A. 調整枠組の柔軟性と機動的活用の可能性
1. 欧州司法裁判所のカシス先決裁定
欧州司法裁判所は 1979 年のカシス・ドゥ・ディジョン先決裁定(以下「カシス裁定」)に おいて、貿易と非貿易関心事項の調整についてのEU法上の判断枠組を打ち出した。その骨 子は次の四つである。第一に、他国において適法に生産され、流通に置かれた商品はEU内 で自由な流通が認められなければならず(規制の相互承認原則)、その制限はEU法上の正 当化を求められる。これは、すでに扱ったダッソンヴィル先決裁定の論理の延長である。
第二に、EU 運営条約 36 条の正当事由に加えて、強行的な規制事由に基づく商品自由移動 原則の合理的な例外も認められる。第三に、強行的な規制事由に基づく例外によって正当 化される措置は無差別的な措置に限定される。第四に、正当化が認められるためには、EU 運営条約36条による正当化と同じように規制手段が規制目的に対して比例的でなければな らない(以上の四点からなる判断枠組を合理性の理論という)。
このカシス判例の利点は大きくふたつある。第一は、貿易自由化の上での利点である。
つまり、他国で適法に生産された商品に自由移動が認められるならば、そもそも各国の規 制の相違から生じていた貿易障壁は克服され、貿易自由化の進展は加速する。第二は、非 貿易的関心事項を考慮する上での利点である。条約上の商品自由移動の例外事由に加えて、
判例上の例外事由が認められるのだから、その後のEU立法者の意思や社会の変化を酌みつ つ、非貿易的な関心事項を適宜考慮できるようになる。正当化の実質判断を行う対象は無 差別的な規制とし、しかも正当化は規制目的と手段の比例性という範囲内にとどめるから、
合理性の理論を適用していくことによって、精密かつ安定的な法的判断を産み出すことが できる。
以上述べたことの実証のために、またWTO法における貿易・非貿易的関心事項の調整の 議論との接点を探索するためにも、欧州司法裁判所のカシス先決裁定を振り返ることにす る。本件の関連事実は比較的簡明である。ドイツは蒸留酒の専売制度を採用し、ドイツ国 内で販売の許される蒸留酒について規制していた。すなわち、一定の種別のリキュールそ の他のアルコール飲料の最低アルコール度を定めていた。関連法令規則の定めによれば、
「カシス・ドゥ・ディジョン」のような果実リキュールの流通許容には25度以上の最低ア ルコール含有が必要とされる(蒸留酒独占法100条および関連の専売管理実施規則1)。ドイ ツのスーパーマーケットのレーヴェは、フランスからカシスリキュール(=カシス・ドゥ・
ディジョン)を輸入しようとした。ところが、このディジョン・カシスのアルコール含有 度は15 度から 20度であった。そのためレーヴェは輸入許可を申請したものの、ドイツの 管轄官庁は当該最低アルコール含有度規制を根拠として、当該製品が低アルコール度数の ゆえにドイツ連邦共和国においては販売できない旨の通知を行った2。そのため本件原訴訟 において原告のレーヴェ社は許可を与えないことが違法であると主張した。国内裁判所(ヘ ッセン財政裁判所)は、果実酒の最低アルコール度規制が数量制限と同等の効果を有する 措置に当たるかどうかを問う質問を欧州司法裁判所に付託した。
本件の争点を分析しよう。原告のレーヴェ社は次のように主張した。「ドイツの規制にお ける最低アルコール含有量の定めは、他の共同体構成国原産の著名な蒸留酒製品がドイツ 連邦共和国での流通を許されないとする帰結をもたらす。これは、構成国に留保された取 引規制の枠組を逸脱するところの、構成国間の自由な商品流通の制約に当たる。〔EU 運営 条約 34 条〕に違反する輸入数量制限と同等の効果を有する措置が問題となるのである」、
と。本件に登場するカシス・ドゥ・ディジョンは、クロスグリの果実を漬け込んで製造す るフランスの伝統的産品であり、もちろんフランスでは自由に取引されていた。ところが、
ドイツでは自由に販売できないという。こうしてEU域内で商品の自由流通に支障をきたす 事態が生じている。それは、しかしアルコール度数という商品の原産国とは無関係の基準 による無差別的な規制がドイツとフランスの間で異なっていることから生じている。各国 ごとに無差別的な製品規制が異なること自体は、むしろ所与の事柄である。それにもかか わらず、本件の措置を数量制限と同等の効果を有する措置に当たると判断してよいか、こ れが第一の争点である。そこからもうひとつの争点が生まれる。すなわち、無差別的製品 規制にEU法の規律を及ぼすとなると、当該規制の正当性を評価するEU法上の判断枠組を どのように構成するかという第二のより大きな争点が生ずる。すなわち、アルコール含有 度の高さに蒸留酒の品質の高さを認める人(およびその統治団体たる国)にとって、本件 の規制は消費者保護や商取引の公正という正当目的を追求するものといえる。しかし、そ のような正当事由はEU運営条約36条に規定されていない。無差別的製品規制をもEU条
1 Verordnung über den Mindestweingeistgehalt von Trinkbranntweinen vom 28. Februar 1958, Bundesanzeiger Nr.
48 vom 11. März 1958.
2 Case 120/78 Cassis de Dijon [1979] ECR 649, paras 2-3.
約34条の適用範囲に含めると、正当規制までも禁止対象となりうるので、貿易と非貿易関 心事項の調整枠組を再構築しなければならなくなる。そのありようが問われた。
欧州司法裁判所は次のように先決裁定を下した。
アルコールの製造および流通に関する共同体の規制が存在しない場合、・・・・・・アル コールおよびアルコール飲料の製造および流通に関するあらゆる法規を自国領域 において制定するのは構成国である。製品の流通に関する国内規制の相違から生じ る共同体域内取引に対する制約は、そうした定めが、とりわけ租税上の監視の実効 性、公衆の健康の保護、商取引の公正および消費者保護の要請といった強行的要請 をみたすために必要である場合には、受け入れられなければならない3。
ここで明らかなことは四点ある。第一に、EU立法が行われない限り、製品規制を行う権 限が構成国に残存することの確認である。第二に、しかし製品の流通に関する国内規制が 単に相違するにすぎず、無差別的な場合であっても、ダッソンヴィル定式に当てはまりEU 運営条約34 条違反に該当することがある4。そう考えないと、EU域内取引に対する制約と いう判示も、正当事由を挙げるその後の判示も意味がなくなる。第三に、無差別的な各国 製品関連規制がEU域内通商を妨げる場合、そのような規制は、EU運営条約 36 条には列挙 されていないものの、引用に例示されたような強行的要請から正当化が認められる。引用 にある「とりわけ」という文言が示すように例示的列挙である。第四に、しかし正当化の ためには強行的事由を指摘するだけでは足りず、規制目的と手段の間に比例性のある措置 であることが示されなければならない。以上はカシス基準と称される。なお、「アルコール の」というのは、他の製品に読み替えが可能である。
次いで、欧州司法裁判所はドイツの正当化論を退けた。最低アルコール度規制が「公衆 の健康の保護」のための措置に当たるという主張を退けるに当たって、「低アルコールおよ び高アルコールのさまざまな製品が市場の消費者には明らかに豊富に提供されているし、
しかもドイツ市場において自由に取引されている高アルコール度飲料のかなりの部分は通 常は薄めて消費されるからである5」と指摘している。さらに、アルコール飲料の製造者も
3 Case 120/78 Cassis de Dijon [1979] ECR 649, para. 8.
4 指令70/50号に示された解釈によれば、審査対象措置が差別的性質を持たない場合のEEC条約30条の
適用は次のような措置に対してのみ限定されていた。すなわち、無差別的措置の商品自由移動に対する 制限的効果が「貿易規則に内在的な効果を超える」ような措置、とりわけ貿易規則の目的に対して均衡 を欠くような制限的効果を持つ措置に対してのみ適用されるという限定である。しかし、カシス先決裁 定はこの限定解釈を少なくとも部分的に否定した。Rosas, A., ‘Life after Dassonville and Cassis: Evolution but No Revolution’ in Maduro, M. P. and Azoulai, L. (eds), The Past and Future of EU Law: The Classics of EU Law Revisited on the 50th Anniversary of the Rome Treaty (2010), 440. というのは8段の判示を反対解釈する と、強行的要請をみたすために必要ではない措置は、各国の国内規制の相違から生じた無差別的な措置 であっても、貿易の制約に当たる場合は禁止されるという帰結が得られる。ここでは、少なくとも「貿 易規則に内在的な効果を超える」ような措置に当たるかどうかという判断基準は破棄されている。
5 Case 120/78 Cassis de Dijon [1979] ECR 649, para. 11.