は学校が管理する学部から独立した組織である。博物館が設置 された目的が学校の文化遺産を保存することにあり、学生はもとより、地域住民に も学び舎として提供している。発掘された考古遺物はもとより、自校史展示を積極 的に展開している。学部教員を館長に置き、その下に陳列部・保管部・接待部とい う部門にわかれた合計7名からなる職員体制をとっている。陳列部は学芸員業務 のなかでも展示にあたり、保管部は資料の管理をおこない、接待部は学外からの見 学者の対応にあたっている。なお、デジタルアーカイブズへの対応もおこなわれて おり、組織として明確に部門ごとにわけられた業務にあたる体制が整えられてい る。博物館に類する学部が設置されていないことから、学生教育に対応する組織と はなっていない。しかし、学生ボランティアを募集しており、これに参加したら2 単位を修得することができることになっており、学生への奉仕活動の一環として 博物館が利用されている。そのため、博物館職員、そして学生ボランティアによっ て博物館活動が維持されている。

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中国薬科大学博物館(江蘇省南京市江宇区)

標本館から始まった大学博物館であるが、大学開学の 1936 年から設置されてい る。卒業生や民間会社などから資料の寄贈を受けたこと、あわせて周年記念事業に 位置付けられ、2010 年に博物館となった。本草学に系譜をみる薬学の歴史をはじ め、多数の薬剤標本を所蔵している。ここには学部所属の教員1名を館長に置き、

研究職員が4名配属されている。標本管理や研究はもとより、学外者への対応にも

あたっている。現状としては学内学生の利用者が中心であるため、学生教育をメイ

ンとした活動となっている。また、ここに所属する研究員も教員に準じる業務にあ

たっている。学外への広報活動などに対応する別の窓口が学内にあり、博物館とし

て独自におこなってはいない。そのため、インターネットを通じた広報活動を展開

していくことを計画している。ボランティア制度はとられており、シンポジウム開

催での補助や英語解説のボランティアを採用した博物館活動をおこなっている。

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中山大学生物博物館

展示資料の全てが実物資料であることを最大限のウリとしている自然科学系の 博物館で、大型標本や骨格標本などその展示数は 100 万点に及んでいる。これを管 理・運営するスタッフは、研究部の 11 名であり、学部と兼職する形態をとってい る。博物館の展示内容とも共通するところの多い生命科学部があり、ここに所属す る教員が運営している。展示替えにあたっては、研修をうけた学生たちが教員のサ ポートとして参加している。この学生ボランティアは、外部の団体見学、例えば小 中学生が見学に訪れたときは、学部学生が解説している。また、社会人ボランティ アも採用し、中学・高校生への対応にもあたっている。設置された目的が、地域住 民などの一般への科学教育を促すことではなく、大学の研究のために博物館化さ れており、一般外部への広報・宣伝といった発信には消極的である。しかし、外部 向けの対応を担当する、ボランティア養成を経た学生や社会人にあたらせるなど、

その体制は整えられつつある。

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香港中文大学文物館

香港中文大学文物館は、1973 年に開館した大学博物館である。中国文化を広め、

学外交流を促進させるとともに、大学の社会貢献の拠点とされている。これを主体 的に担っているのが中国文化研究所のスタッフといえよう。中国文化研究所の職 員体制は、専門職であるキュレーター、資料の調査研究や教育普及に担当する研究 員、企画立案するディレクター、さらにはデザイナーなど 25 名で構成されている。

このキュレーターと研究員が学芸員相当の職員ということになり、展示業務にあ たっている。研究そして教育という博物館活動の骨子にあたる専門職員を配属さ せている点はほかの中国の大学博物館とは異なる点といえよう。館長は学部兼任 の教員であるが、博物館専任の副館長を配属していることも大きな違いである。

また、文物館との関係の深い芸術学部の学生をアルバイト雇用している。この学

生は実習を経たもので、博物館活動のサポートにあたっている。これとは別に文化

事業の教育活動をおこなうときに、学部関係なく横断的に学生を雇用し対応して

いる。一般へのボランティア制度も導入しており、定年退職した人が研修を経て解

説員となり、団体見学の対応をおこなっている。ここまで充実した体制づくりがお

こなわれているのは、博物館の使命によるとことが大きい。香港中文大学文物館の

取り組みは、日本の大学博物館と差異がなく、学芸員制度がない中国にあって、学

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内はもとより学外にも社会貢献の人員配置は、欧米式のスタイルといえる。ここに は香港がイギリスの植民地時代を経ていることが大きく影響しているといえ、大 陸とは異なる活動を反映した博物館組織がつくられたといえよう。

中国の大学博物館の形態も日本と同じような分類を基本的になすことができる。

しかし、寄付による施設の建設など、大学と企業との関係が密接であり、いわば学 内に企業博物館が設置されているともいえる。大学としても、自校史、さらには卒 業生を顕彰する目的もあるため、両者にとって win-win の関係となっている。

施設が充実してきていることにともない、組織体制も整備されている。学部との 関係が強固なところもあれば、独立性を保ち、自校史および地域文化の公開・教育 に徹しているところもある。また、

香港中文大学文物館

のように、都市としての歴史 的背景が博物館活動に反映されているなど、学芸員制度のない中国の大学博物館 は一様でないことがわかる。

しかし、共通して、自校史、および地域文化の担い手としての使命をもっており、

中国国家の文化施策を実行している。まさに、施設および組織の関係は、国家と大 学の施策の上に成り立っており、次第に充実してきていることがわかる。

―韓国―

韓国の大学博物館の沿革を考えるにあたって、三つの時期区分が可能である。その一画 期とされるのが、1967 年の「大学設置基準令」における大学博物館の義務的設置である。

これにより、大学開学にあたって、図書館と並び博物館が設けられることになったが、こ の設置義務こそが大学博物館の興隆を支えた。1982 年には義務的設置が削除されているが、

1999 年に「博物館及び美術館振興法」が制定されたことで、再び法的位置付けがなされる。

そこで、本節では、大学設置基準令を転換期としたうえで、第Ⅰ期から第Ⅲ期にわけて取 り上げていくことする。

第Ⅰ期:大学博物館の胎動(1934 年~1966 年)

韓国の大学博物館の最初期は、1934 年に設置された高麗大学校博物館(ソウル特別市)

である。前身は 1905 年に創立された「普成専門学校」を源流とする韓国最古の歴史をも つ私立大学である。歴史や美術、民俗学などに関する約 10 万点の資料を所蔵し、国宝指定 を受けている「渾天儀」をはじめとする貴重な文化財を保有している。この翌年の 1935 年 には韓国最初の女子私立大学である梨花女子大学に大学博物館が設置される。1950 年代に ヘレンキム博士のコレクションを受け入れ、さらに考古学遺物を集積して、1960 年代に常

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設展示室をもった博物館となった。その後も、施設拡充を続け、今日では現代美術を含め た資料を収集している。

1941 年には京城大学校(現在のソウル大学校)博物館(展示館)が開館する。歴史や 考古学、民族学、古美術を含めた数多くの収蔵品をもち、これらを中心とした展示をおこ なっている。設置された 1941 年の韓国は日本政府の統治下にあり、敗戦後の 1946 年にソ ウル大学校設置にともなって、大学校附属博物館となり、建物もそのまま継承して事業が 維持された。一時、図書館内に移設されたものの、1993 年に現在地へ移転されている。

このように、大学および大学博物館は、第二次世界大戦前後をひとつの転機とみなすこ とができるが、戦後の教育改革をきっかけに、各地で設置がみられるようになってくる。

1955 年には、慶煕大学校中央博物館が開館。さらに、1957 年、全南大学校博物館(光州広 域市)が、1959 年には慶北大学校博物館(大邱広域市)が図書館を増設するかたちで設置 される。慶北大学校博物館は、この頃、図書館の附属施設のような形態をとっていたが、

1964 年に独立して活動するようになる。この間、朝鮮戦争などにより困難を極めた大邱市 立博物館からコレクションを集積し、陳列するようになった。1984 年には図書館移転にと もない博物館として施設を充実させ、その後も拡充を続けている。また、東国大学校博物 館は 1963 年に大学の附属機関として設立された。1966 年には図書館内に常設展示室を設 け、各地で発掘した考古学を展示するに至っている。

第Ⅰ期には、大学が所蔵してきた文物や所属教員による寄贈を通じてコレクションを収 集していった。また、慶北大学校博物館のように、戦争による混乱のなかで資料が受け入 れられることもあった。所蔵してきたものも、各地で発掘してきた考古遺物などが中心で、

これらの数が増えていったことによって、博物館のハード面が強化されていくことになっ た。

第Ⅱ期:大学博物館の興隆(1967 年~1981 年)

第Ⅱ期は、大学博物館が大学設置基準令の義務的設置となってから、これが削除された 時期である。大学新設時の条件となったことが、多くの大学博物館が誕生させた。附属図 書館と並び博物館の設置は、韓国政府の教育方針を反映させたものであって、大学に地域 文化の拠点としての役割を求めている。

大学設置基準令によって大学博物館が設けられた大学は数多くある。1967 年には梅山金 良善教授が収集した考古学遺物の寄贈を受けて、崇実大学校韓国基督教博物館(ソウル特 別市)が設置される。1976 年にはキャンパス内に博物館施設を新たに創設するなど、大規

ドキュメント内 実践的博物館学の研究 (ページ 186-195)