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街ではなかった。子どもたちにとっては,一番いい街だと思った。私は子どもにいいところ を考えて,(アサイに)帰ってきた。昼間仕事をしている間は,おじいちゃん,おばあちゃんが なんとかしてくれる。自分としては子どものことを一生懸命考えてやってきた。

ミナコは薬剤師の資格をもっていたので,ブラジル帰国後は薬剤師として働くことが出来 る都市部で生活をしようと考えていたが,子どもたちの生活を考え田舎へ帰ることにした。

日本語を話せる両親や日本から帰国した子どもたちが多く生活しているので,子どもたちが 生活しやすいと考えたためである。

ブラジルへと帰国した家族の語りには「子どもたちの将来」への配慮が節々でみられる。, デカセギは「経済資本」獲得のために行われるが,だからといって子どもたちの教育がおざ なりにされてきたわけではない。ミナコのように「子どもたちに悪いことをした…」とデ カセギを総括し,ブラジル帰国後は子どもたちに対してより良い教育を与えようとする場合 もある。

デカセギはブラジル帰国後の「より良い生活」のために行われるが,その「より良い生活」

には子どもたちにとっての「より良い生活・教育」も含まれている。そして,帰国した後の 生活の「再建」を円滑にすすめるため,日本滞在時から計画的な準備がおこなわれる場合が ある。それでは保護者は日本滞在時,そして帰国後の生活にどのような計画・戦略をたてて いたのだろうか。

73 て将来はブラジルで生活することを願うという。

他方で,安全で便利な日本での生活が続くなかで,ブラジルへ帰国するのではなく日本で 生活することを模索する人もみられるようになる。「一時的回帰の物語」がゆらぐことで, 将来の居住地が定まらず,進学先を決定することが困難になっていく。日本への滞在歴が長 くなるほど家族の物語だけでなく親の教育戦略も変容していく。そして日系ブラジル人は 日本定住を模索するようになる。

図4-1 先行研究と研究対象の違い

しかしながら,この議論が前提としているのはあくまでも日本で「定住」する人々の変容 である。志水らの理論によれば,親は自らの「一時性」を認識しているのだから,その論理の まま帰国する場合も検討することも想定できる。そして,一時性を認識する人々は実際にブ ラジルへと帰国しているのだから,ブラジルにおいて調査しなければ,「一時的回帰の物語」

のもうひとつの側面を検討することはできない。そこで本節からは,志水らの枠組みに準拠 しながら,「ブラジルに帰国した親の教育戦略」を検討する。以下でみていくように,日本で

「定住」する人々にくらべ,前節でみた「ブラジルに帰国した親」は,日本滞在時から帰国を 念頭に生活していることから,特有の教育戦略を行使していることが浮かび上がる。

(1)家庭での母語使用・文化伝達―積極的な母語使用・文化伝達

母語使用・文化伝達に関わる保護者の語りを見通したとき,ほぼすべての家族が家庭内で ポルトガル語を使用し,その保持に努めている。さらに,ブラジルのテレビ番組のDVDや雑 誌・漫画を取り寄せ,子どもたちに与えるといった工夫をする家族もみられる。

23:日本にいるころから子どもたちにはポルトガル語を教えてきました。家でもポルトガ ル語で話しかけました

*:子どもたちは話せるようになりましたか?

23 ユリ、女性、37歳、ブラジルで大卒、日本語でインタビュー デカセギとして渡日 

一時的回帰の物語 

日本滞在の長期化  日本定住(調査地:

日本) 

滞在の長期化及び一 時性の自認。帰国に

向けた準備 

ブラジルへの帰国

(調査地:ブラジ ル) 

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ユ:生活には困らない程度です。だから心配で帰国前と帰国直後には家庭教師をつけまし た

*:家庭教師?

ユ:日本の先生から家で話すだけではダメと聞いていたので。

ユリは子どもたちを日本の公立学校に通わせていた。日本で生活しているのだから,日本 の文化にも触れて欲しかったため,通わせていたという。公立学校の教育に満足していたが, 学校の教師から帰国後を見据えてポルトガル語の勉強をするよう何度も指導された。しか し,ユリも夫も仕事が忙しかったので,自分たちだけではポルトガル語を教えられないと判 断し家庭教師を雇った。

*:日本でポルトガル語を教えるのは大変だったでしょう?

24:ブラジルのテレビとか DVD をみせたりしましたよ

*:どうやって手に入れたんです?

バ:いまは通販があるからね。Monica とか読ませましたよ。テレビはインターネットがあ るし。

家庭教師を雇う場合もあれば,バーバラのように家庭内で努力する場合もある。日本で手 に入るポルトガル語教材だけでなく,絵本や漫画を子どもに買い与えポルトガル語の保持に 努めたという。DVDやポルトガル語の雑誌はブラジルで取り寄せるだけでなく,日本国内で の流通に頼ったという。また,パトリシア25のように帰国を前に一年だけでも子どもたちを 日本のブラジル人学校に通わせる場合もある。

パ:三女の場合は最初からブラジル人学校に通わせました。帰国も迫っていたので。

(パトリシア(母・日系))

パトリシアによれば,ブラジル人学校の学費は高額だったが,帰国後の子どもたちのこと を考えれば「必要な出費」だったという。帰国後の子どもたちの生活を考え,ポルトガル語 やブラジル文化に触れさせる保護者は多い。こうしたブラジルで効果を発揮する「文化資 本」は,日本の公立学校や日常生活では獲得できない。そこで多くの保護者は「必要な出費」, を投じることで子どもたちにブラジル教育を与えようとする。

日本滞在時から帰国後を見据えて教育投資をする場合もあれば,ミランダ26やユウジのよ うに帰国後にポルトガル語教育をおこなう場合もある。ミランダの場合,塾でポルトガル語

24 バーバラ、女性、NA、ブラジルで高卒、ポルトガル語でインタビュー(通訳)

25 パトリシア、女性、46歳、ブラジルで高卒、ポルトガル語でインタビュー(通訳)

26 ミランダ、女性、45歳、ブラジルで高卒、ポルトガル語でインタビュー(通訳)

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を勉強させながら,学校で娘の通訳をしているという。

*(学校で)娘さんの通訳をされていますよね

ミ:そうですね。私,何度も相談に行きましたね。「うちの子,(ポルトガル語できないで)こ うゆう悩みを抱えて,ちょっと困ってるんですよ。」って。で,何度も何度も電話を入れる,さ ぁまた電話を入れる。って相談に乗ってもらいたいんですけどって。やっとこう,会議を開 いていただいて。でも「教育委員会の方では特にそうゆうサポートできない。そうゆうプ ロがいない。できれば誰か学校に付いてくる人がいれば・・。」と言われたので。じゃあ私 が通訳することにしました。

[中略]

ミ:もちろんポルトガル語塾にも通わせたりもね。まあすぐには話せないし。難しくても, ちょっとでも勉強してほしい。

ユ:(子どもたちの)ポルトガル語は心配です。気がついたら娘たち同士は日本語で話して いるので。だから僕から話しかけるときはポルトガル語にしています。日本語も忘れてほ しくないから,カロリネたちが日本のものに触れることについてはなにも言いませんが。

*:それだけで話せるようになりましたか?

ユ:近くでポルトガル語を教えてくれる人がいるので,そこに通わせたりもしています。

ポルトガル語塾だけでなく,日本語・日本文化保持を求めている。こうした日本語保持に ついても多くの保護者が語ることであり,先ほど取り上げた事例のように日本語を保持して 欲しいという語りは多々見られる。とりわけ,ユリやバーバラの両家は日本滞在時にポルト ガル語教育に苦心していたが,ブラジル帰国後は子どもたちの日本文化保持に努めている。

ユ:日本語を話せる先生がいるので,(日系学校)こっちにきました。とても強い文化的シ ョックがありませんでしたので,助かりました。やっぱり私がポルトガル語を教えても彼ら の母語は日本語でした。ここで徐々にブラジルでの生活に慣れて欲しいとおもっています。

[中略]子どもたちに日本語を忘れてほしくない。日本語が子どもたちを安心させること もあります。

バ:娘は日本語を話すことができる。せっかく日本で勉強したことを無駄にしてほしくな い。娘にとって日本語はきっと将来役に立つと思う。だからいまは日本語を忘れさせない ように家で日本語を使うようにもしています。

日本で長く生活してきた子どもにとっての母語・母文化は,日本語・日本文化になる場合 もある。親世代と子ども世代の生活経験の違いによって,家族のなかでも母語・母文化に違